月別アーカイブ: 2013年3月

大震災の経験共有し交流深める東松島とバンダ・アチェ

大震災の経験共有し交流深める東松島とバンダ・アチェ
 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東松島市と、2004年のスマトラ沖地震・津波の被災地、インドネシアのスマトラ島アチェ州の州都バンダ・アチェ市が交流を深めている。バンダ・アチェ市は3月から1年間、2人の職員を東松島市に派遣した。両市が目指すのは、単に壊れたものを元に戻すだけの復旧ではなく、震災を機により良い地域社会を構築しようという、いわば地域再生事業。震災の経験を共有することで、その足掛かりにしようと取り組んでいるもの。
 スマトラ沖地震・津波では22万人以上の死者・行方不明者を出した。東松島市は東日本大震災で全世帯の76%が全半壊、1000人以上が犠牲になった。両市をつないだのは、国際協力機構(JICA)東北の企画役で、05~08年、アチェの復興支援に携わった永見光三さん。東日本大震災直後、ともにアチェを支援したケントロ・マンクスブロト元アチェ・ニアス復興再建庁(BRR)長官(現開発管理調整官)から、被災者のため力になりたい旨の連絡が入ったという。これをきっかけに両市の協力が具体化していった。
 バンダ・アチェの2人は3月9日に現地を出発、10日に日本入り。15日から東松島市で2人を受け入れる一般社団法人「東松島みらいとし機構(HOPE)」の実務に参加する。

 

さつま揚げの老舗「有村屋」伝統の味をブカシで生産

さつま揚げの老舗「有村屋」伝統の味をブカシで生産
 創業101年を迎えるさつま揚げの老舗「有村屋」(鹿児島市)の工場がこのほど、西ジャワ州ブカシで操業開始した。インドネシア産のすり身を加工した100%インドネシア産のさつま揚げを製造する。同国内はじめ米国、豪州などへの輸出も視野にいれ、「インドネシア産・鹿児島の味」を世界に広げる。同社のインドネシアでの事業は約4半世紀ぶり。
 有村屋は日系食品卸のますやと合弁会社「有村屋インドネシア」を設立。今年1月に製造開始した。材料のすり身を中部ジャワの日系工場から取り寄せ、インドネシアの海で獲れたイトヨリダイやキントキダイのすり身に、枝豆を混ぜた「えだまめ天」、サツマイモを混ぜた「サツマイモ天」など7種を生産する。具材はいずれもインドネシア産。イスラム指導者会議(MUI)のハラルの認証を取得し、インドネシア全土で販売する。
 同社は日本から年間100㌧輸出(米国、台湾、シンガポール)しているが、円高対策でインドネシアを海外への輸出拠点と位置づけ、米国や豪州への供給を見込む。このブカシ工場でも日本と同様、国際的な衛生管理基準のHACCPの認証も取得している。将来的に1日2㌧の生産を目指す。

八戸高専の生徒がバンテン州の高校生と交流、意見交換

八戸高専の生徒がバンテン州の高校生と交流、意見交換
 東日本大震災からの復興を外国に発信するため日本政府が取り組む「キズナ強化プロジェクト」でインドネシア入りした青森県・八戸高専の生徒14人は3月4日、学校間交流に力を入れるバンテン州スルポンの国立イスラム寄宿学校インサン・チュンドゥキアを訪れた。
 同校の生徒約20人を前に、被災地の現況を写真でで見せたり、震災の影響などについて話し、意見交換、災害訓練の大切さを共有した。インサン・チュンドゥキア校の生徒は、2004年のスマトラ沖地震・津波や06年の中部ジャワ地震について紹介。日本から災害に対する考え方や対策技術を学ぶことができた-と話した。同校は科学技術応用評価庁(BPPT)と連携し、イスラム教育と科学技術を重視したカリキュラムを編成。日本にも留学生を送り出している。

大阪・豊中市 古墳時代後期 須恵器120点出土

大阪・豊中市で古墳時代後期の須恵器120点出土
大阪府豊中市教育委員会は2月22日、同市桜井谷2-2号窯跡で、古墳時代(6世紀初め)の須恵器が約120点出土したと発表した。焼成中に天井部が落下したため、窯詰め中の須恵器が当時のまま出土。桜井谷窯跡群は6世紀前半に突然生産規模が拡大する。大阪大学の福永伸哉教授は「継体天皇が淀川流域を拠点に新たな王権を打ち立てる時期と合致し、この地域を国家的窯業地として育成した意図が読み取れる」としている。

