月別アーカイブ: 2013年5月

EPAで来日したインドネシア人介護福祉士2人が現場で汗

EPAで来日したインドネシア人介護福祉士2人が現場で汗
 日本・インドネシア両国の経済連携協定(EPA)に基づく介護福祉士候補者の受け入れ事業で来日し、和歌山県内の特別養護老人ホームで働いていたインドネシア出身の女性2人が今春、国家試験に合格。EPAでは和歌山県内初の合格者となった2人はいま、日本の福祉の現場で日々奮戦、快い汗を流している。
 この2人は、和歌山県有田市宮崎町の特別養護老人ホーム「田鶴苑」で働くディナ・ディアナ・プスピタさん(26)さんと、御坊市名田町の特別養護老人ホーム「日高博愛園」で働くニケン・ヤスティ・プラティウィさん(27)さんだ。インドネシアではディナさんは助産師として働き、ニケンさんは小学校でコンピューターを教えていた。2人とも以前からアニメなど日本文化が好きだったこともあり、日本行きを決意したという。
 2人は2009年11月に来日。当初は故郷が恋しくなることも少なくなかった。また、2人ともイスラム教徒で信仰上、口にすることができない食品があるため、スーパーなどへ買い物に行ってもひとつ一つ、品質表示のチェックに想像以上に時間がかかった。それだけではない。言葉の問題もあった。来日前の集中研修で日本語の基本は学んだが、和歌山の方言の意味が分からず困ったという。しかし、入所者や周りの職員に教えてもらい徐々に慣れていった。
 入浴、食事の介助、レクリエーションなど2人の業務内容は幅広いが、ディナさんについて、彼女の指導にあたる田鶴苑の福島佳世子主任は「ディナさんはどんなときでも、いつも笑顔で、周りの職員にいい影響を与えてくれる」という。また、日高博愛園の女性入所者は「ニケンさんは優しくて、よく気が付く。インドネシアからきた人なんてことは少しも気にならない」と話している。
 2人は、これからも日本でいろいろなことを学びたいとし、そのうえでディナさんは「助産師の経験を生かした仕事にも幅を広げられたら」、ニケンさんは「インドネシアで介護の知識を広めたい」と意欲的だ。

シーラカンスの謎に迫る 福島の水族館がマナドで調査

シーラカンスの謎に迫る 福島の水族館がマナドで調査
 福島県いわき市の水族館「アクワマリンふくしま」の調査隊が5月28日、生きた化石と呼ばれる古代魚シーラカンスの謎に包まれた生態を調べるため、インドネシア・スラウェシ島北部、北スラウェシ州マナドに入った。同水族館は2005年にインドネシアで調査を開始、東日本大震災後も困難を克服して調査を続け、今回が節目の10回目だ。この間、06年に日本の研究チームとして初めてシーラカンスの撮影に成功、また09年にはシーラカンスの稚魚を世界で初めて撮影するなどの業績を残しており、今回は繁殖行動などの生態にさらに迫りたい-としている。
 調査隊には地元サムラトランギ国立大学内に昨年開設されたシーラカンス研究所のメンバーらも参加する。船上から操作できる自走式水中カメラを使ってマナド沖の深さ100~300㍍の海底にある洞窟でシーラカンスの撮影を目指す。調査は6月10日ごろまで続けられる。

インドネシアの劇団「en塾」が来春来日し初の日本公演

インドネシアの劇団「en塾」が来春来日し初の日本公演
 インドネシア人学生でつくる日本語ミュージカル劇団「en塾(えんじゅく)」の団員約50人が2014年4月来日し、2009年の結成以来初の日本公演に臨む。熊本県と東京都で公演した後、東日本大震災の被災地、福島県と宮城県を訪問する。以下、じゃかるた新聞が伝える概要を紹介する。
 en塾の日本公演が実現したのは、同塾の支援者が昨年、熊本インドネシア協会に同塾を紹介。関心を持った同協会から公演依頼があり、訪日が決まったもの。公演ではミュージカル「吾輩はニャンコである」の上演や、フィナーレには出演者全員で日本への応援曲「桜よ」を歌う予定。
 今年1月にインドネシアを訪問した際、安倍晋三首相は、ジャカルタで当初予定された演説の中でen塾を取り上げることになインドネシアの劇団「en塾」が来春、初の日本公演
っていた。しかし、日程変更により演説会が取り止めになった経緯がある。ただ、安倍首相は自身のフェイスブックページでも動画サイトのユーチューブに投稿されたen塾のオリジナル曲「桜よ」を紹介。再生回数が大きく増加した。
 「桜よ」は当初、ミュージカル用に制作され2011年3月10日に収録準備が整っていた。だが、翌11日の東日本大震災が発生したため、後半の歌詞を追加し、日本を応援する曲に生まれ変わった。作詞は同塾を指導する甲斐切清子さん、作曲は当時、劇団の団長だったファトリさんが担当。同年5月には日本を元気にしたいと同塾の団員と学生500人が大合唱し、復興への願いを歌に乗せた。甲斐切さんは4月10日に安倍首相に面会し、en塾が日本で公演することをとても喜んでくれた-と懇談の様子を笑顔で話している。

