西ジャカルタで気仙沼市の被災主婦が作った布製品の展示会
東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の主婦がつくった布製品の展示会が5月17日、西ジャカルタのテキスタイル博物館(JI.KS Kuban No.2-4 Petamburan)で開幕、31日まで実施されている。開館は午前9時~午後3時(月曜、祝日休館)。出展した布製品を制作したのは、気仙沼市工房「MAST帆布KESEN-NUMA」、「coco唐(ここから)」に参加する12人の主婦。展示品は18日から販売され、展示期間後、購入者に引き渡される。
会場はテキスタイル博物館本館の右側から奥に入り、右にある建物の2階で、錨(いかり)のマークが入った帆布、大漁旗を模した布地などでつくられたカバンやポーチなど60点を展示。制作風景や気仙沼の被災地、ユドヨノ大統領の訪問時の様子、昨年行われたインドネシアパレードの写真などが飾られている。
国際協力機構(JICA)の専門家として、アチェ津波支援で土地登記簿の修復に携わり、今回の展示会の立案者の坂本勇さん(65)は「このようなグループが被災地には50以上あるが、大統領が訪問するなどインドネシアと縁が深い気仙沼を選んだ。被災者が自助自立するという発想を『輸出』したい」との意気込みを語っている。
開幕式には日本大使館の島田順二公使、インドラ・リアワン館長ら約35人が出席。ジャカルタ特別州のティニア・ブディアティ観光文化副局長は「文化は政治や経済の壁を打ち破る力を秘めている。物理的な支援以上に精神的な関係を深めることができる良い機会だ」と述べ、展示会を通じた両国の人的関係の促進に期待を示したのがとりわけ印象的だった。
「アジア-国際交流」カテゴリーアーカイブ
「コマ大戦」模擬大会を実施 金型工業会が年次総会
「コマ大戦」模擬大会を実施 金型工業会が年次総会
国内金型産業を振興するインドネシア金型工業会(IMDIA)は5月16日、東ジャカルタの松下ボゴール教育財団(YPMG)施設内で年次総会を開いた。総会後、12月にジャカルタで開催予定の産業見本市「インドネシア・マニュファクチャリング・エキシビジョン」内でIMDIAが行うイベント、円錐形の台の上で金属製のコマを戦わせ、回転時間の長さを競う「コマ大戦」の模擬大会を実施した。
模擬大会は、直径2㌢未満の金属製コマを使用。相撲風の呼び出しで紹介された参加者8人がトーナメント形式で戦った。参加したインドネシア人会員の中には、コマ回しに初めて挑戦し、すぐにこつを掴む人もおり、観客は行事役の判定に一喜一憂し、対戦を見守った。12月の本大会では、参加者は直径2㌢未満の規定の中で、コマの素材や重さを工夫するなど設計や製造技術を競う。
IMDIAは発足から7年を迎え、会員数は初年度から3.5倍増の364に伸びた。総会では高橋誠会長が2012年度の活動状況を報告。金型金額でみた現地調達化率は45%を記録した。ほかに、インドネシア人技術者育成活動などが報告され、13年度の予算が承認された。
アイシン労組26人がダルマ・プルサダ大学生40人と交流
アイシン労組26人がダルマ・プルサダ大学生40人と交流
自動車部品大手のアイシングループのアイシン労働組合26人が、5月14~18日の日程で実施しているジャカルタ視察の一環で15日、東ジャカルタのダルマ・プルサダ大学を訪れ、日本語学科の学生と討論会に臨んだ。以下、じゃかるた新聞のルポをもとにその一部を紹介する。
昨年に続き今回が2回目。大学からは学生40人が参加した。学生を代表してクユさん(20)が冒頭「昨年参加した討論会で、親身に日本語を教えてくれたのが印象的でした。再会できてとても感激した」と語った。組合員と学生が交互に座り、自己紹介。当初、緊張した雰囲気だったが、徐々に打ち解けていった。
今回はインドネシアの大学生の学習意欲や将来設計など、幅広いテーマについて情報交換した。学生からは日本の労働環境やアイシングループについて質問があった。これに対し、「休日の余暇を充実させることで、仕事にも良い影響があるため、会社の有給制度をうまく活用している」「アイシンは自動車部品の会社で、世界各地に展開している会社。将来は一緒にインドネシアで仕事をしましょう」などと応じた。