形・規模似 京都・元稲荷古墳 神戸・西求女塚古墳

形・規模似た京都・元稲荷古墳 神戸・西求女塚古墳
 向日市埋蔵文化財センターは2月28日、国内最古級の前方後円墳の元稲荷古墳(京都府向日市、3世紀後半)が、同時期の西求女塚古墳(神戸市灘区)と形も規模もほぼ同じことが分かったと発表した。1月からの調査で、元稲荷古墳の全長は94㍍、後方部の幅は50㍍、後方部とつながるくびれ部の幅は23㍍と判明。西求女塚古墳は全長98㍍、後方部の幅は50㍍、くびれ部の幅は25㍍。したがって、2つはほぼ同じ大きさで、ここまで似ている例は極めて珍しいという。同センターはそれぞれの被葬者は大和政権の同じランクに属し、どちらも政権が派遣した同じ職人集団が設計したのではないか-としている。

「お登勢」生家の記録文書 大津で発見

「お登勢」生家の記録文書 大津で発見
 坂本龍馬ら幕末の志士を支援した京都・伏見の宿「寺田屋」の女将「お登勢」の生家を記録した文書が大津市で見つかった。見つかったのは1847年の宗門人別長。お登勢は現在の大津市中央1にあたる丸屋町の宿「升屋」を経営した重助の次女で、当時18歳と記され、きょうだい4人がいたことも分かった。お登勢は寺田屋に嫁いだ後、主人、伊助を助けて宿を切り盛りしたことで知られているが、生家や家族の状況は詳しく分かっていなかった。寺田屋は1866年、龍馬が伏見奉行に襲撃された、いわゆる寺田屋事件の舞台。

萩原朔太郎直筆のはがき 前橋で見つかる

萩原朔太郎直筆のはがき 前橋で見つかる
 「月に吠える」などの作品で知られる萩原朔太郎が編集者に送った直筆のはがきが新たに見つかった。消印は大正15年(1926年)3月9日。東京にあった出版社「博文館」編集部の新井弘城に宛てた、原稿催促に対する返信文が認められている。萩原朔太郎は大正時代に活躍した詩人で、同市の前橋文学館で3月1日から31日まで公開される。

水口岡山城跡で秀吉時代の石垣見つかる

水口岡山城跡で秀吉時代の石垣見つかる
滋賀県甲賀市教育委員会は2月27日、豊臣秀吉が重臣に築かせた水口岡山城跡(滋賀県甲賀市)で、城があった山頂付近を広範囲に囲む石垣が見つかったと発表した。城は高さ283㍍の山の頂上にある。石垣は本丸などの主要部から20~30㍍低い位置で見つかった。城がある山頂周辺が広い範囲で高さ1.5~2㍍の石垣で囲まれていた可能性が高いという。この城が築造された1585年は、秀吉の天下統一の途中にあたる。城主の長束正家が関ヶ原の戦いで敗れた西軍だったため、廃城となった。

山口・萩市で「幕末・維新girl’s サミット」

山口・萩市で「幕末・維新girl’s サミット」
 山口県萩市で2月23、24日、歴史好きな女性”歴女”が交流する「幕末・維新girl’s サミット」が開かれた。全国から集まった13~69歳の44人の参加者は町を着物姿で散策、歴史談義に花を咲かせた。この日は普段は入れない、吉田松陰が高杉晋作、久坂玄瑞、井上馨、山県有朋、伊藤博文など幕末の動乱期から明治維新にかけて、その立役者として活躍した数多くの英傑たちに教えた私塾「松下村塾」、そして坂本龍馬ゆかりの道場にも特別に入り、幕末史や松陰の思想についての講義も行われた。参加歴女のいきいきした笑顔が目立った。

不動明王立像など運慶、快慶の仏像群が国宝に

不動明王立像など運慶、快慶の仏像群が国宝に
 文化審議会は2月27日、鎌倉時代に活躍した仏師、運慶の「木造不動明王立像」や快慶の「木造騎獅文殊菩薩像」などの仏像群と、平安時代から明治時代の史料「醍醐寺文書聖教」の計3件を国宝に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。このほか、江戸時代の絵師、狩野探幽の「紙本金地著色四季松図」や、福島県いわき市の長福寺が所有する鎌倉時代の「木造地蔵菩薩坐像」など50件を重要文化財に指定することも求めた。近く答申通り指定され、美術工芸品の国宝は871件、国宝を含む重要文化財は1万524件となる。