「縁日祭」のポップカルチャーイベントで若者が熱狂

「縁日祭」のポップカルチャーイベントで若者が熱狂
 既報の通り、5月25、26の両日、南ジャカルタ・ブロックMで開催された「第4回ブロックM・リトル東京縁日祭」は20万人を超える人出でにぎわったが、インドネシアの若者もここで行われたポップカルチャーイベントに熱狂していた。彼らにとりわけ熱い支持を得たのが、特設ステージで開かれた特撮ショーやアニメソングのカラオケ大会、コスプレコンテストなどだ。
 特撮ショーには仮面ライダーが登場。ショーはインドネシア語だが、決め台詞などは日本語が飛び出す。カラオケ大会には8組が参加し、全員が日本語の歌詞で人気アニメの主題曲などを熱唱した。コスプレコンテストは、来月の全国大会に向けたジャカルタ予選として行われた。13組が参加し、6枚の本大会への切符を争った。
 カラオケ大会の優勝者、ユサヤさん(20)は「優勝できてうれしい。コスプレやアニメソングを通じて、日・イが文化交流できるのは素晴らしいことだ」と喜びとともに、縁日祭の感想を語った。

日・イ建築家らが未来の住まいを考える第1回研究会

日・イ建築家らが未来の住まいを考える第1回研究会
 家に関わるウェブアンケートや研究会を通じて、ジャカルタの「未来の住まい」を考える「ATAP JAKARTA(HOUSE VISION INDONESIA)」実行委員会は5月26日、日本・ジャカルタの建築家、デザイナー、研究者らを招き南ジャカルタ・クマンで第1回研究会を開いた。
 ATAP JAKARTAは総合地球環境学研究所(RIHN、京都府)やデザイナーの原研哉氏が世話人を務めるHOUSE VISION、東京大学生産技術研究所の村松伸研究室などがインドネシアの建築家、デザイナーとともに結成。2013年は住まいに関するウェブアンケートの結果をもとにセミナーを月1度開催し、14年には現地企業や日本企業、デザイナーがジャカルタの住まいの形を考え、15年の展覧会開催を目指す。
 第1回研究会のテーマは「コンパクト」。研究会を主宰する林憲吾研究員(RIHN)は、都市の人口が増え高密化していく中で、大きな空間ではなく、限られた空間で豊かに住む方法を考える必要がある-と主旨を説明。一方で建築家タン・ティク・ラム氏は、インドネシアでは土地が大きければ、その土地のすべてに家を建てるように考える人が多いうえ、高層化するよりも平屋建てで増築する習慣があることをなどを説明した。

日・イ友好深める南ジャカルタの縁日祭に20万人超の人出

日・イ友好深める南ジャカルタの縁日祭に20万人超の人出
 日本料理店が集中する南ジャカルタ・ブロックMで5月25、26の両日、地区の活性化と日本・インドネシアの友好を深めることを目的とした「第4回リトル東京ブロックM縁日祭」が開かれた。かき氷や焼きそば、射的など日本の縁日につきものの屋台や様々なステージイベント、盆踊りなどが繰り広げられた会場は、主催者発表で過去最高の延べ20万人以上の人出でにぎわった。
 同縁日祭は地区内の日本人飲食店オーナーらが2010年から毎年開催。今回のテーマは「共に歩む(maju bersama)」。
好調なインドネシア経済を反映して日系企業の進出も増加し、地区の活気も増す中、「インドネシア在留邦人の景気動向を示す街」として、日本・インドネシア両国の人にさらに愛される街にしたいとの願いを込めた。
 25日の開会式では地元の子供によるアンクルン演奏に続き、インドネシア側のニザルマン・アミヌディ実行委員長が開幕を宣言。鹿取克章駐インドネシア大使や竹山健一参事官も顔をみせた。今回は昨年まで2カ所に分けていたステージを一つに統合し、会場の一体感を高めた。バンド演奏や沖縄のエイサー、高知よさこいなどの芸能からアニメソングのカラオケやコスプレの大会といったポップカルチャーまで、幅広い分野の催しがあり来場者を楽しませた。
 物品販売や地元飲食店による屋台も規模を拡大。昨年より20店増の150店が立ち並ぶ路上は大勢の人でごった返し、真っ直ぐ歩くのも難渋するほどの盛況ぶりだった。首都圏だけでなく、西ジャワ州バンドンなど遠方からの来場者もみられた。

