月別アーカイブ: 2012年12月

被災者に想い発信 ジャカルタで邦人合唱団合同コンサート

 邦人はじめ地元の合唱団と交流しながら音楽を楽しむことと、歌を通じて昨年の東日本大震災被災者にメッセージを送ることをテーマにしたジョイントコンサートが12月9日、南ジャカルタのクニンガンのウスマール・イスマイルホールで開かれた。これは在留邦人でつくるジャカルタ・サザンクロス混声合唱団、女声のコール・ムティアラ、男声のジャカルタ・メール・クワイヤーらが開催したもので、インドネシア人合唱団、邦人のフルートサークル「キョラ・ムーン」なども友情出演、客席に集まった家族や友人約400人に歌声を届けた。
 混声は合唱組曲の「蔵王」から蔵王讃歌など6曲、女声はフィガロの結婚の「華やかなオーバチュア」や中島みゆきの「時代」など、男声は組曲「人間の歌」から5曲をそれぞれ歌い上げ、観客を楽しませた。閉幕前には参加合唱団が合同で「NHK東日本大震災プロジェクト」のテーマソング「花は咲く」、森山直太朗の「さくら」、スマップの「世界に一つだけの花」を歌い、震災被災地に想いを発信した。

インドネシアのイスラム学校で「日本流」じわり

 過激派の温床となるイスラム学校・寄宿塾「プサントレン」が一部で問題化する一方、国際化の流れを受け、インドネシアで日本語や日本文化を教える学校が登場。伝統と発展を調和させる日本独特の「和」の心を学んでいる。ジャカルタ郊外のイスラム学校、マドラサ・プンバングナンの日本語教室がそれだ。
 同校のカリキュラムは宗教と一般科目が半々。日本語教育は2006年に、調和や規律の心を育むきっかけになればとの想いから始まった。同校のダルル校長は04年、日本政府のイスラム学校指導者の招聘事業で選ばれ日本を訪問。町工場や学校、仏教施設を巡り、日本人と対話した。この事業は初回の04年から毎年、約10日間の日程で実施。計85校から91人の教師が日本を訪れた。
 ただ、表面的には和やかな文化交流に映る招聘事業だが、実は企画したのは外務省の国際テロ対策協力室や、インドネシアで毎年のようにテロに見舞われた経験のある日本の大使館員らだ。過激派のメンバーにはイスラム寄宿塾出身者が少なくない。こうした寄宿塾に忍び寄る過激思想を絶つ方法として、日本政府が実行したのが、発言力のある優良校を端緒に日本文化を知ってもらう事業。伝統を重んじながら、新しいものを取り入れて発展を遂げてきた日本の調和のさまをインドネシアに紹介することが狙いだ。
 成果は徐々に広がりつつある。10年に訪日したプサントレン・ダルサラームのファドリル校長は、精神文化に共通性を感じ、11年に日本の本や装飾品を展示した「日本文化センター」を設けた。他校でも、参観日や大学の理系学部との交流、土足禁止の規則など、日本で影響を受けて導入した事例もあるという。

EPA派遣学生支援へ 東京都・首都大など動く

 東京都、首都大学東京が、日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護福祉士受け入れ事業で、10月末から西ジャワ州バンドンのインドネシア教育大(UPI)看護学科の学生に対してテレビ電話を通じた日本語学習支援を始めた。これは、日本行きを前に日本語能力の向上を促すことで、国家試験の合格率上昇とインドネシア人看護師・介護福祉士の定着を目指す取り組みの一つ。
 講義は週に1回、1年生から3年生までの全学生約60人が受講。首都大学東京の日本語教育や看護学科の教員たちが、1年目は基礎日本語、2年目は看護・介護分野の専門的な日本語、3年目は国家試験対策を教える。授業の様子を録画しており、将来的にはEPAでの日本行きを目指すインドネシア全国の学生が視聴できるしくみの構築を目指しているという。
 2008年に開始したEPA制度で日本へ行ったインドネシア人看護師・介護福祉士候補者は791人。国家試験の合格率は年々上がっているものの、今年も看護師が約13%、介護福祉士が約37%にとどまっている。不合格者を中心にすでに帰国したか、近く帰国する人はこれまでに約200人に上る。
 日本政府は国家試験の問題に振り仮名をつけるなどの対策を取っている。また、帰国者に対し在インドネシア日本大使館を通じ、試験や日本入国の手続きの支援、模擬試験を実施。国家試験への再チャレンジを促すほか、帰国者の再就職も後押しする方針だ。

