「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

江戸初期?の「富士参詣曼荼羅」愛知県常滑市で発見

江戸初期?の「富士参詣曼荼羅」愛知県常滑市で発見

静岡県の調査によると、世界遺産富士山への参詣登山の様子を描いた「富士参詣曼荼羅(まんだら)」が愛知県常滑市の松栄寺に保管されていることが分かった。江戸時代初期の作品とみられる。
古くから信仰の対象とされてきた富士山の、当時の参詣の様子が細かく描かれ、国の文化財に指定された富士山本宮浅間神社(富士宮市)所蔵の参詣曼荼羅と並ぶ史料として注目を集めそうだ。
松栄寺の富士参詣曼荼羅は縦179㌢、横145㌢、中央に大きく富士山が配置され、興津宿、清見ヶ関(現静岡市清水区)を出発して富士川を渡り、大宮口から表口登山道を登るルートを紹介している。建物のつくりから慶長年間の1602~1606年の作と推定される。

連ドラ「あさが来た」人気にあやかり社員有志がマップ

連ドラ「あさが来た」人気にあやかり社員有志がマップ

好評のNHK連続テレビ小説「あさが来た」人気にあやかろうと、ヒロインのモデルである明治時代の女性実業家で、大同生命(大阪市西区)の創設者の一人でもある広岡浅子(1849~1919年)ゆかりの地を紹介するマップを、大同生命の社員有志が作成した。
マップは縦約30㌢、横約40㌢のカラーで、、中之島や堂島エリアをカバーしている。江戸時代の古地図と現代の地図を見比べることができる。5万部発行し、市営地下鉄の駅や京阪電鉄の主要駅などで配布している。
観光客増につなげようと大阪市なども1月は、ドラマの舞台をボランティアガイドと巡る街歩きツアーを実施予定で、相乗効果が期待できそうだ。

京都・下鴨神社で新春「蹴鞠初め」巧みな足さばき披露

京都・下鴨神社で新春「蹴鞠初め」巧みな足さばき披露

京都市左京区の下鴨神社で1月4日、新春恒例の「蹴鞠(けまり)初め」があった。穏やかな天候に恵まれ、約3500人の観光客らが見守る中、色とりどりの伝統装束を身にまとった蹴鞠保存会のメンバーが、シカの革製の直径約20㌢の鞠を巧みに蹴り上げ、妙技を披露した。
この蹴鞠、勝敗はなく、相手が受けやすいように蹴ることが作法とされる。約15㍍四方の鞠庭で男女8人が1組となり、「ヤア」「オウ」などの掛け声とともに、息の合った足さばきを見せると、観光客らから盛んに拍手が送られていた。

のろしリレー 大河「真田丸」に合わせ長野~群馬結ぶ

のろしリレー 大河「真田丸」に合わせ長野~群馬結ぶ

2016年1月10日から始まるNHK大河ドラマ「真田丸」に合わせ、戦国武将・真田一族ゆかりの長野(上田市)~群馬(沼田市)両県の12カ所で、順にのろしを上げる「狼煙(のろし)リレー」のイベントが1月1日行われ、計7市町村の住民が参加した。
狼煙は戦国時代、味方への有力な情報伝達手段だった。名将幸村(信繁)と父昌幸らの居城だった上田城跡公園(長野県上田市)から、幸村の兄信幸の沼田城跡のある沼田公園(群馬県沼田市)までの約100㌔を結んだ。
上田城跡公園ではドラム缶を重ねた狼煙台を設置。一時強風にあおられたが、木の板で煙の方向を調整し、約40分かけてゴールした。

女性城主・井伊直虎の木像、浜松市・龍潭寺に奉納

女性城主・井伊直虎の木像、浜松市・龍潭寺に奉納

戦国時代、現在の浜松市北区周辺を治めた女性城主・井伊直虎の姿をかたどった木彫像がこのほど、井伊家の菩提寺、龍潭寺(浜松市北区引佐町)に奉納された。
法衣(ほうえ)を身にまとった座像で真正面を見つめる凛々(りり)しい表情が印象的。高さ49㌢、幅41㌢、奥行き25㌢。5本の杉を組み合わせた寄せ木造りで、同市在住の彫刻家の池谷雅之さん(61)が4カ月かけて制作した。12月28日から展示されている。
没落寸前の井伊家を守り抜いた直虎は、2017年放送のNHK大河ドラマのヒロインになる。ただ、その容姿を伝える史料は残っていない。

