月別アーカイブ: 2013年2月

特例で外国人看護師、介護福祉士の滞在1年延長

特例で外国人看護師、介護福祉士の滞在1年延長
 政府は2月26日、経済連携協定(EPA)に基づいて日本で看護師、介護福祉士として就職を希望するインドネシア人とフィリピン人の滞在期間を1年延長する特例措置を決めた。来日前に半年間の日本語研修を受けず2010~12年度に来日した人が対象で、国家試験の受験機会を増やすのが狙い。
 これに伴い、この対象者は滞在期間が1年延長され、看護師が4年、介護福祉士は5年となる。ただ、国家試験の得点が一定の水準を満たすなど条件が別途定められる。

 

在スラバヤ総領事館で元日本留学生と邦人が交流

在スラバヤ総領事館で元日本留学生と邦人が交流
 在スラバヤ日本総領事館と元日本留学生協会(プルサダ)東ジャワ支部は2月22日、総領事公邸でプルサダ同支部の会員とスラバヤ在住の日本人などを約150人を招待して、恒例の懇親会を開いた。シェルマン・プルサダ東ジャワ支部長のあいさつに続いて、野村昇・駐スラバヤ日本総領事は今年が日・ASEAN(東南アジア諸国連合)友好協力40周年、日・インドネシア国交関係樹立55周年であることに触れ、今後も日本はASEAN、インドネシアとの関係を強化していきたい。懇親会を通じて友好関係を深めていきましょう-とあいさつした。
 インドネシア人参加者が日本舞踊、東ジャワ日本人クラブ(EJJC)コーラス部「ブンガ・マワル」とラグラグ会スラバヤ支部メンバーはインドネシア語の歌を披露。双方の文化を通じ、親交を深めた。

 

卑弥呼の墓?初の立ち入り調査 奈良・箸墓古墳

卑弥呼の墓?初の立ち入り調査 奈良・箸墓古墳
 考古学、歴史学の15の研究者団体の16人は2月20日、宮内庁が陵墓として管理している奈良県桜井市の箸墓古墳を立ち入り調査した。宮内庁が研究者側からの要望に応じて立ち入りを認めるのは初めて。同古墳は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説があり、邪馬台国論争に深く関わる研究の進展つながるとみられる。研究者らは約1時間半かけて墳丘の最下段を一周し、地表に見える葺き石や土器などの遺物の状態、墳丘の形などを観察した。墳丘表面で、築造以前の様子を示す弥生最末期の土器などが見えたという。箸墓古墳は全長約280㍍。最古段階の前方後円墳で、全国の巨大古墳のモデルになったとの説が有力だ。

箸墓古墳と西殿塚古墳は土木技術に違い

箸墓古墳と西殿塚古墳は土木技術に違い
 考古学、歴史学の15の団体の研究者らは2月20日、宮内庁が管理する箸墓古墳(奈良県桜井市、3世紀)と西殿塚古墳(同県天理市、3~4世紀)を初めて立ち入り調査した結果、両古墳には土木技術上の違いがみられ、強度などから箸墓が先に築造された可能性が高まったことを明らかにした。日本考古学協会の森岡秀人理事は「2つの古墳の段築の傾斜などを詳しく比べ、西殿塚の方が工学的に強度を重視した構造で、築造された順番を実感できた」としている。

墳丘堤の外に石敷き 奈良・橿原 菖蒲池古墳

墳丘堤の外に石敷き見つかる 奈良・橿原の菖蒲池古墳
 奈良県橿原市教育委員会は2月20日、同市の菖蒲池古墳(7世紀半ば、方墳)で、墳丘を囲むとみられる盛り土や、その外側に施された石敷きが見つかったと発表した。石敷きは墳丘の東西約20㍍の場所で、堤とみられる盛り土に沿って東西2㍍、南北4.5㍍分が見つかった。この時期で立派な石敷きがあるのは宮殿と寺院だけという。
 通常は堤までが古墳の範囲とされ、さらに外側から施設が見つかるのは極めて異例。堀の幅は古墳正面から奥に行くほど狭くなることも判明。正面から見た際の遠近感を出す工夫とみられる。こうした手の込んだ造りから、古墳の被葬者は649年、無実の罪により山田寺で自害した蘇我倉山田石川麻呂や、皇族などとする説がある。

