「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

快慶の一番弟子・行快作の仏像「木造阿弥陀三尊像」発見

快慶の一番弟子・行快作の仏像「木造阿弥陀三尊像」発見

京都国立博物館の調査によると、京都市の聞名寺が所蔵する木彫りの仏像について、鎌倉時代の仏師、快慶の一番弟子で現存する作品の少ない行快が手掛けたものであることが分かった。
今回、行快作と判明したのは「木造阿弥陀三尊像」で、高さがそれぞれ80㌢の1体と60㌢の2体の木彫りの仏像。像を台座に固定するためのほぞに、墨で行快の署名が見つかった。行快は現存する作品が少なく、貴重な発見だという。

天皇誕生日の一般参賀に平成最多の8万2,850人

天皇誕生日の一般参賀に平成最多の8万2,850人

天皇陛下の85歳の誕生日を祝う一般参賀が12月23日、皇居で行われた。2019年4月末の退位を控え、誕生日の一般参賀は今回が最後。そうした区切りや改元・時代の移り変わりを意識して、参賀の列に加わった人も多く、記帳を含め平成30年間で最多の8万2,850人が皇居を訪れた。
ちなみに2016年は3万8,588人、2017年は5万2,300人だった。宮内庁は今年初めて2台の大型モニターを設置し、会場の端からでも陛下の様子が分かるようにした。

奈良「西安寺」跡で金堂跡 四天王寺式伽藍配置判明

奈良「西安寺」跡で金堂跡 四天王寺式伽藍配置判明

奈良県王寺町教育委員会などの調査によると、聖徳太子が建立したとされる同町の「西安寺」の跡で、塔の跡の北側から金堂の跡が見つかり、建物の配置は同じ聖徳太子ゆかりの四天王寺(大阪市)と同じであることが分かった。
今回見つかったのは金堂の土台である「基壇」の一部と大量の瓦。瓦の特徴などから、金堂は7世紀後半から8世紀初頭に建てられたとみられ、基壇の大きさは東西が約15㍍、南北が約12㍍と推測されている。また、正面は南向きであることが分かった。
同町教育委員会は、金堂と塔の位置関係などから寺の建物の配置「伽藍配置」は、同じ聖徳太子ゆかりの寺、四天王寺と同じで、塔の真北に金堂を建てた「四天王寺式」とみている。
西安寺は現存していないが、聖徳太子が建立したと文献に記されている寺。

神戸の生誕地に嘉納治五郎翁の石碑建立

神戸の生誕地に嘉納治五郎の石碑建立

「柔道の父」と呼ばれる嘉納治五郎の功績を称えようと、現在の神戸市東灘区、幕末の1860年当時の御影村に、西端の場所を示す石碑が建立され、12月20日披露された。御影石でつくられた石碑は高さ1.4㍍、幅2㍍、横書きで「嘉納治五郎翁 生誕地」と刻まれている。
嘉納は日本古来の柔術を「柔道」として発展、普及させた。また、日本人初の国際オリンピック委員としても活躍し、戦争の影響で”幻”となった1940年の東京オリンピックの招致に尽力した。

「大坂幕府構想」検討の可能性示す新たな書状見つかる

「大坂幕府構想」検討の可能性示す新たな書状見つかる

江戸時代初期、大坂を徳川幕府の本拠地とする「大坂幕府構想」が検討されていた可能性を示す、将軍の側近周辺の人物が記した新たな書状が見つかった。
書状は花押や筆跡などから「大坂の陣」(1614~15年)の後、大坂城の建て直しを担当していた小堀遠州が、義理の父親でニ代将軍(大御所)徳川秀忠の側近、藤堂高虎(津藩主)に宛てたもので、記された内容から寛永3(1626)年に書かれたと考えられる。
書状の中で遠州は、大坂城の茶室の庭に置く石を献上するように進言し、その理由について「大坂はゆくゆくは御居城にもなさるべきところ」と説明している。誰の城になるかは明記されていないが、調査にあたった三重大学の藤田達生教授によると、城に「御」という敬称が付けられていることなどから、当時江戸城にいた大御所の秀忠や三代将軍、家光の居城になるという前提で、遠州が大坂城の整備を進めていたことが分かるという。
徳川幕府の拠点を大坂に移す構想は、実は別の史料にも記されている。1615年に豊臣家が滅亡した「大坂夏の陣」の直後に上洛した薩摩藩の島津家久の話だ。この史料には家久が幕府の上層部から大坂城を当時の将軍、秀忠の居城にするという計画を聞いたと記録されている。

