月別アーカイブ: 2014年3月

「en塾」の60名の青少年4月訪日 東京・熊本で公演

「en塾」の60名の青少年4月訪日 東京・熊本で公演
 歴史、伝統、文化青少年交流・JENESYS2.0の一環として、インドネシア人学生による日本語劇団「en塾(えんじゅく)」に所属する約60名の青少年が、4月2日から10日までの日程で訪日する。東京では劇団「en塾」東京公演に参加するほか、劇団四季芸術センターを訪問し、同劇団員らと交流する。また、熊本を訪問し、熊本城を視察するとともに、「en塾」熊本公演にも参加する。その後、福島を訪問し、福島大学の学生と交流する予定。
 今回の交流を通じて、インドネシアの青少年がわが国の強みや魅力などの日本ブランドや、日本的な「価値」に関する理解と関心を深め、インドネシアへ帰国後、こうした日本の魅力を積極的に対外発信することが期待される。

日本大使館で104人の2014年4月渡日国費留学生壮行会

日本大使館で104人の2014年4月渡日国費留学生壮行会
 日本政府国費留学生として、104人のインドネシア人学生が4月に日本へ出発するのに先立ち3月28日、在インドネシア日本国大使館で午前中の渡日前オリエンテーションに引き続き、午後から壮行会が行われた。壮行会では冒頭、進藤公使があいさつ。日本滞在中の心構えや日本の習慣を踏まえたアドバイスのほか、日本滞在中に日本ならではの様々な経験をするとともに、日本の人々にインドネシアのことを紹介してほしいとのメッセージが伝えられた。
 また、学生を代表してアルマ・アマディアさん、レオナルドさんが日本留学の決意と抱負を述べた。このほか、学生のパフォーマンスとして、インドネシアの歌「タナー・アイル・ク(我が祖国)」と日本の歌「君がくれたもの」が披露され会を盛り上げた。
 留学生104人の内訳は研究留学生31人、学部留学生28人、高等専門学校23人、専修学校留学生22人。留学生には日本留学の経験を活かし将来、日本とインドネシアを結ぶ架け橋として両国関係のさらなる発展に貢献することが期待される。

「天正遣欧少年使節」伊東マンショの肖像画発見

「天正遣欧少年使節」伊東マンショの肖像画発見
 九州のキリシタン大名が16世紀後半にローマに派遣した「天正遣欧少年使節」を務めた伊東マンショのものとみられる肖像画が、イタリアで見つかった。調査にあたった北部ミラノのトリブルツィオ財団の担当者がこのほど、財団の学術誌に論文を発表した。肖像画は北部在住の同財団関係者が所有。絵の裏面には「Mansio」などと記されている。調査や鑑定の結果、1585年にマンショら遣欧使節が北部ベネチアを訪れた際、ルネサンス期のイタリア画家ティントレットの息子、ドメニコ・ティントレットが描いたものと判断した。
 肖像画のマンショは着物姿ではなく、スペイン風の衣装を着用している。天正遣欧使節は伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノの少年4人で、日本でのキリスト教布教の支援を得るために派遣された。85年3月、当時のローマ法王グレゴリウス13世に謁見し、90年に帰国した。

ダチョウ似の新種の恐竜の化石 米6600万年前

ダチョウ似の新種の恐竜の化石 米6600万年前
 米カーネギー自然史博物館などの研究チームは3月20日、米中西部の約6600万年前(白亜紀末期)の地層から、ダチョウをひと回り大きくしたサイズの恐竜の化石が見つかり、新属新種に分類したと米科学誌プロスワンに発表した。化石はノースダコタ、サウスダコタ両州で計3体分見つかった。体長は3.5㍍、体重は200~300㌔あったと推定される。頭の上部が薄い円盤状になっており、異性などにアピールする飾りだった可能性がある。前脚には大きな鋭い爪があり、尾が長い。骨格化石しか見つかっていないが、近縁種には羽毛があることから、羽毛が生えていたとみられる。これまで中国やモンゴルで化石が見つかっている「オビラプトル」類に近いという。
 ダチョウのような飛べない鳥に似た姿だったとみられ、学名は古代メソポタミア神話の怪鳥「アンズー」にちなんで「アンズー・ワイリエイ」と名付けられた。

建仁寺の「蘭渓道隆坐像」の像内から鎌倉時代の彫刻

建仁寺の「蘭渓道隆坐像」の像内から鎌倉時代の彫刻
 東京国立博物館によると、京都市東山区の建仁寺塔頭(たっちゅう)の西来院が所蔵する江戸時代前期の彫刻「蘭渓道隆坐像」の像内から、鎌倉時代に作られたと推定される古い蘭渓道隆像の頭部の一部が見つかったことが分かった。同館によると、造像当初から建仁寺にあった可能性が高いとみられる。建仁寺は応仁の乱などで何度も火災に遭い、鎌倉時代から同寺にある彫刻は失われたと考えられていたという。
 今回見つかった頭部は頬がそげ、口角が上がっている顔の特徴が、蘭渓道隆の存命中に描かれた肖像画などに似ており、同館は鎌倉時代に作られた頭部と推定した。西来院の像は、同館で3月25日から開かれる特別展「栄西と建仁寺」で展示。頭部は像内にあり、取り出せないため写真パネルで紹介する。
 蘭渓道隆は南宋出身の渡来僧。神奈川県鎌倉市の建長寺の開山で、後に建仁寺の住職を務めた。建仁寺は、日本に臨済宗を広めた栄西が1202年に開いた京都最古の禅寺。

