『I f 』24「天武天皇が天智天皇の同母弟なら『壬申の乱』はなかった」

『I f 』24「天武天皇が天智天皇の同母弟なら『壬申の乱』はなかった」
 いささか唐突に受け止められるかも知れませんが、天武天皇(当時は大海人
皇子)が天智天皇の同母弟なら、古代史上最大の内乱「壬申の乱」(672年)は
起こらなかったでしょう。

天武天皇は天智天皇の同母弟ではなかったから「壬申の乱」が起こった
 読者の方には、「何を言っているんだ。現実に天武天皇は天智天皇の同母
弟ではないか」といわれそうですが、私たちが教科書で学んだ、いわゆる
“正史”ではその通りですが、真実は恐らく違うと思います。違うから、同
母弟ではなかったから「壬申の乱」という戦乱が起こったのだと思います。
作家の井沢元彦氏ら何人かの人が指摘していることですが、天武天皇と天
智天皇は同母兄弟ではなく、天武の方が天智より年上だったのでしょう。
しかも、天武は大和朝廷の実力者だったが、天智の正統な後継者ではなか
ったということです。

天武は正当な後継者でも「年下」でもなかったから戦乱になった
 天武が正統な後継者で「年下」なら、「年上」の天智が自然死するのを待
って、それから皇位奪取にかかればいいわけです。さらには『日本書紀』が
伝えるような、天武(当時は大海人皇子)が急ぎ出家し間一髪、吉野に逃れ
るという切迫した場面に遭遇することはなかったはずです。だが、天武が年
上で、正統な後継者でもないとしたらどうでしょう。悠長に構えてはいられ
ません。

天武は天智が4人の娘を嫁がせても味方につけておきたい実力者
 また、天武は天智がぜひとも味方につけておきたい実力者でした。だから
こそ、天智は自分の娘を4人も次々と天武(当時は大海人皇子)に嫁がせて
いるのです。この中で最も有名なのが鸕野讃良(うののさらら)皇女(後の持
統天皇)です。この時代、近親結婚は珍しくなく、叔父と姪の結婚も決して
タブーではありません。しかし、どう考えても4人も「兄」の娘をもらうと
いうのは尋常ではありません。極めて異例です。むしろ、これは天武と天智
の二人が兄弟ではなかったことの有力な傍証といえるでしょう。

『日本書紀』が天武の年齢を明記していないのは年上を隠すため
 ご存知の方は多いと思いますが、実は歴代天皇の中で天武天皇だけが『日
本書紀』に年齢が明記されていません。これは、天智と天武が本当の兄弟で
はないことを隠すためと、天武のほうが年上だということを隠さなければな
らなかったからなのです。
 後に整理し再構築されたものとは明らかに異なる、このような様々な裏事
情があったからこそ、天智の子、大友皇子と大海人皇子との間で平和的な協
議で決着をつけることはできず、皇位継承をめぐる戦乱「壬申の乱」が必要
だったということです。