京都市東山区の「六波羅」と呼ばれる地域で、平安時代後期、総帥・平清盛のもと隆盛を誇った平家一門の屋敷の一部とみられる堀の跡などが見つかった。この付近には平家一門が拠点を築いていたことは、平家物語など記録に残っているが、実際に遺構が見つかるのは初めてという。堀の跡は東西に長さ15m、深さ1.4mで一番上の部分の幅は3mほどだが、深くなるにつれ狭くなっている。南側に土塁が積まれた跡があることから、南に屋敷が広がっていたとみられ、堀の中からは平安時代後期にあたる12世紀ごろの土器が多く出土したという。この地域でホテル建設が計画され、民間の発掘調査会社が2018年12月から調査を進めていた。
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縄文人の全遺伝情報を解読 日本人のルーツに迫れるか
縄文人の全遺伝情報を解読 日本人のルーツに迫れるか
国立科学博物館、国立遺伝学研究所、東京大学などの研究グループは5月13日、縄文人の全遺伝(全ゲノム)情報を解析し、縄文人に関する様々なことが分かったと発表した。これにより、アフリカで生まれた人類集団がどのようにして東アジア各地に広がったのか?日本人の祖先がどこから来たのか?こうした謎に迫る貴重なデータとなるはずだ。
同グループは、北海道・礼文島の船泊遺跡で発掘された3,800年前の縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して、最先端の解析装置を使い30億対の塩基配列すべての遺伝情報を解読。現代人のゲノム解析と同じ精度でDNA上の配列を特定した。
この結果、縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団から分かれた時期が約3万8,000年前から1万8,000年前であることが分かった。また、今回の解析で国内の地域ごとに、縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることも分かった。
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぎ、北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄の人たちで約3割だった。
同グループは、詳細を5月末にも学術誌で発表する。
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朝鮮通信使受け入れで功績の雨森芳洲の展示を一新
朝鮮通信使受け入れで功績の雨森芳洲の展示を一新
江戸時代、朝鮮半島から派遣された外交使節団「朝鮮通信使」の幕府側の窓口として大きな役割を果たした儒学者、雨森芳洲の業績を紹介する滋賀県長浜市高月町の展示施設がこのほど、35年ぶりにリニューアルされオープンした。
同施設は、平成29(2017)年に朝鮮通信使に関する歴史的な資料が、ユネスコの「世界の記憶」に登録されたことを受け、オープンから35年ぶりに初めてリニューアル、展示内容が一新された。
新たな展示では、芳洲の生い立ちや朝鮮通信使との関わりなどを8枚のパネルで分かりやすく説明している。また、芳洲が書いた外交の意見書で、世界の記憶にも登録された「交隣提醒」など20点の関連文書の複製なども展示されている。