「東寺百合文書」記憶遺産に推薦 政府15年登録目指す

「東寺百合文書」記憶遺産に推薦 政府15年登録目指す
 政府は2015年の記憶遺産登録を目指し、京都市の東寺に伝わる国宝「東寺百合文書」の推薦書をユネスコに提出したことを明らかにした。東寺百合文書は、奈良から江戸時代にかけての約2万5000点に及ぶ寺院運営に関する古文書で、各時代の状況を伝える貴重な資料。足利義満の直筆や織田信長の「天下布武」の印が入った文書などを含む。1997年に国宝に指定された。

京都府南部11カ寺が「京都南山城古寺の会」立ち上げ

京都府南部11カ寺が「京都南山城古寺の会」立ち上げ
 京都の中心部と奈良の二大観光地の影に隠れがちな京都府南部の11カ寺が3月25日、仏像や建造物などを共同でPRするため「京都南山城(みなみやましろ)古寺の会」を立ち上げた。浄瑠璃寺、酬恩庵(一休寺)、海住山寺、観音寺、蟹満寺(かにまんじ)など6~13世紀に創建された古刹で構成。浄瑠璃寺の九体阿弥陀如来坐像など、約40件の国宝・重要文化財を抱えている。

高松塚壁画,古墳に戻さず 石室復元を事実上断念

高松塚壁画,古墳に戻さず 石室復元を事実上断念
 文化庁は3月27日、奈良県明日香村の高松塚古墳(国特別史跡)の壁画保存問題で、国宝の極彩色壁画について、2017年度までかかる見通しの修理が終了した後も、当分の間は墳丘に戻さず、古墳の外で保存・公開するとの方針を決めた。保存する場所や方法などは、4月以降に検討する。
 壁画は07年に石室を解体して搬出し、古墳近くで修理中。同庁は従来、かびなどの影響を受けない環境を確保して現地に戻す方針だったが、現在の科学技術では困難と判断。復元を事実上断念することになったもの。ただ、遺跡の現地保存の原則は堅持する考えを強調している。

北ジャカルタの排水施設運転開始 日本のODAで実現

北ジャカルタの排水施設運転開始 日本のODAで実現
 インドネシアの北ジャカルタ・プルイットで3月27日、日本政府による16億5000万円の無償資金協力(ODA)で実現した、ジャカルタ特別州内から流れ込む水を海に汲み出す排水施設の改修工事が完了し、運転をを開始した。同日、施設を所有する公共事業省が記念式典を開き、ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)知事や日本外務省の三ツ矢憲夫副大臣、ヘルマント・ダルダク公共事業省副大臣らが出席した。じゃかるた新聞が報じた。
 この工事は2009年2月、排水施設3カ所のうち1カ所で、海水が建屋の地下を流れて調整池に逆流し、排水機能が失われたため行われた。地盤沈下で建屋の地下に空間が生まれたことが原因とみられた。このため、ジャカルタ特別州が改修工事を日本に要請。日本の無償資金協力で12年3月に着工し、2年間の工事で建屋とポンプを新設して排水機能を回復させた。海水の逆流から施設を守る防潮堤も現在建設中で、11月に完工する見通し。

インドネシア人135人受験し13人合格 看護師国家試験

インドネシア人135人受験し13人合格 看護師国家試験
 日本の第103回看護師国家試験の合格者が3月25日発表された。今回は、日本・インドネシアのEPA(経済連携協定)に基づき来日し受験したインドネシア人看護師候補者135人のうち、13人が合格した。今回も合格率は9.6%と伸び悩んだ。この結果、日本の看護師国家試験のインドネシア人合格者は累計で84人となった。また今回、フィリピンからEPAに基づき来日し、受験した看護師候補者145人のうち、合格者は16人だった。
 EPAに基づく看護師受け入れ事業事業を支援する国際厚生事業団の担当者は、日本語での医療専門用語の理解は難しく、「候補者に対する弱点分野を支援し、効果的な対策を講じる」としている。
 2008年から始まったEPAに基づく看護師・介護福祉士派遣事業で、日本側は13年までにインドネシアから440人の看護師候補者と、609人の介護福祉士候補者を受け入れた。その結果、介護福祉士の合格者は121人。14年は看護師候補者44人、介護福祉士候補者147人が訪日する予定だ。