「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

箸墓古墳周辺区域「周濠」を国の史跡指定へ

箸墓古墳周辺区域「周濠」を国の史跡指定へ

邪馬台国の女王、卑弥呼の墓という説もある奈良県桜井市の箸墓古墳で、古墳を囲む堀が残るとみられる周辺の区域が、新たに国の史跡に指定され、保存が図られることになった。
新たに史跡に指定されるのは、箸墓古墳の西側のおよそ1万5,000平方㍍の区域で、この場所には古墳を取り囲む「周濠」と呼ばれる堀が残っているとみられている。昨年、商業施設の建設計画が持ち上がったため、地元の桜井市が開発を規制しようと、史跡への指定を国に申請していたもの。同市は史跡の指定後に、商業施設の予定地を公有地として事業者から買い取ることにしている。
箸墓古墳は全長およそ290㍍の巨大な前方後円墳で、宮内庁が皇族を埋葬した「陵墓」として管理している。

秀吉築城の”幻の城”最初の伏見城の石垣見つかる

秀吉築城の”幻の城”最初の伏見城の石垣見つかる

民間発掘調査団体の関西文化財調査会は11月18日、豊臣秀吉が天下統一後の1592年から築城した最初の伏見城(指月城)とみられる石垣が京都市伏見区で見つかったと発表した。
今回見つかったのは、最初の伏見城の石垣の一部とみられ、長さ14.5㍍、高さ2.8㍍。自然のままの石や加工された石が6段から7段積み上げられ、隙間が小さな石で埋められていた。また、石垣に沿って幅がおよそ20㍍とみられる堀の跡も見つかった。
この指月城は、秀吉が築いてわずか4年後に慶長伏見地震(1596年)で倒壊したことから”幻の城”ともいわれる。その後、別の場所で再建されたが、史料が少なく、詳しい位置などは分かっていない。それだけに、城の全容を知るうえで、貴重な遺構として注目されている。

蘭学者・前野良沢が翻訳したオランダ語の原書発見

蘭学者・前野良沢が翻訳したオランダ語の原書発見

江戸時代の蘭学者で『解体新書』の実質的な翻訳者として知られる前野良沢が翻訳し、博物書として江戸時代に紹介されたオランダ語の原書が千葉市で発見され、当時の蘭学を知る貴重な資料として注目されている。
今回発見されたのは、鉱物などを紹介した江戸時代の博物書『諸術秘蔵』のオランダ語で書かれた原書。千葉市の神田外語大学にある海外の書物を集めた文庫で見つかった。
前野良沢は、この『諸術秘蔵』のうち、当時の日本では広く知られていなかったアスベストに関する記述の部分を翻訳したが、原書は見つかっていなかった

秀吉の太閤検地の記録も 奈良の庄屋に伝わる古文書展

秀吉の太閤検地の記録も 奈良の庄屋に伝わる古文書展

奈良県・田原本町の庄屋に伝わる古文書に、太閤検地の記録も残されている、唐古・鍵考古学ミュージアム(青垣生涯学習センター)の田原本町合併60周年記念企画展「小林家文書展-庄屋に伝わる350年の歴史」が、同ミュージアムで開かれている。11月27日まで。
小林家は同町小室で代々庄屋を務め、16世紀末から昭和まで約350年にわたる1,130点ほどの文書が残されている。これらの文書群などは、平成24年度に同町文化財に指定された。
今回の展示会では絵図9点を含む計75点の資料を公開。いずれの資料からも当時の地域の生活が垣間見える内容となっている。このうち最古のものは、天下人となった豊臣秀吉の命令で実施された太閤検地の記録。文禄4(1595)年の大和国十市郡田原本検地帳(写し)で、同家がこれをもとに年貢の徴収実務を行っていたことがうかがえる。
また、干ばつでの不作が続いた明和9(1772)年の救済米の積み増しを求める嘆願文(写し)からは、同家が村人の困窮を訴え、村人と役所の間を取り持った様子が読み取れる。
同ミュージアムの開館時間は9時~17時、月曜休館。

若冲作「果蔬涅槃図」の高精細複製画、誓願寺に奉納

若冲作「果蔬涅槃図」の高精細複製画、誓願寺に奉納

世界的に知られる江戸時代の絵師、伊藤若冲が描いた水墨画「果蔬涅槃図(かそねはんず)」の高精細複製画が完成し11月14日、京都市中京区の誓願寺に奉納された。誓願寺の本堂で関係者が集まる中、完成した複製画が奉納され、法要が営まれた。
この複製画は、若冲が今年、生誕300年を迎えたことを記念して伊藤家の菩提寺である宝蔵寺が、元々所蔵されていた本山の誓願寺に納めようと作製したもの。これまで数多くの文化財の複製を手掛けてきた大手印刷会社の協力を得て作製された。
果蔬涅槃図は、伊藤家一族の冥福を祈るために描かれた作品と言われ、若冲が晩年に野菜と果物で釈迦の入滅を描いた水墨画だ。現在、京都国立博物館に所蔵されている。
この複製画は11月25~27日、京都市中京区の新京極商店街で開催される「若冲ウィーク」で一般公開される。また、実物は11月15日から京都市美術館で開かれている「若冲展」で公開されている。

