「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

織田信長の居館をCGで再現 岐阜市が入城450年で

織田信長の居館をCGで再現  岐阜市が入城450年で

織田信長が岐阜に入城し、今年で450年となることにちなんだ市の記念事業として、岐阜市司町の複合施設「ぎふメディアコスモス」に7月13日、「信長公ギャラリー」がオープンする。
このギャラリーの目玉が、信長の居館のCG映像が上映される「おもてなし劇場」だ。小姓の案内という設定で、約15分間の映像だが、”天下布武”を唱え、天下人への様々な思いを巡らせ過ごした信長の居館の佇まいが、垣間見られる。前期は9月24日まで、後期は10月6~12月17日まで。入場無料。

渋沢栄一揮毫の書発見 塩原太助翁記念碑に

渋沢栄一揮毫の書発見  塩原太助翁記念碑に

第一国立銀行や東京証券取引所はじめ生涯におよそ500もの多種多様な企業の設立・経営に関わり「日本資本主義の父」ともいわれる実業家、渋沢栄一(1840~1931年)。その渋沢栄一が群馬県の塩原太助翁記念公園(みなかみ町)の記念碑のために揮毫(きごう)した書が同園内の宝物庫に保管されていたことが分かった。塩原太助遺跡保存会は書を修復し、隣接する塩原太助記念館で年内にも公開する方針。
書は長さ5.4㍍、幅2.1㍍の和紙に書かれている。墨で「塩原太助翁之碑」「子爵 渋沢栄一書」と書かれ、落款もある。ただ、これまで保存会や太助の子孫もこの書の存在を知らなかったという。
富は社会で共有すべきだとする「道徳経済合一」を唱えた渋沢は、炭屋として成功を収め、公益事業に私財を投じた太助に強く共感したと伝えられる。

平安中期の年号・収穫量記す木簡出土 浜松・梶子遺跡

平安中期の年号・収穫量記す木簡出土 浜松・梶子遺跡

浜松市は7月7日、同市中区南伊場町の梶子遺跡から、平安時代中期の具体的な年号や稲の収穫量が記された木簡などが出土したと発表した。
同市文化財課では、木簡は公的な稲の収穫量を記録した台帳と推測されるとし、当時地方を治めていた律令体制が形骸化していた時代に、少なくとも浜松では役所が機能していたことを示す貴重な史料-と説明している。
木簡は1~6月に行われた発掘調査で遺跡内の「伊場大溝」と呼ばれる川の跡から9点見つかった。このうち1点は西暦913年にあたる「延喜十三年」の文字や稲の収穫量、日付とみられる数字など100以上の文字が書き込まれていた。
同遺跡群からはこれまでに180点以上の木簡が見つかっているが、奈良時代のものが中心だった。梶子遺跡は、同市中区のJR東海浜松工場一帯にある遺跡群の一つ。

「沖ノ島」8つの構成資産一括して世界遺産に

「沖ノ島」8つの構成資産一括して世界遺産に

ポーランドのクラクフで開かれたユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は7月9日、日本の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(福岡県)を8つの構成資産まとめて世界遺産に登録することを決めた。
8つの構成資産のうち4つを除外し、沖ノ島本体のみを認めるとした5月のユネスコの諮問機関イコモスの事前評価を覆す決定だった。地元・宗像市や福津市の8つの構成資産が密接に結びついてこその「沖ノ島」-との真摯(しんし)な主張が、世界を説得した形となった。審議時間は約1時間弱で、大きな異論はなかった。

熊本で発見の化石の歯は7㍍超ティラノサウルス科か

熊本で発見の化石の歯は7㍍超ティラノサウルス科か

福井県立恐竜博物館は7月5日、熊本県天草市天草町の白亜紀後期の地層「姫浦層群(ひめのうらそうぐん)・軍ヶ浦層(いくさがうらそう)」(約8000万年前)から、ニ足歩行の肉食恐竜などが分類される「獣脚類」の歯の化石1個を発見したと発表した。
断面がふくらみのある楕円形になっている特徴から全長7㍍を超えるゴルゴサウルスなどのティラノサウルス科のものと推定されるという。
化石は2014年10月、天草市立御所浦白亜紀資料館との共同調査で採集された。歯を構成するエナメル質のある「歯冠(しかん)」部分で、高さ42㍉、幅25㍉、厚さ16㍉。全体の高さは56㍉以上あったと推測される。鋸歯の傾きから左上か右下のあごの歯と考えられるという。
発見された化石は、天草市立御所浦白亜紀資料館で7月15~9月3日、一般公開される。

