私説 小倉百人一首 No.10 蝉 丸

蝉 丸
※伝説中の人物。

これやこの行くも帰るも別れては
       知るも知らぬも逢坂の関

【歌の背景】逢坂の関は山城国から近江国へ出る道にある関所で、美濃国の不破の関、伊勢国の鈴鹿の関、越前国の愛発(あらち)の関の、いわゆる三関のうち愛発の関に代わって三関の一つになった。のち「関」といえば逢坂を指すほど名高くなった。したがって交通量も多く、都から地方へ、地方から都への人の行き来は激しかったことであろう。ここを往来する人たちの姿を捉えて対句と、掛詞を使い、調子よく歌い上げている。

【歌 意】これがすなわち、都から地方へ行くものも、地方から都へ帰るものも互いに別れては逢い、また知っているものも知らないものも逢うという逢坂の関ですよ。 

【作者のプロフィル】伝説中の人物で、その生涯の確かなことはほとんど分からない。「今昔物語集」では逢坂の関に住む盲人で雑色として式部卿の宮に仕えていた間に聞き覚えた琵琶の秘曲を源博雅に伝授したと語られ、鴨長明の「無名抄」には出家前の遍昭が和琴を習いに関の蝉丸のもとに通ったと伝えるが、博雅と遍昭では時代に隔たりがありすぎ信憑性に欠ける。ただ、それだけに蝉丸が古くから伝承的人物だったことをうかがわせる。