月別アーカイブ: 2013年4月

インドネシア・マカッサルだより-14年に松江市と姉妹都市に

インドネシア・マカッサルだより-14年に松江市と姉妹都市に
 2カ月半ぶりに、南スラウェシ州マカッサル市在住の竹内ロビーさんから
近況をレポートしていただきました。

2014年、松江市とマカッサル市が姉妹都市に
 4月20日(土)にマカッサルの日本人会の総会がありました。東本所長(在
マカッサル出張駐在官事務所領事)のあいさつの中にあったのですが、現在
インドネシアにおける日本人はジャカルタ周辺でのみ、増えているのだそう
です。前回のレポートでも触れましたが、ここスラウェシ州では在住日本人
は年々減少しています。

 しかし、今回の日本人会は私たちにとって明るい話題もありました。現在
いくつかの自治体との間で交流案件が進行していると聞きました。詳細につ
いてはまだオープンにできないようでしたが、現在、愛媛県など数県の自治
体と、スラウェシ市との交流が進んでおり、2014年に島根県松江市とマカッ
サル市が姉妹都市になるそうです。
 これからはマカッサルを訪れる日本人も増加するように思われるため、日
本人会としても、できる限りの支援をしていきましょうとの話でした。

今後見込まれる東部インドネシアの発展
 これからのインドネシア経済のカギを握るのは、スラウェシ、ボルネオ島
カリマンタン、マルク諸島、ニューギニア島パプア(旧称イリアン)などで、
これら東部インドネシアの発展、躍進が見込まれています。これらの地域で
はいま空港の拡張やインフラ工事が進んでいます。
 マカッサルでみていると、ホテルの建設が多いのに驚きます。ビジネスホ
テルから四ツ星クラスまで、そんなに多くのホテルができて経営面で本当に
やっていけるのかと思うくらいです。確かにマカッサル郊外のハサヌディン
国際空港は、24時間空港として終日多くの人で混雑しています。

南ア チンパンジーとヒトの特徴 猿人の骨格発見

南アでチンパンジーとヒトの特徴持つ猿人の骨格発見
 南ア・ウィットウオーターズランド大などのチームは、200万年前に南アフリカで生息していたセディバ猿人(アウストラロピテクス・セディバ)は、人とチンパンジーの両方に似た特徴を兼ね備えた骨格を持っていたと、4月12日付の米科学誌サイエンスに発表した。歯や骨盤は人に近く、かかとはチンパンジーに似て、直立歩行と木登りの両方に適していたと推測されるとしている。セディバ猿人は2008年、南アの首都プレトリア近郊の洞窟で発見された新種の猿人。現生人類(ホモ・サピエンス)を含むホモ属の祖先の可能性があると注目されている。

フローレス原人は脳が現代人の1/3だった

小型の人類、フローレス原人は脳が現代人の1/3だった
 国立科学博物館と東京大学の研究チームは、身長1㍍ほどで小型の人類、フローレス原人の脳の大きさが現代人の3分の1しかないことを突き止めた。脳と体のサイズの比率から、ジャワ原人を祖先とし、脳と体が小さく進化していった原人の可能性が高まった。4月17日に英国王立協会紀要(電子版)に掲載される。フローレス原人は1万数千年まで生きていたとされる。2003年にインドネシアのフローレス島で初めて見つかったフローレス原人の頭蓋骨化石を、東大のコンピューター断層撮影装置(CT)で解析。樹脂で正確に頭骨を復元し、脳の大きさを測定した結果、426CCで、現代人(約1300CC)の約3分の1だった。

高杉晋作の日記や三味線を萩・下関市に寄贈

高杉晋作の日記や愛用の三味線を萩・下関市に寄贈
 幕末の志士、高杉晋作の玄孫(やしゃご)で現高杉家当主の高杉力さん(48)は4月13日、山口県萩市と下関市が管理していた晋作の日記や愛用していた三味線などの遺品を、両市に寄贈すると発表した。萩市へはすでに69点を寄贈。晋作の命日の4月14日に、下関市へ寄贈する158点の披露式を同市立東行記念館で開いた。
 萩市に寄贈されたのは、高杉家の家紋入りの産着など。江戸遊学に旅立つ晋作を師の吉田松陰が激励した手紙や、萩から江戸に約2カ月かけて軍艦で航海した際の日記「東帆録」が含まれる。下関市には、愛用の三味線などが寄贈された。奇兵隊の軍旗や療養生活中の和歌などもあり、いわば下関戦争から死に至るまでの激動の人生をともにした遺品群だ。遺品をめぐっては、晋作の墓がある寺「東行庵」(下関市)と高杉家などとの間で所有権の争いが続いていた。

藤原公任編纂の古文書の裏に”猿の顔”?の印

藤原公任編纂の宮中の古文書の裏に”猿の顔”?の印
 宮内庁は4月11日、平安中期の歌人、藤原公任が編纂した宮中の儀式の指南書「北山抄」の写本の裏に、猿の顔のような印が押されていることが分かったと発表した。目的などは不明で、同庁は様々な分野の人に印の意味を考察してほしい-としている。同庁が2004年、北山抄の写本を整理した際、2つの巻物から朱色の猿の顔のような印55カ所(縦約2㌢、横約2.5㌢)を発見。今年また別の写本でも裏に似たような大きさや形の墨色の印1カ所が見つかったという。

