「アジア-国際交流」カテゴリーアーカイブ

岡山県新庄村がマカッサルのハサヌディン大と協定

岡山県新庄村がマカッサルのハサヌディン大と協定
 人口約900人の岡山県新庄村が2月初旬、南スラウェシ州マカッサルのハサヌディン大学との間で有機農業に支援に関する協定を結んだ。同村は65歳以上の高齢者が約40%を占めるが、有機農業に関心のある研修生ら若者を呼び込み過疎化を食い止め、村の活性化につなげるとともに、有機農業を通じアジア地域の農業振興に貢献しようというものだ。
 今回の協定は、同大の「マリノ実習地区」責任者で、国際医療ボランティア、AMDA(岡山市)インドネシア支部長を務めるアンディ・フスニ・タンテ教授の仲介で実現した。同村の笹野寛村長が1月31~2月4日の日程で同大の「マリノ実習地区」を訪問。同地区の気候や農業形態を視察している。
 実習地区周辺には農薬を使用する農家が多いが、有機農業を普及させることで、販売する農産物の付加価値を高めると共に、地元の人々のより安全な食生活の確保を支援するのが狙い。5月から約半年間、同大の学生2人を同村で受け入れ、有機農業の技術指導や人材育成に関する研修を行う。土壌に適した作物や栽培方法を学んでもらうという。

高校生の日本語弁論全国大会 デオリタさん優勝

高校生の日本語弁論全国大会 デオリタさん優勝
 高校生の日本語弁論全国大会が2月16日、中央ジャカルタの国営ラジオ放送局(RRI)で行われ、「わたしのへんか」を発表したジョクジャカルタ特別州のデオリタ・エドソニアさん(17)が優勝した。国際交流基金ジャカルタ日本文化センター、教育文化省初等中等教育局学生課、RRIが共催した。
 首都圏をはじめ日本語学習が盛んな8地域での予選を勝ち抜いた14人が出場。日常生活で感じ、考えたことを日本語で発表。話し方や構成を競った。デオリタさんは高校時代の寮生活の経験について発表した。洪水で頻繁に浸水する寮を何とかするため友人に呼びかけ、周辺の溝や寮内で下水管を詰まらせるごみを収集した体験を話した。その清掃活動から、自分で考えて何かができることを学んだという。準優勝は「けんこうは必要でしょうか」を発表した東ジャワ州のムハマド・ファエス・リャン・アフィノさん(17)だった。

夢かけ再来日し再挑戦の人も 看護師国家試験

夢かけ再来日し再挑戦の人も  看護師国家試験
 日本とのEPA(経済連携協定)に基づき日本に滞在しているインドネシアとフィリピンの看護師候補者たちは2月17日、5万人を超える日本人に混じって、日本各地で行われた102回看護師国家試験を受験した。合格発表は3月下旬。
 試験は午前9時から午後零時半、同2時20分から同5時50分の計7時間にわたって行われた。大阪では近畿大学を会場に、2カ国合わせて約120人が受験した。試験会場には、すでに合格して看護師となった先輩たちが、後輩の応援に駆けつけていた。いったん帰国し、夢を諦めかけたが、インドネシアの日系人を支援する組織・団体の協力で、再来日して受験した候補者の姿もみられた。    
 2008年7月に発効した日本とインドネシアのEPAに基づき、同年8月からこれまでにインドネシアから392人が看護師候補者として来日。合格者はこれまで約50人にとどまっている。言葉の壁などが大きく、9割前後で推移する全体の合格率と比べ極端に低いのが現状。
 厚生労働省は今年の試験で、EPAに基づく外国人看護師候補者の試験時間を一般受験者より1時間40分長い7時間に延長し、問題文の漢字に振り仮名を付けるなど徐々に改善策を講じている。

西ジャワ州の日系企業が地域と共生へ交流活動

西ジャワ州の日系企業が地域と共生へ交流活動
 西ジャワ州カラワン県のスルヤチプタ工業団地の日系企業による「ミトラの会」の活動が1月29日、始動した。同会は昨年6月、同工業団地の入居企業と周辺の地域住民との共生の場を創出するため設立され、19社が参加。参加企業から会費を募り、年間予算約7000ルピアで運営する。
 初の今回は、企業14社から26人と児童・生徒約120人が参加し、近隣のクタムカル村立小学校と中学校を訪問、掃除した。30分ほどで、ごみ袋8袋と、プラスチックごみ、生ごみ、木のくずなどを回収した。今後は医療相談会、交通安全集会などを月1回の頻度で開催する予定。