側室・茶々へ太閤・秀吉の気遣いの自筆手紙見つかる

側室・茶々へ太閤・秀吉の気遣いの自筆手紙見つかる

東京大学と兵庫県立歴史博物館は7月7日、太閤・秀吉(1537~1598年)が側室・茶々(後の淀殿)へ送った自筆の手紙が見つかったと発表した。手紙は縦22.6㌢、横50.8㌢と縦22.5㌢、横49.7㌢の2枚に切って掛け軸に貼ってあった。2016年6月、兵庫県豊岡市出石町の旧家で見つかったという。
文面は、当時病を患っていた茶々を優しく気遣う内容で、能を企画して見せたいので、食事をしっかり摂るようにと促し、サンマを送ったと記すなど細やかな心遣いが読み取れる。
調査を担当した東大史料編纂所によると、これまでに茶々に宛てた秀吉自筆の手紙は5点しか確認されておらず、筆まめだった秀吉にしては極めて少なく、新たに見つかったのは戦後初めてという。

国内最古の真珠と確認 飛鳥寺で約60年前に出土

国内最古の真珠と確認  飛鳥寺で約60年前に出土

奈良文化財研究所の最新の分析によると、6世紀末に建立された日本最古の本格的な寺、奈良県明日香村の「飛鳥寺」で、およそ60年前に行われた発掘調査で出土した品々の中に真珠があったことが確認された。国内の寺で出土した真珠としては最も古いという。
真珠は直径1.5㍉から2㍉ほどの大きさで14個あり、真ん中には小さな穴が開けられている。ガラス玉や武具などとともに出土したが、傷みが激しく、これまで材質は分かっていなかった。同研究所のX線など最新の方法で分析した結果、主な成分が炭酸カルシウムで何層も重なってできていることなどが分かり、真珠と確認された。
真珠は仏教の世界では七つの宝、「七宝」の1つとされ、金や銀と並ぶ貴重なものとして珍重されてきたが、国内の寺で見つかった埋納品としては最も古いという。

若冲の墨画発見 塩飽水軍の子孫所有 鑑定番組で

若冲の墨画発見 塩飽水軍の子孫所有 鑑定番組で

江戸時代の、鶏をモチーフにした作品で知られる画家、伊藤若冲(1716~1800年)の鶏図(墨画)が見つかった。今回見つかったのはテレビの鑑定番組に出されて本物と分かったもの。かつて瀬戸内海で活躍した塩飽(しわく)水軍の本拠地、香川県丸亀市の本島にある水軍の子孫の旧家で、50年以上、蔵で眠っていたものという。
作品は、若冲が得意とした鶏を描いた左右一対の掛け物で、雄がひなと雌を見守っている構図。鑑定で「本物」と判定され、1500万円の評価額が付いた。

「お千度の儀」「くじ取り式」祇園祭の行事始まる

「お千度の儀」「くじ取り式」祇園祭の行事始まる

7月に入り、京都の夏を彩る祇園祭の様々な行事が始まった。1日には「お千度の儀」、2日には「くじ取り式」が行われた。
祇園祭の無事を祈る神事、お千度の儀は八坂神社(京都市東山区)で、山鉾巡行で先頭を行く長刀鉾の稚児らが祭りの無事を祈った。
2日には祇園祭の見せ場となる山鉾巡行で、山と鉾が進む順番を決めるくじ取り式が、京都市議会の議場で行われた。
くじ取り式は、あらかじめ順番が決まっている山と鉾を除く24基の順番を決めるもので、争いを避けるためおよそ500年前に始まったといわれている。紋付き袴姿の山と鉾の代表者が、京都市の門川市長の立ち会いのもと、くじを引いていく。
その結果、前祭(さきまつり、7月17日)の巡行で先頭を務める「長刀鉾」の次を行く注目の山一番は「占出山」、また後祭(あとまつり、同24日)で「橋弁慶山」と「北観音山」の次を行く山一番を引き当てたのは「鯉山」だった。

2000万年前のキノコ蘇る 八戸沖海底で採取の菌類

2000万年前のキノコ蘇る 八戸沖海底で採取の菌類

海洋研究開発機構(神奈川県横須賀市)によると、地球深部探査船「ちきゅう」が2012年に八戸沖の海底から取り出された地層から約2000万年前に陸地と一緒に海に沈んだとみられる菌類が採取されたことが分かった。
69の菌類が見つかり、このうち「スエヒロタケ」の一種を培養すると子実体(キノコ)を形成した。人類の誕生以前の菌類であり、現代と比較することで、人の活動が地球の生命進化に与えた影響などを知る手がかりとなる可能性があるという。
菌類はアクレモニウム、スエヒロタケ、アオカビなどで、一般にはカビやキノコとして知られる。古代の森林や湿地に生息していた菌類の胞子が海底で保存され、研究室の培養で蘇ったとみられる。