堺では江戸時代も盛んに鉄砲生産 古文書で判明

堺では江戸時代も盛んに鉄砲生産 古文書で判明

大阪府堺市と関西大学の分析によると、徳川政権が確立した江戸時代でも、堺では盛んに鉄砲が生産されていたことを示す古文書が見つかった。これは堺市の、かつての鉄砲鍛冶の屋敷、井上関右衛門家から5年前に見つかった、およそ2万点の古文書の分析の結果、判明したもの。
井上家は江戸時代を通じて鉄砲生産に関わっていたとされ、代金の決済などが記された「萬覚帳」からは、1866年の売り上げが現在に金額でおよそ3億円もあったことが分かった。このほか、当時の注文票や鉄砲の設計図などから、全国各地の大名から注文を受けて鉄砲を盛んに生産していたことが分かるという。
天下統一を目指した織田信長や、これを継承した豊臣秀吉が戦乱を収める最大の武器の生産基地として、堺の商人らをを重用したことは知られているが、大きな戦乱がなくなったはずの江戸期になっても、堺で鉄砲生産がこれほど盛んに行われていたことはほとんど知られていなかった。それだけに専門家らは、日本の鉄砲の歴史を書き換える貴重な史料だとしている。