ジョン万次郎の漂流記 写本100年ぶり戻り5/18から展示

ジョン万次郎の漂流記 写本100年ぶり戻り5/18から展示
 ジョン万次郎の漂流記「漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)」の写本の一つが、米国から約100年ぶりに日本に戻り、5月18日から7月19日まで「『漂巽紀略』に見る万次郎の世界展」で、万次郎に関する資料などとともに、高知県立坂本龍馬記念館(高知市)で展示されている。
 「漂巽紀略」は江戸時代末期、遭難の末に米国に滞在したジョン万次郎(中浜万次郎)が1851年に帰国した際、本人から聞き取った話を基に、土佐藩の絵師、河田小龍が様々な挿絵・図を施しながら執筆。万次郎が救助されたときの様子や米国での生活や文化が書かれている。原本は、当時の土佐藩・山内容堂に提出されたが、その行方は分かっていない。龍馬記念館によると、幕末に作られた写本は6つあり、このうち1つは記念館が保管。新たに展示されるのは別の写本で、米国のボストン港などの絵が多く含まれている。

全教科「甲」宮沢賢治の成績簿 母校の花巻小で発見

全教科「甲」宮沢賢治の成績簿 母校の花巻小で発見
 岩手県出身の詩人で童話作家、宮沢賢治(1896~1933年)の小学校時代の成績簿が、母校の花巻小学校(同県花巻市)で見つかった。成績は「甲」「乙」「丙」の3段階で評価されている。3、4年時は修身(道徳)、国語、算術、体操、操行(品行)の5教科すべてが最も優れた「甲」評価、5、6年時は日本歴史、地理、理科、図画、唱歌を加えた10教科がいずれも「甲」だった。1、2年時の記録は学校の火災で失われたとみられる。
 成績簿の内容は「校本 宮沢賢治全集第14巻」(筑摩書房、77年発行)にも掲載されているが、原本の確認は初めて。賢治没後80年の今年8月に花巻市の宮沢賢治記念館で公開される予定。賢治は1909年に花巻小の前身、花巻尋常高等小学校を卒業した。

平安時代の瓦に「西寺」の押印 京都・八幡の窯跡で発見

平安時代の瓦に「西寺」の押印 京都・八幡の窯跡で発見
 京都府埋蔵文化財研究センターは5月20日、京都府八幡市の美濃山瓦窯跡(8世紀~9世紀前半)で「西寺」と押印のある平安時代の瓦が1点見つかったと発表した。西寺は平安時代初めに東寺とともに平安京に建立された「国立寺院」。嵯峨天皇から空海に東寺、守敏に西寺が与えられたが、西寺は鎌倉時代には廃れたため、幻の官寺といわれる。 
 西寺跡(京都市南区)から出土した瓦片の押印と同じで、窯はもともとすぐそばの寺の瓦を焼いていたが、約15㍍離れた西寺のためにもつくっていたらしい。見つかった瓦は幅約17㌢、長さ約15㌢、厚さ約1.3㌢。「西寺」の押印がある瓦は、官営工房とされる坂瓦窯(大阪府枚方市)でもつくられていたが、今回出土したものとは書体が違う。

気仙沼の遺跡で縄文時代の大量のマグロの骨や石器出土

気仙沼の遺跡で縄文時代の大量のマグロの骨や石器出土
 宮城県気仙沼市教育委員会は、同市唐桑町にある波怒棄館(はぬきだて)遺跡の縄文時代(約5500年前)の貝塚から、大量のマグロの骨や刃物状の石器が出土したと発表した。石器の破片が刺さったままの骨もあり、貝塚周辺にマグロを解体する施設があった可能性があるとしている。マグロの骨には数十㌢ごとに切断した痕があり、骨の大きさから体長2㍍を超える大型マグロだったとみられる。
 同遺跡は三陸海岸の広田湾を見下ろす丘陵地にある。東日本大震災に伴う高台への集団移転用地になり、同市教育委員会が昨年10月から約6000平方㍍発掘していた。