古墳時代の金色の馬具一式 福岡の遺跡群から

古墳時代の金色の馬具一式出土 福岡の遺跡群から
 福岡県古賀市教育委員会は4月18日、同市の谷山北地区遺跡群で、7世紀初頭前後(古墳時代末期)の金銅製の鞍など馬具一式が出土したと発表した。同市教委によると、馬具は7世紀初頭の直径約20㍍の円墳「船原3号噴」の入り口から約5㍍離れたところに掘った横5.2㍍、縦0.8㍍の穴に埋められていた。馬具は轡(くつわ)に手綱を結び付ける「引手」、鞍の金具、馬の背中を飾る「雲珠(うず)」、ハート形をした飾り金具「杏葉(ぎょうよう)」、ひもなどが交差した場所に付ける「辻金具」など多数。これらの馬具は馬を豪華に飾るのに使われていたと考えられ、全国的にも例が少なく、当時の葬送儀礼が分かる重要な発見としている。

ナスカで2人の人物 新たな地上絵発見 山形大

ナスカで2人の人物が並んだ新たな地上絵発見 山形大
 山形大は4月12日、世界遺産「ナスカの地上絵」で知られるペルーのナスカ台地で、2人の人物が並んだ地上絵を新たに見つけたと発表した。人物は縦約13㍍、横約7㍍で頭部が逆三角形のものと、縦約14㍍、横約12㍍で頭部が円形のものの2体。ナスカ台地周辺で出土した土器との比較などから、紀元前400年から同200年の間に描かれたと推定されるという。多くの地上絵は、地表の石などを取り除いてつくった「線」で描かれているが、今回の地上絵は小石を積み上げたり、取り除いたりして描かれていた。2011年に山形大の研究グループが発見し、ペルー文化省に報告。今月初めに学会で発表した。

4600年前、港の跡地発見 パピルス40巻も

4600年前、エジプト最古の港の跡地発見 パピルス40巻も
 エジプトのアリ文化財担当国務相は4月11日、大ピラミッドの建造で有名なクフ王(在位・紀元前2589~同2566年)の時代に使われた港の跡を発見したと明らかにした。エジプトで見つかった港としては最古のものと同国メディアが報じた。
港の跡はエジプトとフランスの合同チームが調査、北東部スエズの南方約180㌔の紅海沿岸で見つかった。シナイ半島から銅などを運び出すのに使われていたとみられる。船を係留するロープを結び付けるために使われていた複数の石も発掘された。また、アリ国務相は、現地でクフ王時代の日常生活の詳細が記されたパピルス40巻も発見されたと発表した。

隋の煬帝の墓か 中国江蘇省の工事現場で発見

隋の煬帝の墓か 中国江蘇省揚州市の工事現場で発見
 中国メディアによると、江蘇省揚州市の当局は、同市で約1400年前の隋王朝の皇帝、煬帝のものとみられる墓が見つかったと発表した。不動産開発の工事現場で偶然、広さ20~30平方㍍の石室2つが見つかり、うち1つから煬帝の墓であることを記した墓誌や、副葬品とみられる金をちりばめたベルトや銅製品などが出土したという。棺や骨は見つかっていない。

インドネシアから留学生誘致 ジャカルタ、バンドンでフェア

インドネシアから留学生誘致 ジャカルタ、バンドンでフェア
 4月19日、西ジャワ州バンドンのバンドン工科大(ITB)と、南ジャカルタのアトマジャヤ大学で20日、日本留学フェアが初めて開催された。この留学フェアには日本の専門学校3校、日本語学校8校、大学2校が参加した。バンドン工科大では約900人が来場。日本留学に関心を持つ高校生、大学生や親子連れが担当者の話しに熱心に耳を傾けていた。
 今回のフェアは、外国人向けに日本文化や日本語学校情報を提供する情報誌「キュートジャポン」(東京都渋谷区)が実施したもので、同社は中国、韓国からの留学生が激減する中、インドネシアに着目、学生誘致を本格化させる意向。また今回参加した日本の学校は、これまでインドネシアで開かれた留学フェアに参加し、手ごたえを感じて本格的にインドネシアで学生誘致活動を始めたところも多いという。
 日本語学校の東京ワールド外語学院は昨年のJASSO(日本学生支援機構)の留学セミナー以来、2回目。今後はジャカルタ近郊の高校を回り、誘致活動に力を注いでいく考えだ。アークアカデミーは、東京・代々木に学生寮「ムスリム・ハウス」を用意。ムスリムの生徒に配慮した施設を完備しており、インドネシアのムスリムの生徒誘致活動を積極的に進めるとしている。
 2012年5月時点のインドネシア人留学生数は前年比114人増の2276人で、国別ランキングで7位となっている。