月別アーカイブ: 2014年3月

地域に根付くイ留学生支援組織PPI京都・滋賀支部

地域に根付くイ留学生支援組織PPI京都・滋賀支部
 外国人留学生にとって、物心両面で何よりも心強いのが留学先にある自国の支援組織だ。そんな組織の一つ、インドネシア留学生協会(PPI)京都・滋賀支部。同支部は、京都大学農学部などの留学生が中心となり、1999年設立された。それ以来15年、京都大、立命館大、同志社大などへ通う、京都・滋賀に住むインドネシア人留学生同士のつながりを強化し、助け合う組織として、この地に見事に根付いている。
 同支部の機能は幅広い。新留学生にはアパート探しや電化製品の購入などでアドバイスしたり、時には同行もする。これによって、来日間もない新留学生の異郷での食および、日々の暮らしへの不安が解消されるという。4月には新入生の歓迎パーティーを開催し、市内の大学や日本語学校に通うインドネシア人留学生が大勢集まる。そこで先輩だけでなく、同年代の友人がつくれて安心感を覚えるというわけだ。このほか、京都に留学予定のインドネシア人留学生向けにホームページも開設している。
 PPIが力を入れるイベントの一つが、2年に1度開くインドネシア文化を紹介する「インドネシアの夕べ」だ。2013年8月に京都市内の国際交流会館で開催し、関西地域に住むインドネシア人や日本人が数多く詰めかけた。ミナンカバウ(西スマトラ)舞踊や伝統楽器アンクルンの演奏を披露した。このイベントの収益金はパプア州内の辺境地の児童図書館資金に使われたという。
 PPIの詳報はホームページ http://www.ppi-kyoto.org/

沖縄県が航空網強化へチャンギ空港と相互連携協定締結

沖縄県が航空網強化へチャンギ空港と相互連携協定締結
 沖縄県とシンガポールのチャンギ・エアポート・グループ(CAG)は3月25日、航空ネットワークを強化するため相互協力連携協定を結んだ。仲井真弘多・沖縄県知事とCAG元最高経営責任者(CEO)のウォン・ウンリョン上級顧問が協定に調印した。沖縄県が海外の空港と連携協定を結ぶのは初めて。
 シンガポール-沖縄の直行便の誘致や東南アジアやオーストラリア、インドなどからの観光客誘致、航空物流の促進が狙い。CAGと沖縄県は今後、チャーター便の就航を目指し、直行便につなげたいとしている。沖縄タイムスなどが報じた。
 那覇空港国際線ターミナルビルで開かれた調印式に出席した仲井真知事は「東南アジアのハブとしてのシンガポールの航空ネットワークを活用して、アジアと沖縄の交通網が密になるよう期待する。観光国際物流の拠点となるよう交流を深めたい」と語っている。チャンギ空港の2011年の利用者は4600万人。現在100社の航空会社が就航し、約60カ国220都市と結ばれている。

PPIJ理事長・ゴーベル氏に中央大が名誉博士号を授与

PPIJ理事長・ゴーベル氏に中央大が名誉博士号を授与
 中央大学(東京都文京区)は3月24日、1987年に同大商学部を卒業したインドネシア日本友好協会(PPIJ)のラフマット・ゴーベル理事長(51)に名誉博士号を授与した。長年の日本・インドネシアの友好促進に尽力した功績を評価した。贈呈式にはゴーベル氏の恩師やユスロン・イフザ・マヘンドラ駐日大使らが出席した。2002年の拓殖大学(同)の名誉博士号授与に続いて2度目。
 ゴーベル氏は「大学で学んだことが今の自分の土台になっている。日・イの懸け橋として、これからも貢献していく」と強調、「国の発展に貢献できる人づくりに尽力したい」と語っている。同氏は2011年の東日本大震災後、PPIJ理事長としてユドヨノ大統領に付き添って被災地の宮城県気仙沼市を訪問。元日本留学生協会(プルサダ)から集めた義援金2000万円を寄付している。