インドネシア人の視点で描く初の本格的な日本紹介番組

インドネシア人の視点で描く初の本格的な日本紹介番組
 2月3日から、インドネシア人の視点で描く初の日本紹介テレビ番組「Kokoro No Tomo(心の友)」の放送が、民放メトロTVで始まる。これはインドネシア人が制作指揮した、日本の観光地やものづくりの強さの源泉を伝えるテレビ番組。インドネシア人9人のチームが約1カ月にわたり日本で撮影。東京、山形、宮城、北海道、大阪、香川、岐阜でロケを行った。
 各回でテーマを決め、観光紹介だけではなく、仙台では震災から復興する東北の姿、香川では工場で働くインドネシア人従業員の声なども伝える。番組の案内役をアマンダ・ゼバンニャさん(ミス・インドネシア2011のファイナリスト)が務める。
 日本政府観光局(JNTO)、日本貿易振興機構(JETRO)、インドネシア日本友好協会(PPIJ)が協力したほか、日系中心に8社と北海道と岐阜県の観光局がスポンサーとなり、制作・放送費用を負担した。

インドネシア・マカッサルだより


インドネシア・マカッサルだより
1月29日、南スラウェシ州マカッサル市在住の竹内ロビーさんから、お便りをいただきました。ありがとうございます。今後、定期的に同地の催事や日本人会の活動などをレポートしていただけることになりました。まず第1号をご紹介します。

南スラウェシ州マカッサルと日本人とは古い縁
 まず現在、私が住んでいる南スラウェシ州マカッサル市の概略をかいつまんでご説明します。スラウェシ島は5つの州があり、そのうちの一つ、南スラウェシ州マカッサルは最大の都市で、当地周辺には事業社、JICA(独立行政法人 国際協力機構)関係、海外青年協力隊、学生、その他含め100人弱の日本人が在住しています。当地と日本人の関わりは歴史的には古く、大正時代から日本人が居たそうです。
 したがって、マカッサルで領事館があるのは唯一、日本領事館です。しかし、首都ジャカルタやリゾート地のバリのように日本人は増えず、少し寂しいことですが逆に減少しています。そのため、領事館も現在、出張官事務所と変わりました。
 現在多くの日本人が海外に活路を求めて活動している中、今年の新年会パーティーでのご挨拶で、東本所長(領事)や箕川さん(トビコ製造会社)らは、ここ南スラウェシ、マカッサルでもいろいろな悩みや問題を抱えながら頑張っている日本人がいます。だからこそ、日本経済の発展につながっているのだと信じて頑張りましょうとのエールがありました。
 私も海外にいるからこそ、日本人でありたいと願っています。ちなみに、正月になんとか工夫して餅をつくり、、鰹の雑煮をつくりました。やっぱ日本人かな?

日本人会で「マカッサルラグラグ会」が歌を披露
 近況をお知らせします。1月26日、南スラウェシ日本人会のパーティーがありました。この会で私が世話役になっている「マカッサルラグラグ会」が歌を披露させていただきました。「マカッサルラグラグ会」の会員は現在、日本人、インドネシア人合わせて9名で、今回は「Indonesia Pusaka」「花は咲く」「Angin Mamiri」「心の友」「Rasa Sayangu」「上を向いて歩こう」の6曲を歌わせていただき、楽しいひとときとなりました。

 

介護福祉士の国家試験にインドネシア人184人が受験

介護福祉士の国家試験にインドネシア人184人が受験
 1月27日、日本の介護福祉士の国家試験が全国で行われた。この試験には2008年に始まった日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護福祉士受け入れ事業で、日本で働いているインドネシア人候補者184人が試験に臨んだ。看護師・介護福祉士の国家試験ではともに、外国人受験者の合格率の低迷が続いており、政府は様々な改善策を導入している。今回は試験問題のすべての漢字にふりがなを振ったほか、外国人の試験時間を通常の210分から1.5倍の315分にした。合格発表は3月28日。

