東京都、首都大学東京が、日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護福祉士受け入れ事業で、10月末から西ジャワ州バンドンのインドネシア教育大(UPI)看護学科の学生に対してテレビ電話を通じた日本語学習支援を始めた。これは、日本行きを前に日本語能力の向上を促すことで、国家試験の合格率上昇とインドネシア人看護師・介護福祉士の定着を目指す取り組みの一つ。
講義は週に1回、1年生から3年生までの全学生約60人が受講。首都大学東京の日本語教育や看護学科の教員たちが、1年目は基礎日本語、2年目は看護・介護分野の専門的な日本語、3年目は国家試験対策を教える。授業の様子を録画しており、将来的にはEPAでの日本行きを目指すインドネシア全国の学生が視聴できるしくみの構築を目指しているという。
2008年に開始したEPA制度で日本へ行ったインドネシア人看護師・介護福祉士候補者は791人。国家試験の合格率は年々上がっているものの、今年も看護師が約13%、介護福祉士が約37%にとどまっている。不合格者を中心にすでに帰国したか、近く帰国する人はこれまでに約200人に上る。
日本政府は国家試験の問題に振り仮名をつけるなどの対策を取っている。また、帰国者に対し在インドネシア日本大使館を通じ、試験や日本入国の手続きの支援、模擬試験を実施。国家試験への再チャレンジを促すほか、帰国者の再就職も後押しする方針だ。
「アジア-国際交流」カテゴリーアーカイブ
スラバヤ市と北九州市が「環境姉妹都市」で提携
インドネシアの東ジャワ州スラバヤ市と福岡県北九州市はこのほど、環境姉妹都市(グリーンシスターシティ)提携の覚書を締結した。環境姉妹都市は、環境ビジネス分野でのつながりをより重視した友好関係の促進に向け、北九州市側が提唱。インドネシアを訪れた北九州市の北橋健治市長は、同市の知見やノウハウを輸出することで、未来型のまちづくりをしたい-と語り、官民連携し環境政策の海外展開を推進する方針を示した。
工業地帯の一角で、かつては悲惨な公害被害に苦しんだが、これを克服し、環境と経済を両立させた北九州市。この経験をアジアの他都市でも生かそうと、スラバヤ市では04年から生ごみの堆肥化事業の「高倉式生ごみのコンポスト化協力事業」を実施。同市内の廃棄物が3割減少するなど、高い効果を挙げている。また、11年には「戦略的環境パートナーシップにかかる共同声明」を結び、廃棄物やエネルギーに関する多くの事業が始まっている。
4年目迎えた交流行事「ジャカルタ日本祭り」開催
今年で4年目を迎えた交流行事「第4回ジャカルタ日本祭り(JJM)」が9月23~30日、開催された。今回のテーマは昨年の東日本大震災後、インドネシアで支援活動が広がったことを受けて再確認した友情を、次の世代へつなげていこうと「深まる絆、広がる交流、インドネシア・日本」。
9/23のオープニングではジャカルタマラソン・駅伝が行われたほか、中央ジャカルタのサリ・パンパシフィック・ホテルで、インドネシア人の若者で構成する「大江戸助六流ジャカルタ太鼓クラブ」が勇ましい太鼓演奏を、ジャカルタ特別州が招いた「サンガル・エカヤナ」がジャカルタ土着の民族ブタウィの伝統舞踊をそれぞれ披露。ファウジ・ボウォ・ジャカルタ特別州知事、鹿取克章・駐インドネシア日本大使、小林一則JJM実行委員長らがあいさつ、開幕を宣言した。
会期中、折り紙ワークショップ、21世紀伝統和楽団・中村仁美公演、ジャカルタ琴クラブ、日本のアイドルグループAKB48の姉妹ユニット、JKT48ライブ、高知よさこい百花繚乱、沖縄エイサー、国際漫画賞受賞者トークショー、世界コスプレサミット第3位表彰デモンストレーション、ドラえもんショーなどが行われ、会場は熱気に包まれた。
中でも今回印象深かったのは、オープニングでテーマを反映した、インドネシアと、東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の交流の紹介。震災を乗り越えて開いた「インドネシア・パレード」の支援活動にジャカルタで参加し、気仙沼のパレード本番にも駆けつけた松井和久さんと、パレードで使用する各地の伝統衣装を集めたライオンズクラブのスリ・バノワティさんがステージの壇上で顔を揃えたときだ。これにテレビ電話で気仙沼の鈴木敦雄さんが加わった。震災前から10年間、パレードを続けてきた鈴木さんはテレビ電話を通じて「インドネシアの皆さんの協力のお陰で、今こうやって生活を送ることができています。その気持ちを何よりも伝えたかった」というメッセージを会場に送った。
最後はNHK東日本大震災プロジェクトのテーマソングとなっている「花は咲く」を実行委員会委員やJKT48、観客らが合唱して幕を閉じた。