スラバヤ市と北九州市が「環境姉妹都市」で提携

 インドネシアの東ジャワ州スラバヤ市と福岡県北九州市はこのほど、環境姉妹都市(グリーンシスターシティ)提携の覚書を締結した。環境姉妹都市は、環境ビジネス分野でのつながりをより重視した友好関係の促進に向け、北九州市側が提唱。インドネシアを訪れた北九州市の北橋健治市長は、同市の知見やノウハウを輸出することで、未来型のまちづくりをしたい-と語り、官民連携し環境政策の海外展開を推進する方針を示した。
 工業地帯の一角で、かつては悲惨な公害被害に苦しんだが、これを克服し、環境と経済を両立させた北九州市。この経験をアジアの他都市でも生かそうと、スラバヤ市では04年から生ごみの堆肥化事業の「高倉式生ごみのコンポスト化協力事業」を実施。同市内の廃棄物が3割減少するなど、高い効果を挙げている。また、11年には「戦略的環境パートナーシップにかかる共同声明」を結び、廃棄物やエネルギーに関する多くの事業が始まっている。

4年目迎えた交流行事「ジャカルタ日本祭り」開催

 今年で4年目を迎えた交流行事「第4回ジャカルタ日本祭り(JJM)」が9月23~30日、開催された。今回のテーマは昨年の東日本大震災後、インドネシアで支援活動が広がったことを受けて再確認した友情を、次の世代へつなげていこうと「深まる絆、広がる交流、インドネシア・日本」。

 9/23のオープニングではジャカルタマラソン・駅伝が行われたほか、中央ジャカルタのサリ・パンパシフィック・ホテルで、インドネシア人の若者で構成する「大江戸助六流ジャカルタ太鼓クラブ」が勇ましい太鼓演奏を、ジャカルタ特別州が招いた「サンガル・エカヤナ」がジャカルタ土着の民族ブタウィの伝統舞踊をそれぞれ披露。ファウジ・ボウォ・ジャカルタ特別州知事、鹿取克章・駐インドネシア日本大使、小林一則JJM実行委員長らがあいさつ、開幕を宣言した。

 会期中、折り紙ワークショップ、21世紀伝統和楽団・中村仁美公演、ジャカルタ琴クラブ、日本のアイドルグループAKB48の姉妹ユニット、JKT48ライブ、高知よさこい百花繚乱、沖縄エイサー、国際漫画賞受賞者トークショー、世界コスプレサミット第3位表彰デモンストレーション、ドラえもんショーなどが行われ、会場は熱気に包まれた。

 中でも今回印象深かったのは、オープニングでテーマを反映した、インドネシアと、東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の交流の紹介。震災を乗り越えて開いた「インドネシア・パレード」の支援活動にジャカルタで参加し、気仙沼のパレード本番にも駆けつけた松井和久さんと、パレードで使用する各地の伝統衣装を集めたライオンズクラブのスリ・バノワティさんがステージの壇上で顔を揃えたときだ。これにテレビ電話で気仙沼の鈴木敦雄さんが加わった。震災前から10年間、パレードを続けてきた鈴木さんはテレビ電話を通じて「インドネシアの皆さんの協力のお陰で、今こうやって生活を送ることができています。その気持ちを何よりも伝えたかった」というメッセージを会場に送った。

 最後はNHK東日本大震災プロジェクトのテーマソングとなっている「花は咲く」を実行委員会委員やJKT48、観客らが合唱して幕を閉じた。