藤原京遺跡で漆付着の土器大量出土、周辺に工房存在か

藤原京遺跡で漆付着の土器大量出土、周辺に工房存在か

奈良県橿原考古学研究所の発掘調査によると、持統天皇が造営した藤原京があった橿原市の四条遺跡で、漆が付着した大量の土器が数十点見つかった。同研究所では周辺に漆を使っていた工房があった可能性があるとみている。
飛鳥時代の都、藤原京の主要な道路「四条大路」の南側の溝から、漆が付着した土器が大量に見つかった。そして、この溝の近くから南北4㍍、東西10㍍ほどの建物跡が東西に4棟並んで見つかり、同研究所では工房に関係する建物の可能性があるとしている。

平城宮跡 東区朝堂院の大きさ判明 奈文研

平城宮跡 東区朝堂院の大きさ判明 奈文研

奈良文化財研究所が10月から行った平城宮跡東区朝堂院の東門の跡の発掘調査によると、門の大きさは幅およそ20㍍、奥行きおよそ10㍍であることや、その正確な位置が分かった。この結果、東区朝堂院の東西の大きさも確定し、東西およそ177㍍、南北およそ284㍍となった。
奈良文化財研究所では「時代ごとに変わる朝堂院の変遷を知るうえで貴重な成果だ」としている。東区朝堂院は奈良時代後半に、天皇が政治や儀式を行った「第二次大極殿」の南側にあり、大臣などの役人が国家的な政務を行う場所だった。

今年の漢字は「災」地震、豪雨、台風などの自然災害の年を反映

今年の漢字は「災」地震、豪雨、台風などの自然災害の年を反映

日本漢字能力検定協会(本部:京都市)によると、毎年恒例の今年1年の世相を漢字一文字で表す「今年の漢字」に「災」が選ばれ12月12日、清水寺(京都市東山区)で発表された。
地震や豪雨、台風、猛暑などの自然災害に、近年では稀なほど繰り返し見舞われ、数多くの人が被災したことで、応募数19万3,000票余りの中でも最も多くの人の気持ちを捉えた漢字となった。
2番目は「平」、3番目は「終」だった。「平」は平昌(ピョンチャン)冬季五輪や、メジャーリーグで二刀流の大活躍で驚かせた大谷翔平の印象が大きかった。また、「終」は天皇退位のセレモニーなどのスケジュール一式が公表され、平成最後の年となったことが特に印象付けられたためとみられる。

法隆寺で迎春準備 恒例の「お身拭い」

法隆寺で迎春準備 恒例の「お身拭い」

奈良県斑鳩町の法隆寺で12月8日、新年を前に毎年この時期に行われる恒例の「お身拭い」が行われた。これは仏像に積もったほこりを落とすもの。
作業姿でマスクをつけた9人の僧侶が国宝の「金堂」に入り、本尊の釈迦三尊像や薬師如来坐像などの仏像に積もったほこりを、はたきやはけを使って払い落していた。これらの作業を、居合わせた多くの参拝客らが見守っていた。

京都・城陽市で奈良時代の平地造成・建物の遺跡見つかる

京都・城陽市で奈良時代の平地造成・建物の遺跡見つかる

京都府埋蔵文化財研究センターの発掘調査で、京都府城陽市の芝山遺跡で古墳時代から奈良時代の丘陵地を切り崩して平地に造成した跡が新たに見つかった。
その集落跡は縦約40㍍、横約30㍍の範囲で丘陵地を平地に造成。出土した土器などから奈良時代に行われたとみられ、同じころに地面に掘った穴に柱を立ててつくった掘立柱建物の跡も新たに9棟見つかった。このうち8棟は人工的に造成した平地の上に建てられ、新しくなるほど建物は北側から西側に向くようになっていたことが分かったという。