大坂の陣の両軍の布陣・配置絵図初公開 舞鶴市資料館

大坂の陣の両軍の布陣・配置絵図初公開 舞鶴市資料館

江戸時代に田辺藩主を務めた牧野家に伝わったとされる大坂冬の陣、夏の陣の徳川、豊臣両軍の布陣を描いた絵図が、京都府舞鶴市南田辺の田辺城資料館で展示されている。
大きさは冬の陣が縦120㌢、横84㌢、夏の陣が縦127㌢、横110.5㌢。江戸時代に作成されたとみられ、大坂城や大和川など建物や地形、徳川家康や真田幸村(信繁)をはじめとした各武将の軍の配置や合戦に関する記述がみられる。
「家康との交渉が決裂し、秀頼は籠城の支度を始めた」「真田が天王寺へ出て戦い、多くの敵を討ち取った」などの内容で、戦いの流れや武将の活躍も書き込まれている。
この絵図は牧野家の分家が所有していたもので、今回が初公開。12月18日まで。9時~17時、月曜と11月24日は休館。無料。

秀吉が築いた新たな”御土居”の一部を発掘 本格土木工事

秀吉が築いた新たな”御土居”の一部を発掘 本格土木工事

京都市埋蔵文化財研究所によると、安土桃山時代に豊臣秀吉が、周囲の外敵から守るため、当時の京を囲んで築いた”御土居”の一部が京都市北区の発掘調査で見つかった。
緩やかな段丘に盛り土した急勾配の土塁や、2例目となる地下排水溝があり、御土居の造営法を考えるうえで貴重な史料となりそうだ。
調査地は北区紫野花ノ坊町の住宅地。南北44㍍にわたって御土居が見つかった。自然の段丘の西側を4.5㍍掘り下げて堀にし、生じた土などを段丘に盛り土した跡が良好な状態で確認できた。土塁と堀はともに幅18㍍、堀の底から最も高い位置までの高低差は9㍍と推定される。
握り拳大の石を敷き詰めた長さ6㍍の地下排水溝(幅40㌢、深さ40㌢)も見つかった。この種の地下排水溝は上京区の北野天満宮境内の御土居に続いて2例目。
同研究所は「地形を生かすだけでなく、想像以上に大規模な土木工事を行っていた」とみている。

ペリー来航 実は1年前に予告されていた オランダから

ペリー来航 実は1年前に予告されていた オランダから

黒船来航、1853年7月のペリー艦隊の浦賀沖来航は、一般には突然のことと受け止められているが、実は幕府は1年前に予告されていた。
1852年7月、長崎・出島のオランダ商館長が「別段風説書」と呼ばれる文書を長崎奉行に提出していた。毎年、オランダ領東インド政庁が海外情報を記した書面を作成し、商館長を通して幕府に渡していたもの。
そこには米国政府が日本に使節を送る計画が示されていた。予告文には、その重要性を強調するため、丸印が付けてあったという。風説書に添えてオランダ東インド総督の書簡と日蘭条約草案の抜粋もあった。
ただ、これを受けた幕府は海防関係の諸大名らと内々に対応を協議したが、財政難のため防衛強化などの施策は講じられなかった。

世界で起きた津波 70年以降は日本とスマトラ島に集中

世界で起きた津波 70年以降は日本とスマトラ島に集中

東北大学災害科学国際研究所は、過去400年間に世界で起きた津波を分析した報告書を公開した。
同大は米国が集計している地震の記録などからマグニチュード7.5以上と推定される地震を分析し、1600年以降に発生した津波災害94例を抽出。津波の高さや到達時間、威力などを計算した。
津波の高さについては1600~1969年と、1970年以降の地図を公開した。このうち太平洋とインド洋で発生した地震を対象にした地図では、高さ2㍍超の津波が日本の太平洋沿岸や北米大陸西岸、南米チリ、インドネシア・スマトラ島などを襲い、1970年以降は日本とスマトラ島付近に集中している。

「世界津波の日」各地で慰霊・訓練『稲むらの火』世界に

「世界津波の日」各地で慰霊・訓練『稲むらの火』世界に

2015年12月の国連総会で11月5日が「世界津波の日」に制定されて初めて迎えたこの日、日本をはじめ世界各地で被災・犠牲者の慰霊の式典や、地震や津波の発生に備え避難訓練が実施された。
「世界津波の日」は、安政南海地震で大津波が和歌山県・広川町に押し寄せた際、濱口梧陵が収穫した稲わらに火をつけ住民に知らせ、高台に逃れさせた逸話『稲むらの火』にちなんでいる。その広川町では犠牲者を悼む「津浪祭」が開かれ、参加者たちは安政の地震後につくられた堤防に土を盛った。その後、南海トラフ地震が発生し、大津波警報が発令されたとの想定で訓練が行われた。
インドネシア・アチェ州の州都バンダアチェでは、集会で『稲むらの火』の逸話が紹介され、この精神に学ぶとともに、いかに被災した事実を風化させず、後世に伝えるかなどについて話し合った。同地はスマトラ沖大津波で壊滅的な被害を受けたが、人口の流入で当時を知る人が少なくなりつつあるという。また、同地ではこれまでスマトラ沖大津波で被災した12月26日を慰霊の日としていた。また、日本人28人が死亡した津波に被災したタイ・プーケットでも慰霊式典が開かれた。
大阪・堺市では近畿地方整備局や大阪府などが主催する総合防災訓練が行われた。ヘリを使った上空からの救助やがれきの下敷きになった人の救助など、地震や災害に備えた幅広い内容で、参加者たちは真剣な表情で訓練に取り組んでいた。
このほか、4月の熊本地震を経験した熊本市の私立中学・高校でも生徒や教職員らが真剣な表情で訓練に参加していた。
『稲むらの火』は安政年間、1854年11月5日(旧暦)、安政南海地震で大津波が和歌山県有田郡広川町を襲った際、醤油醸造業を営む濱口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)当主で、七代目濱口儀兵衛を名乗った梧陵(雅号)が、収穫した稲わらを燃やして知らせ、村人を高台の広八幡神社へ逃れさせ、津波から救ったとされる逸話だ。