パナソニックがODAで太陽光独立電源を小学校に納入

パナソニックがODAで太陽光独立電源を小学校に納入
 パナソニック エコソリューションズは3月25日、新興諸国などに多く存在する無電化地域向けの太陽光独立電源パッケージ「パワーサプライコンテナ」を開発したと発表した。
 また、今回このパッケージを電源とするプロジェクト「中部ジャワ州カリムジャワ島における電化促進による初等教育環境改善と貧困削減計画」が、在インドネシア日本大使館の「草の根・人間の安全保障無償資金協力」を活用した官民連携案件に採用され、24日にジャカルタで署名式を行ったことを明らかにした。このプロジェクトでは、離島地域の教育環境改善を目的に、電源システムをカリムジャワ国立第一小学校へ納入することも決まった。
 パワーサプライコンテナは、太陽電池と鉛蓄電池に加え、新開発のエネルギーマネジメントシステム「パワーサプライコントロールユニット」を搭載している。

29人が参列 日本人納骨堂で恒例の春の合同慰霊祭

29人が参列 日本人納骨堂で恒例の春の合同慰霊祭
 ジャカルタ・ジャパン・クラブ(JJC)は3月21日(金)、中央ジャカルタ・プタンブラン墓地内の日本人納骨堂で恒例の春季慰霊祭を執り行った。午前10時30分から行われた慰霊祭には29人が参列。縁者の記憶をたどり、在りし日の姿を思い起こして偲び、想いを新たにした。この慰霊祭は毎年、春と秋の2回、執り行われている。
 プランブラン墓地内の日本人納骨堂には277名の名前が過去帳に掲載されている。年代の内訳は明治35名、大正67名、昭和以降154名、時代不詳21名。 

神戸の「FMわいわい」シナブン山で災害ラジオ局支援

神戸の「FMわいわい」シナブン山で災害ラジオ局支援
 神戸の「FMわいわい」(神戸市長田区)はこのほど、インドネシア北スマトラ州カロ県のシナブン山のバトゥカラン村とプルトゥグヘン村で緊急災害ラジオ局の開設支援を開始した。これは災害支援の国際NGO「ジャパン・プラットフォーム」の支援を受け、インドネシアの協力団体(COMBINE Resource Institution、インドネシアコミュニティラジオ協会=JRKI、Lintas Merapi FM)とともに行う。東日本大震災やジャワ島中部のメラピ火山の被災地での経験を活かした、日本とインドネシアの共同支援活動だ。
 今回はシナブン山の川沿いの村に監視ポストを設置し、住民が無線で「生の災害情報」をラジオ局や役場に伝える仕組みをつくる。番組制作や機材操作も住民が担い、NGOとともに運営手法や番組制作ノウハウのトレーニングを実施する。住民全体で災害情報を発信し、地域に根付いたラジオ局づくりを目指す。被災者にラジオ受信機計1000台を配布する予定で、3月23日には500台がカロ県に届けられた。じゃかるた新聞が報じた。
 シナブン山は2月、火砕流が発生し住民16人が死亡するなど現在も活発な火山活動を繰り返している。インドネシア火山地質災害対策局(PVMBG)は、2013年11月以来、警戒レベルを最高のアワス(避難準備)に設定。周辺住民1万5000人が現在も避難生活を送っている。

駐日インドネシア大使館で川畑・五輪が「心の友」披露

駐日インドネシア大使館で川畑・五輪が「心の友」披露
 活動休止中のCHEMISTRYの川畑要さんが3月18日、東京・品川のインドネシア大使館で、ユスロン駐日インドネシア共和国全権大使や安倍晋三首相の妻、昭恵夫人らが見守る中、五輪真弓さんと初デュエットで、インドネシアでは”第2の国家”ともいわれる五輪さんの名曲「心の友」(1982年)を披露した。
 きっかけは、川畑さんがカバーした「心の友」が、インドネシアで日本文化を紹介するテレビ番組『Kokoro No Tomo POP!』の主題歌に取り上げられたことで、今回の2人の初デュエットが実現した。2004年のスマトラ沖地震では復興ソングとしても幅広く歌われたこの曲を、2人は優しく、そして力強く歌い上げ、両国からのゲストを魅了した。川畑さんは「日本とインドネシアのさらなる文化交流と友好関係の絆が深まるよう、これからも歌い続けたいと思います」と語っている。