成長著しいジャカルタで働きがい求める20代日本人増える

 いまの日本社会に存在する様々な旧弊を嫌悪し、若い世代の日本人がインドネシア、タイなどで”就活”する動きが増えている。
 インドネシアの首都ジャカルタの日系企業で働く20歳代の日本人の若者に共通するのは「自分が簡単に入れ替え可能なパーツではなく、人材として必要とされている」「成長する経済・社会の中に身を置き、やりがいを実感したい」などの、日本ではもはや体感することのできない、強い思いだ。そうした思いを叶えられる場所、「若者が夢、野望を抱ける国」として、彼らはジャカルタを選んだのだ。
 しかし、なぜ海外なのか、ジャカルタなのか、シニア以上の世代には端的には理解しにくいところだ。しかし、1990年代以降、日本が「失われた20年」と揶揄(やゆ)されるように、実は彼らは日本経済の「成長を知らない子供たち」なのだ。かつて”エコノミック・アニマル”と称されたように、日本の代名詞でもあった経済の強い成長力は衰え、この20年で国際関係も経済のしくみも、人口構成も大幅に変わったのに、制度改革がそこに追いついていない。日本にはびこる「学歴主義」「社歴至上主義」など、偏見なく外国に目を向ける彼らは若者独特の鋭敏さで、こうした旧弊を忌み嫌い、職場に漂う「抑圧感」「窮屈さ」に直感的に抵抗を覚えるのだ。
 いまの25歳が物心ついたころ、日本ではバブル経済が崩壊した。10歳のころ、生産年齢人口(15~64歳)がピークを打ち、下り坂になった。一時的な現象と思われていた不況が、不幸にもそれが当たり前となるような時代に思春期を過ごした世代だ。
 日本からのインドネシア進出企業は1255社。日本式ビジネスを理解した日本人を求める企業の求人は増え、現地では常時100件以上に上っているという。現地採用された日本人の平均給与は手取りで1700~3000㌦(14万~25万円)前後。物価水準は日本の1/3~1/4のため生活に不自由することはない。
 だからこそ、「どうせなら、未来の感じられる国で」「自分が、働く国の経済に一役買っている気持ちを持てて、日々やりがいがある」などの思いを実感できるジャカルタが、彼らが望む働く場所としての条件を揃えているのだろう。

被災者に想い発信 ジャカルタで邦人合唱団合同コンサート

 邦人はじめ地元の合唱団と交流しながら音楽を楽しむことと、歌を通じて昨年の東日本大震災被災者にメッセージを送ることをテーマにしたジョイントコンサートが12月9日、南ジャカルタのクニンガンのウスマール・イスマイルホールで開かれた。これは在留邦人でつくるジャカルタ・サザンクロス混声合唱団、女声のコール・ムティアラ、男声のジャカルタ・メール・クワイヤーらが開催したもので、インドネシア人合唱団、邦人のフルートサークル「キョラ・ムーン」なども友情出演、客席に集まった家族や友人約400人に歌声を届けた。
 混声は合唱組曲の「蔵王」から蔵王讃歌など6曲、女声はフィガロの結婚の「華やかなオーバチュア」や中島みゆきの「時代」など、男声は組曲「人間の歌」から5曲をそれぞれ歌い上げ、観客を楽しませた。閉幕前には参加合唱団が合同で「NHK東日本大震災プロジェクト」のテーマソング「花は咲く」、森山直太朗の「さくら」、スマップの「世界に一つだけの花」を歌い、震災被災地に想いを発信した。

インドネシアのイスラム学校で「日本流」じわり

 過激派の温床となるイスラム学校・寄宿塾「プサントレン」が一部で問題化する一方、国際化の流れを受け、インドネシアで日本語や日本文化を教える学校が登場。伝統と発展を調和させる日本独特の「和」の心を学んでいる。ジャカルタ郊外のイスラム学校、マドラサ・プンバングナンの日本語教室がそれだ。
 同校のカリキュラムは宗教と一般科目が半々。日本語教育は2006年に、調和や規律の心を育むきっかけになればとの想いから始まった。同校のダルル校長は04年、日本政府のイスラム学校指導者の招聘事業で選ばれ日本を訪問。町工場や学校、仏教施設を巡り、日本人と対話した。この事業は初回の04年から毎年、約10日間の日程で実施。計85校から91人の教師が日本を訪れた。
 ただ、表面的には和やかな文化交流に映る招聘事業だが、実は企画したのは外務省の国際テロ対策協力室や、インドネシアで毎年のようにテロに見舞われた経験のある日本の大使館員らだ。過激派のメンバーにはイスラム寄宿塾出身者が少なくない。こうした寄宿塾に忍び寄る過激思想を絶つ方法として、日本政府が実行したのが、発言力のある優良校を端緒に日本文化を知ってもらう事業。伝統を重んじながら、新しいものを取り入れて発展を遂げてきた日本の調和のさまをインドネシアに紹介することが狙いだ。
 成果は徐々に広がりつつある。10年に訪日したプサントレン・ダルサラームのファドリル校長は、精神文化に共通性を感じ、11年に日本の本や装飾品を展示した「日本文化センター」を設けた。他校でも、参観日や大学の理系学部との交流、土足禁止の規則など、日本で影響を受けて導入した事例もあるという。