興福寺の出城跡で”堀切り”跡見つかる

興福寺の出城跡で”堀切り”跡見つかる
 京都府木津川市教育委員会によると、興福寺(奈良市)の出城だった鹿背山(かせやま)城跡(京都府木津川市)で、敵が襲撃しづらくなるように、山の尾根をV字形に掘った”堀切り(ほりきり)”跡が見つかった。城の周辺には当時、寺の荘園があり、城は軍事的拠点として整備されたとみられる。堀切りは城の曲輪(くるわ)に向かう尾根で見つかり、最深8.3㍍、幅10㍍。寺側の文献には、1568年9月、戦国武将の三好氏の軍勢と遭遇して城に逃げ帰ったとの記述が残っている。こうした事態に備え堀切りを築造したとの見方が有力だ。