訪問団と学生はその後の夕食会でも交流を深めた。現地の文化や雰囲気を肌で感じることは、相互理解を深めるうえで何事にも変え難い体験だろう。17日には学生の家庭を訪問する予定。
落第候補を二人三脚で全国優勝に導いた青年協力隊の後藤さん
落第候補を二人三脚で全国優勝に導いた青年協力隊の後藤さん
国際協力機構青年海外協力隊の陸上競技指導者として派遣されている元高校非常勤講師の後藤知宏さん(27、兵庫県出身)の教え子、ムハマド・ニザールさん(17)が先月、ユースクラスの110㍍ハードルで全国優勝した。ニザールさんはジャカルタ特別州選抜の強化メンバーに選ばれながらも、思うように成果が出ず落第候補筆頭だった。それだけに今回二人三脚で掴んだ栄光は、「落ちこぼれ」の汚名返上するとともに、任期を5月26日に終える後藤さんへのプレゼントになっただけでなく、二人にとって大きな自信になった。
南ジャカルタ・ラグナンの体育学校に2011年1月に入学したニザールさん。将来を有望視される選手が集まる全寮制の中高一貫校で、学費や食費は無料。家計に負担をかけず、得意の短距離を磨けるとあり、張り切っていた。ところが、きつい練習についていけない。記録も伸びず、指導者からは「選抜をクビにする」と半ば見放される状態で、親には退学の意思も打ち明けていた。後藤さんが着任したのはその1カ月後。選抜チームでは計25人の選手を8人で分担して指導するが、成果を出すと賞与が出るため、指導者間で選手獲得競争が激しい。後藤さんは事情がよく分からないまま自動的にニザールさんを任された。「押し付けられたと思った」というのが正直な感想だった。いざ練習を始めても、周囲は2人の練習を懐疑的に見ていた。
後藤さんがニザールさんに施した指導法は短距離に的を絞った練習メニューと、徹底したコミュニケーションだった。「スタミナ」を重視するインドネシアでは、短距離選手であっても長時間の走り込みが当たり前で、常識では考えられない指導法だった。当然、同僚コーチから批判的な声が漏れ出し、逆にそれが闘志を燃やす材料になった。日記形式の練習記録にコメントを付けたほか、積極的に話しかけ外出時も一緒に過ごした。結果、指導開始から4カ月後の州大会では、短距離、ハードルともに総なめ。その後もめきめき記録を伸ばしていったのだ。
今回の成果を受けて「自分の指導に自信が持てた」と語る後藤さんは、今後も指導者としての道を歩みたいと、志を新たにしている。
J2ネット・FLSが日・イで石鹸づくりで障害者の就労支援
J2ネット・FLSが日・イで石鹸づくりで障害者の就労支援
邦人ボランティア団体、J2ネットはインドネシアと日本で、障害者の就職支援を行う非政府組織(NGO)フルライフサポート(FLS)と協力し、手作り石鹸の製作・販売を通じた障害者の就労支援計画を進めている。両団体が互いの得意分野を生かして長期的に継続可能な支援をする試みだ。(以下、じゃかるた新聞に紹介された要旨を記す。)
手作り石鹸の販売を通してJ2ネットの奨学金支給活動に参加していた福崎令奈さんは、FLSの松田千恵子代表と意気投合し就労支援計画を立ち上げた。J2ネットの堀芳美さんの紹介で、精神・身体障害児の教育・リハビリテーションを行うNGOの障害児童育成財団(YPAC)の利用者に対し、J2ネットが石鹸づくりを指導し、FLSが就労支援体制の構築・トレーニングを担当することを決めた。
J2ネットのメンバーのほとんどは駐在員夫人たちで入れ替わりガ激しく、支援を継続することが難しく大きな課題だった。だが、FLSと連携することで継続可能となる。FLSは材料費などを先行投資し、石鹸販売の利益から製作者への給料を支給。仮に赤字になったとしても、FLSの他事業からの収入で補えるという。FLSにとっても障害者の就労支援が拡大するメリットがある。
数週間後には参加者の中からリーダーを決め、組織体制をつくる。その後、日本へ帰国した福崎さんから引き継いだJ2ネットメンバーの清水おり恵さんと田熊明子さんの指導者の下、石鹸づくりをトレーニングし、ジャカルタ日本祭りなどでの販売を目指すという。
大阪で日・イ国交樹立55周年記念しバリ舞踊・音楽公演
大阪で日・イ国交樹立55周年記念しバリ舞踊・音楽公演