由利公正かまど 幻の「三岡へっつい」再現 福井県

由利公正のかまど 幻の「三岡へっつい」再現 福井県

幕末・明治時代前期に活躍した越前・福井藩士、由利公正(三岡八郎、1829~1909年)が考案したといわれる幻のかまど「三岡へっつい」の再現に向けて、福井県と同県左官工業組合が政策準備を進めている。
今年7月に三岡へっついの情報を募集、実物はみつからなかったが、文献を頼りに職人がイメージ模型を作成。12月27日から製作を本格化させる。2016年2月7日の「ふるさとの日」に披露した後、様々なイベントで使う。
同県は由利をNHK大河ドラマの主人公として誘致活動を進めており、同組合では誘致実現とともに、左官技術のPRなどにもつながると期待している。
三岡へっついは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」、大島昌宏の「炎の如く 由利公正」でも登場する。三岡(明治期に由利公正に改名)は横井小楠に影響を受け、財政・金融に明るく、坂本龍馬らとも親交があった。

江戸城の天守閣は高さ60㍍で日本一だった 耐震構造も

江戸城の天守閣は高さ60㍍で日本一だった 耐震構造も

広島大学の三浦正幸教授らの調査によると、1657年の明暦の大火で焼失した江戸城最後の天守閣「寛永度天守(かんえいどてんしゅ)」の往時の姿が明らかになり、天守台を除いた天守は60㍍で、その高さは当時の大阪城、名古屋城をしのぎ、日本一だった。また、大地震にも耐えられる構造になっていた。
地下1階、地上5階建てで、寛永度天守は3度築かれた江戸城の天守閣のうち、徳川三代将軍・家光が1638(寛永15)年に建てた最後の天守閣。

後期難波宮の屋根瓦落下跡 埋め戻しから54年ぶり公開

後期難波宮の屋根瓦落下跡 埋め戻しから54年ぶり公開

大阪市中央区の史跡「難波宮跡」の発掘調査現場で、昭和の発掘調査の後、埋め戻され保存されてきた後期難波宮の屋根瓦落下跡が、このほど54年ぶりに一般公開され、多くの考古学ファンが見学に訪れた。
倒壊した塀から落下した屋根瓦が、落下したままの状態で大量に残っている珍しいケースだ。史跡整備を計画する大阪市が、屋根瓦落下跡などの有効活用策を検討するために再公開した。
後期難波宮は8世紀、聖武天皇が造営した宮殿。1961年、大阪市の発掘調査で後期難波宮の屋根瓦が出土したが、大量に発見されただけではない。南北方向に走る屋根瓦付きの築地塀が、何らかの事情で東側に倒れ込んだ。その際、塀もろとも瓦屋根が裏返しになる形で、地面へ落下したと推定される状態のまま発見されたのだ。
そして発掘調査後、瓦落下跡の長さ約10㍍のエリアをコンクリートブロックで囲い、瓦の表面に特殊な合成樹脂を塗る保存作業を施されたうえで埋め戻されたものだ。

厚さ11㌢の「大型構造船」の部材発掘 滋賀塩津港遺跡

厚さ11㌢の「大型構造船」の部材発掘 滋賀塩津港遺跡

滋賀県文化財保護協会は12月10日、琵琶湖北端にある同県長浜市の塩津港遺跡で、板を組み合わせた「大型構造船」の部材が見つかったと発表した。平安時代後期(12世紀)の船の一部とみられ、国内最古級という。
構造船はこれまで鎌倉時代後期から使われたと考えられていたが、専門家は今回の部材の発見により、100年以上前の平安時代の琵琶湖ですでに就航していたことを裏付ける、日本造船史上、貴重な史料-としている。
見つかった部材は長さ205㌢、幅58㌢、厚さ11㌢。船の側面か底に使われていたとみられ、板を繋ぐ「縫いくぎ」が打たれた跡が3カ所あった。部材の厚さなどから、船は長さ20㍍以上あった大型構造船とみられる。
塩津港は北陸の物資を京都に運ぶ中継地として栄え、12世紀には埋め立て造成で本格的な港が築かれていたことが分かっている。今回は荷物を運ぶ道路(長さ10㍍、幅3.7㍍)や、道路東側に築いたとみられる塀の大きな柱なども複数確認された。

「出雲そば」200年遡る最古の文書見つかる

「出雲そば」200年遡る最古の文書見つかる

島根県のご当地グルメ「出雲そば」が江戸時代前期にはすでに食べられていたことを示す最古の記述が、同県立出雲歴史博物館の調査で見つかった。出雲そばについてこれまで確認されていたものを約200年遡る文書記録という。
出雲大社の神職、佐草自清の日記の中で寛文6(1666)年3月27日に、江戸前期に出雲大社で行われた造営工事に関し、本殿の柱を立てる相談をした後、日が暮れたところで、そば粉を練って細く切った「蕎麦切」が振る舞われたとの記述があった。
出雲そばは、松本城主だった松平直政が寛永15(1638)年に松江へ移った際、信州から蕎麦切が伝わったのが始まりとされる。出雲そばが記述された文書は、これまで嘉永2(1849)年のものが最古だったが、この日記はこれを約200年遡る。