KBIジャパンクラブが地元小学校8校へ備品寄贈

KBIジャパンクラブが地元小学校8校へ備品寄贈
 西ジャワ州プルワカルタ県とカラワン県にまたがるコタ・ブキット・インダ(KBI)工業団地に入居する日系企業で構成するKBIジャパンクラブは3月20日、周辺の小学校8校にゴミ箱やホワイトボードなどを寄贈した。これは同クラブが、地元の教育施設に対して行っている支援活動の一環で、今回が25回目。じゃかるた新聞が報じた。
 今回は所属企業13社から日本人8人が参加し、周辺の8つの小学校へそれぞれ、ゴミ箱4個とホワイトボード3~6個、ホワイトボード用マーカーなどを寄贈した。また、参加者は今回、イラストや写真で作った紙芝居で、ゴミの分別の意義を啓蒙、指導し、集まった児童らは歌のプレゼントで歓迎した。

没後450年 三好長慶の座像建立へ 脱「悪役」イメージ

没後450年 三好長慶の座像建立へ 脱「悪役」イメージ
 大阪府堺市のまちづくり団体「堺・ちくちく会」は戦国武将、三好長慶(1522~64年)の初の座像建立計画を進めている。没後450年にあたる今年7月にゆかりの南宗寺(堺市堺区)に建てたい意向だ。
 三好長慶は織田信長に先立ち、戦国時代に京都と大阪、四国東部の9カ国(阿波、讃岐、淡路、摂津、和泉、河内、丹波、山城、大和)を支配。一時は足利将軍家を京都から追放し、約15年間、実質的に中央政権を担った武将だ。連歌にも堪能で品格のあった人物だが、将軍を一時追放したことに加え、長慶の没後、後を継いだ三好一族らが、十三代将軍・足利義輝を殺害したことで、”下克上”の代表格とされ、「悪役」イメージがある。このため、堺・ちくちく会では、少しずつ長慶の悪役イメージを変えていきたいとしている。
 だが、没後450年を迎え長慶が統治した大阪(堺市、高槻市)、四国東部(徳島県)などで彼の事績、功績や人物像の見直し機運が高まっている。一般に戦国時代から既成秩序の破壊、否定などの面で織田信長がその代表と目されているが、実は信長に先んじて先見性のあったのが長慶と捉える見方が、いま大きく浮上している。
 長慶が初めて足利将軍家を擁立せずに、自分の力で京都、すなわち首都を支配。天皇も足利将軍家を通さず、長慶と相談し元号を変えている。堺の掌握にみられる都市・流通政策の重視やキリスト教の保護、茶の湯を含めて、信長が推進したことの原型を長慶がやっているのだ。

一茶が妻を気遣う手紙など新資料を公開 記念館

一茶が妻を気遣う手紙など新資料を公開 記念館
 長野県信濃町にある一茶記念館は3月19日、小林一茶(1763~1827年)が妻きくに宛てた手紙と俳句など計44点の新資料が貼られた折り本を報道陣に公開した。手紙は病弱な妻の体調を気遣い、具合が悪くなったときに備えて、自分の出先の連絡先を伝えている。一茶が江戸から故郷に戻り、信濃町を拠点に活動していた1817年か1820年のいずれかに書かれたとみられる。俳句の弟子を訪ねて回っていた一茶が長野市の善光寺から、信濃町柏原の自宅にいる妻に送った。
 折り本「柏原雅集」は信濃町の問屋、中村利貞が明治時代に作成し、新たに見つかった9句を含む俳句や、知人と詠んだ連歌が書かれた和紙を厚紙18㌻に貼り付けてある。見つかった資料は、一茶が33~65歳の作品で、年齢の変化による筆跡の変遷も分かる。