日本・インドネシア国交樹立55周年の記念イベント、「ワンダフル・ジュンブラナ・バリ・オブ・インドネシア」と題したバリ州ジュンブラナ県のバリ舞踊・音楽公演が4月30日、午後6時~同8時まで2時間にわたり、大阪市天王寺区の大阪国際交流センター・大ホールで開催された。会場は中高年者を中心に、ホール満杯の1000人を超える観客であふれた。
バレンガンジュールパレードでオープニング。在大阪インドネシア共和国総領事、イブヌ・ハディ氏のあいさつ、橋下徹・大阪市長のあいさつ(代読)の後、二部構成で行われた。
第一部はゲストとして招かれ特別出演したパシール・ビンタングループ、女性6名によるアンクルン竹製伝統楽器による演奏。様々な竹資源が豊富なインドネシアならではの楽器だ。木管風に組まれた竹をはじめ、いろいろな竹製の伝統楽器による素朴な音感が曲目と相まって、ノスタルジックな雰囲気を醸し出していた。「ふるさと」「赤とんぼ」「われは海の子」などの日本の子供の歌のメドレー、インドネシアの子供の歌のメドレー、そして沖縄の「島唄」、「千の風になって」、さらにインドネシアの歌、数曲が演奏された。
第二部はジュンブラナ県舞踊団による公演。クンバンヨワナ舞踊、サトリアニンストリ舞踊、タブークレアシ舞踊、プトペンガントリアンガ舞踊、ジェジョゲダン舞踊の演目で、終盤は演者が数人の観客を舞台上に上げ、手拍子に合わせ即興の手振りで踊るなど観客と舞台が一体化し、会場は大きな盛り上がりをみせた。
今回のジュンブラナ県のバリ舞踊・音楽公演は、在大阪インドネシア共和国総領事館が主催、バリ州ジュンブラナ県および公益財団法人 大阪国際交流センターが共催、ガルーダ・インドネシア航空会社の後援で行われ、バリ州ジュンブラナ県の素晴らしさを強くアピールした。
インドネシア・マカッサルだより-14年に松江市と姉妹都市に
インドネシア・マカッサルだより-14年に松江市と姉妹都市に
2カ月半ぶりに、南スラウェシ州マカッサル市在住の竹内ロビーさんから
近況をレポートしていただきました。
2014年、松江市とマカッサル市が姉妹都市に
4月20日(土)にマカッサルの日本人会の総会がありました。東本所長(在
マカッサル出張駐在官事務所領事)のあいさつの中にあったのですが、現在
インドネシアにおける日本人はジャカルタ周辺でのみ、増えているのだそう
です。前回のレポートでも触れましたが、ここスラウェシ州では在住日本人
は年々減少しています。
しかし、今回の日本人会は私たちにとって明るい話題もありました。現在
いくつかの自治体との間で交流案件が進行していると聞きました。詳細につ
いてはまだオープンにできないようでしたが、現在、愛媛県など数県の自治
体と、スラウェシ市との交流が進んでおり、2014年に島根県松江市とマカッ
サル市が姉妹都市になるそうです。
これからはマカッサルを訪れる日本人も増加するように思われるため、日
本人会としても、できる限りの支援をしていきましょうとの話でした。
今後見込まれる東部インドネシアの発展
これからのインドネシア経済のカギを握るのは、スラウェシ、ボルネオ島
カリマンタン、マルク諸島、ニューギニア島パプア(旧称イリアン)などで、
これら東部インドネシアの発展、躍進が見込まれています。これらの地域で
はいま空港の拡張やインフラ工事が進んでいます。
マカッサルでみていると、ホテルの建設が多いのに驚きます。ビジネスホ
テルから四ツ星クラスまで、そんなに多くのホテルができて経営面で本当に
やっていけるのかと思うくらいです。確かにマカッサル郊外のハサヌディン
国際空港は、24時間空港として終日多くの人で混雑しています。
インドネシアから留学生誘致 ジャカルタ、バンドンでフェア
インドネシアから留学生誘致 ジャカルタ、バンドンでフェア
4月19日、西ジャワ州バンドンのバンドン工科大(ITB)と、南ジャカルタのアトマジャヤ大学で20日、日本留学フェアが初めて開催された。この留学フェアには日本の専門学校3校、日本語学校8校、大学2校が参加した。バンドン工科大では約900人が来場。日本留学に関心を持つ高校生、大学生や親子連れが担当者の話しに熱心に耳を傾けていた。
