「卑弥呼の墓」解明へ 箸墓古墳など宮内庁が調査許可
宮内庁は2月13日、日本考古学協会など考古・歴史学系の15の研究者団体に、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とされる箸墓古墳(奈良県桜井市)と、その後継者・壱与の墓とされる西殿塚古墳(同県天理市)の立ち入り調査を許可したと発表した。調査は20日に実施される。
両古墳は最古段階の巨大前方後円墳で、墳丘の詳しい形態など不明な点が多い。箸墓古墳は全長約280㍍で、宮内庁は第7代・孝霊天皇の皇女の墓として、西殿塚古墳は全長約230㍍で、宮内庁は第26代・継体天皇の皇后、手白香皇女の墓として、それぞれ管理している。3世紀中ごろから4世紀初めに築造されたとみる説が有力だ。
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岡山県新庄村がマカッサルのハサヌディン大と協定
岡山県新庄村がマカッサルのハサヌディン大と協定
人口約900人の岡山県新庄村が2月初旬、南スラウェシ州マカッサルのハサヌディン大学との間で有機農業に支援に関する協定を結んだ。同村は65歳以上の高齢者が約40%を占めるが、有機農業に関心のある研修生ら若者を呼び込み過疎化を食い止め、村の活性化につなげるとともに、有機農業を通じアジア地域の農業振興に貢献しようというものだ。
今回の協定は、同大の「マリノ実習地区」責任者で、国際医療ボランティア、AMDA(岡山市)インドネシア支部長を務めるアンディ・フスニ・タンテ教授の仲介で実現した。同村の笹野寛村長が1月31~2月4日の日程で同大の「マリノ実習地区」を訪問。同地区の気候や農業形態を視察している。
実習地区周辺には農薬を使用する農家が多いが、有機農業を普及させることで、販売する農産物の付加価値を高めると共に、地元の人々のより安全な食生活の確保を支援するのが狙い。5月から約半年間、同大の学生2人を同村で受け入れ、有機農業の技術指導や人材育成に関する研修を行う。土壌に適した作物や栽培方法を学んでもらうという。
高校生の日本語弁論全国大会 デオリタさん優勝
高校生の日本語弁論全国大会 デオリタさん優勝
高校生の日本語弁論全国大会が2月16日、中央ジャカルタの国営ラジオ放送局(RRI)で行われ、「わたしのへんか」を発表したジョクジャカルタ特別州のデオリタ・エドソニアさん(17)が優勝した。国際交流基金ジャカルタ日本文化センター、教育文化省初等中等教育局学生課、RRIが共催した。
首都圏をはじめ日本語学習が盛んな8地域での予選を勝ち抜いた14人が出場。日常生活で感じ、考えたことを日本語で発表。話し方や構成を競った。デオリタさんは高校時代の寮生活の経験について発表した。洪水で頻繁に浸水する寮を何とかするため友人に呼びかけ、周辺の溝や寮内で下水管を詰まらせるごみを収集した体験を話した。その清掃活動から、自分で考えて何かができることを学んだという。準優勝は「けんこうは必要でしょうか」を発表した東ジャワ州のムハマド・ファエス・リャン・アフィノさん(17)だった。
夢かけ再来日し再挑戦の人も 看護師国家試験
夢かけ再来日し再挑戦の人も 看護師国家試験
日本とのEPA(経済連携協定)に基づき日本に滞在しているインドネシアとフィリピンの看護師候補者たちは2月17日、5万人を超える日本人に混じって、日本各地で行われた102回看護師国家試験を受験した。合格発表は3月下旬。
試験は午前9時から午後零時半、同2時20分から同5時50分の計7時間にわたって行われた。大阪では近畿大学を会場に、2カ国合わせて約120人が受験した。試験会場には、すでに合格して看護師となった先輩たちが、後輩の応援に駆けつけていた。いったん帰国し、夢を諦めかけたが、インドネシアの日系人を支援する組織・団体の協力で、再来日して受験した候補者の姿もみられた。
2008年7月に発効した日本とインドネシアのEPAに基づき、同年8月からこれまでにインドネシアから392人が看護師候補者として来日。合格者はこれまで約50人にとどまっている。言葉の壁などが大きく、9割前後で推移する全体の合格率と比べ極端に低いのが現状。
厚生労働省は今年の試験で、EPAに基づく外国人看護師候補者の試験時間を一般受験者より1時間40分長い7時間に延長し、問題文の漢字に振り仮名を付けるなど徐々に改善策を講じている。
各地に「山田方谷を広める会」設立で盛り上がる
各地に「山田方谷を広める会」設立で盛り上がる
幕末、備中松山藩(現在の岡山県高梁市ほか)の財政を建て直した陽明学者、山田方谷(やまだほうこく、1805~1877年)の事績をもっと幅広く知ってもらおうとの動きが目立ってきた。地元岡山県の関係者は、NHKの大河ドラマ化を求めて署名運動を展開するほか、各地に昨年から「山田方谷を広める会」が設立されているという。
方谷は農民の子に生まれながら、松山藩板倉家の家老にまで出世。幕府の老中に就いた藩主・板倉勝静(いたくらかつきよ)を通じて幕政にも関わったほか、藩主に代わり危機的状況にあった藩財政を立て直すなど抜本的な藩政改革を推進した人物だ。全国的な知名度はいまひとつだが、戊辰戦争の折、執政として越後長岡藩を率いた河井継之助など明治維新期の著名人に思想面で大きな影響を与えた。また教育面でも大きな足跡を残した。