和歌山で古典芸能「花園の御田舞」

和歌山で古典芸能「花園の御田舞」
 和歌山県かつらぎ町花園の遍照寺で2月17日、国指定重要無形民俗文化財の古典芸能「花園の御田(おんだ)舞」が行われた。御田舞は米作りの1年間を、木製の鍬や鎌を手にした地元保存会の若者らが、太鼓、笛、たたき棒による古風なはやしと歌に合わせ、田植えの準備から稲刈り、もみすりまでの所作を格調高い口上と舞で表現する、平安中期から続くと伝わる古典芸能。2年に1度、旧暦の年初めに奉納上演される。豊作を祈り、約3時間上演され、日頃は人の少ない山あいの地がカメラを手にした観光客らでにぎわった。

川端康成の初の新聞小説「美しい!」見つかる

川端康成の初の新聞小説「美しい!」見つかる
 ノーベル文学賞作家、川端康成(1899~1972年)が27歳で発表した初めての新聞小説「美しい!」が見つかった。この小説は1927年4月11日から5月2日にかけて計4回、福岡日日新聞(現在の西日本新聞)に連載された。「美しい!」は全集や年譜に収録されておらず、研究者にもほとんどその存在を知られていなかった。したがって、これまでは1927年8月から中外商業新報(現在の日本経済新聞)で連載した「海の火祭」が最初の新聞小説とされていた。

小泉八雲が交友に宛てた手紙44通を松江歴史館で展示

小泉八雲が交友に宛てた手紙44通を松江歴史館で展示
「耳なし芳一のはなし」「ろくろ首」などの怪談作品で知られる明治の文学者、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850~1904年)が、島根県尋常中学校の英語教師だったころに親交のあった同校教頭、西田千太郎に宛てた手紙44通が、2月23日から3月10日まで松江市の松江歴史館で展示される。手紙は英語で書かれ、1891年(明治24年)1月から1896年12月まで、小泉八雲が居住した松江などから発信したもの。神戸からの手紙には日本国籍を取得したことが記され、「わたしは『Y・小泉』になります」と報告している。

宮殿並み蘇我馬子邸の塀跡か 大型柱穴列見つかる

宮殿並み蘇我馬子邸の塀跡か 大型柱穴列見つかる
 奈良県明日香村教育委員会は2月9日、同村の島庄遺跡で、飛鳥時代の大豪族、蘇我馬子(生年不明~626年)の邸宅の塀跡とみられる大型柱穴列が見つかったと発表した。この遺跡で建物群跡のものとみられる7世紀前半の塀跡が見つかったのは初めて。柱穴の一辺は1㍍以上あり、2.1~2.4㍍間隔で8個並んでいた。柱の直径はそれぞれ30~40㌢あったとみられる。これは宮殿クラスの規模という。塀の長さは約16㍍。当時、天皇を凌ぐ権勢を誇ったとされ、蘇我氏の全盛期を築いたといわれている馬子の邸宅規模を探る貴重な手掛かりになるとみられる。

富山・魚津市の縄文期の環状集落は全国最大規模

富山・魚津市の縄文期の環状集落は全国最大規模
富山県埋蔵文化財調査事務所によると、同県魚津市の早月上野遺跡で見つかった縄文時代の環状集落が、直径約280㍍と推測され全国最大規模だったことが分かった。41カ所ある竪穴式住居の跡からは、約5500年前ごろと推定される土器が出土しており、縄文時代中期から晩期の遺構とみられる。ほかに祭祀用とみられる石棒も出土している。中心の広場を「墓域」が囲み、周りの「居住域」に住居が点在する一般的な環状集落となっていた。関東・甲信越地域の環状集落と住居の並び方が似ており、東日本から北陸地方への文化的影響を示す遺構という。