今回のフェアは、外国人向けに日本文化や日本語学校情報を提供する情報誌「キュートジャポン」(東京都渋谷区)が実施したもので、同社は中国、韓国からの留学生が激減する中、インドネシアに着目、学生誘致を本格化させる意向。また今回参加した日本の学校は、これまでインドネシアで開かれた留学フェアに参加し、手ごたえを感じて本格的にインドネシアで学生誘致活動を始めたところも多いという。
日本語学校の東京ワールド外語学院は昨年のJASSO(日本学生支援機構)の留学セミナー以来、2回目。今後はジャカルタ近郊の高校を回り、誘致活動に力を注いでいく考えだ。アークアカデミーは、東京・代々木に学生寮「ムスリム・ハウス」を用意。ムスリムの生徒に配慮した施設を完備しており、インドネシアのムスリムの生徒誘致活動を積極的に進めるとしている。
2012年5月時点のインドネシア人留学生数は前年比114人増の2276人で、国別ランキングで7位となっている。
「ジャワうなぎ」を日本へ スカブミ県の養殖場に熱い視線
「ジャワうなぎ」を日本へ スカブミ県の養殖場に熱い視線
インドネシア・西ジャワ州で養殖された「ジャワうなぎ」の日本輸出を目指すプロジェクトが着実に進行している。じゃかるた新聞によると、インダスト(熊本県玉名市)が西ジャワでウナギ養殖を始めて7年目。同国では数少ないウナギの養殖業者で、かば焼き加工までを手掛ける。2011年から供給開始し、日本食レストラン向けなど同国内に毎月3㌧程度出荷している。
西ジャワ州スカブミ県プラブハン・ラトゥ。総面積2㌶に、藻の発生を防ぐ遮光テントが一面に広がる。そんなインド洋沿いの閑静な港町にあるこの養殖場がいま注目を集めている。インドネシア全国から水産業者が手法を学びに訪れ、昨年11月にはシャリフ・チチップ・スタルジョ海洋水産相も視察したという。近年、ウナギ生産の大半を占める日本、中国、台湾などで一般的な食用ウナギ「ニホンウナギ」が激減。インドネシアが「世界で最後の稚魚市場」(中川勝也・インダスト社長)と目されるからだ。日本の農林水産省の統計によると、日本の漁獲量ベースで過去10年間にニホンウナギは5割以上減少した。そして、今年2月には環境省はニホンウナギを絶滅危惧種に指定し、保護に乗り出している。
インダストによると、世界で確認されているウナギの仲間18種のうち、7種が生息するインドネシア近海がウナギ発祥の地だと考えられており、稚魚は豊富だという。同社では、インドネシアで独自に進化を遂げた「アンギラ・ビカラー種」の味や大きさが、ニホンウナギ(ジャポニカ種)に近いことに注目。生け簀の設計や水質管理など日本式養殖技術を駆使、稚魚から成魚までの養殖に成功した。そして「ジャワうなぎ」という商品名を付け、現在日本への輸出に向け試行錯誤を続けている。すでに、日本のコンビニや流通業者からのオファーが入っている。
ただ、ニホンウナギと比べると、皮が少し厚く口に残るなど、日本人の口に合うウナギにはまだ課題があり、改良が必要だという。だが、「ジャワうなぎ」が日本の食卓に乗る日はそう遠いことではないようだ。
野中氏が海軍野球チームを指導 代表監督の再登板に意欲
野中氏が海軍野球チームを指導 代表監督の再登板に意欲
2007年から10年まで野球のインドネシア代表監督としてアジアカップで初優勝に導いた野中寿人氏が、今月から東ジャワ州スラバヤのリトルリーグチーム「VIO」と、海軍軍人チーム(1年契約)の指導を始めた。2015年の東南アジア選手権(SEAゲーム)シンガポール大会で代表監督の再登板を目指す考えを明らかにした。同氏によると、自身が運営するチームを除き、外国人がクラブチーム、軍隊チームを指導するのはそれぞれ初めて。
海軍チームでは素質のある選手を発掘・育成し、代表チームに送り出すことを目標にする。VIOではコンサルタントという立場で監督やコーチの育成にも力を入れているという。
東南アジアの野球選手をみると、インドネシアより強いフィリピンには軍隊出身が多い。パキスタン代表は全員が軍人だ。きちんとした指導者がいないのか、めちゃくちゃなフォームで150㌔の球を投げる選手もいるという。ところが、インドネシア代表に軍隊選手はゼロ。そこで、強化するには高い基礎体力を持つ軍人で選手を育てない手はない-と判断した野中氏。目標は代表監督に再登板し、07年は3位に終わった東南アジア選手権のシンガポール大会での”リベンジ”だ。