月別アーカイブ: 2013年7月

宝永地震の「大坂の死者2万1000人超」幕府の記録

宝永地震の「大坂の死者2万1000人超」幕府の記録
 新潟大の調査によると、江戸時代中期の1707年に発生した宝永地震(マグニチュード8.6)で、大坂(現・大阪)市中の津波などによる死者は2万1000人を超えたとする記録が残っていたことが分かった。この記録は地震直後に、尾張藩士が幕府の報告書を写したもので信頼性が高く、宝永地震の被害見直しを迫る史料となりそうだ。宝永地震は有史で最大級の南海トラフ地震だが、被害実数が分かる史料は少なく、大坂の死者は数千~1万人、全国で計2万人との推計が通説だった。
 「天下の台所」と呼ばれ、物流拠点として栄えていた大坂の人口は当時約35万人。死亡率は6%に達し、全国最多だったとみられる。新潟大の矢田俊文教授は、宝永地震では今の大阪市中心部の大半が浸水し、多くの橋が落ちた。将来の防災に生かしてほしい-と話している。津波の直撃を受けなかった内湾沿いの大坂でも、南海トラフ地震で死者が2万人を超えたという記録は衝撃的だ。

秀吉が築いた御土居、江戸時代に移設した跡を発見

秀吉が築いた御土居、江戸時代に移設した跡を発見
 京都市埋蔵文化財研究所は、京都市下京区で、桃山時代に築かれた土塁「御土居(おどい)」が、江戸時代の1641年(寛永18年)に東本願寺の別邸・渉成園造営に伴って付け替えられた跡が見つかったと発表した。御土居の一部が崩され、東側に飛び出すように迂回していた。同研究所によると、御土居の付け替えが確認されたのは初めて。
 見つかったのは、移設された御土居の東西200㍍のうち60㍍分。幅は4㍍分を確認した。高さは0.6㍍残っていた。御土居は敵の襲来や鴨川の氾濫から京都の市街地を守るために、豊臣秀吉が築いたもので、土塁の外側は堀だった。

漱石の”幻の書簡”発見 英国留学費用の工面の”跡”

漱石の”幻の書簡”発見 英国留学費用の工面の”跡”
 熊本近代文学館は7月5日、夏目漱石が旧制五高校(熊本)の教授だった1900年(明治33年)6月、友人のドイツ語学者、菅虎雄に宛てた手紙が見つかったと発表した。研究者に存在は知られていたが、所在が分からず、”幻の書簡”と呼ばれていた。手紙は漱石が英国に留学する2、3カ月前、留学費用を工面するため、漱石が熊本から出したもの。昨年11月、古書市場に出回っていたのを業者が発見。熊本県が買い取り、文学館が収蔵した。

啄木は128人中10位 盛岡尋常中合格時の席次表発見

啄木は128人中10位 盛岡尋常中合格時の席次表発見
 岩手県出身の歌人、石川啄木(1886~1912年)が盛岡尋常中(現・盛岡一高)を受験、合格した際の席次表が見つかった。啄木の席次は合格者128人中10位。入学時の年齢は12歳と、通常より1年早いにもかかわらず、”神童”とうたわれた少年時代の英才ぶりをうかがわせる。入試成績は文献などで知られていたが、裏付ける資料が確認されたのは初めて。啄木は渋民村(現・盛岡市)の渋民尋常小に学齢より1年早く入学、首席で卒業後、盛岡高等小を経て、県内で最難関の盛岡尋常中を受験した。競争倍率は3~4倍だったという。

墳丘と石室を同時に築造 松江の古墳時代の前方後方墳

墳丘と石室を同時に築造 松江の古墳時代の前方後方墳
 島根県埋蔵文化財調査センターの発掘調査によると、松江市大草町の前方後方墳「古天神古墳」(6世紀後半、全長27㍍)の後方部は、墳丘と石室を同時に造っていたことが分かった。古墳時代後期の前方後方墳の築造手順があきらかになるのは珍しいという。前方部から後方部にかけて墳丘が崩れたために調査。墳丘断面を観察し、地層の状況から土を盛った順序を推定した。前方部は築造当時の地表面の上にそのまま土を盛っていたが、後方部は地表面を削って平らにし、土を盛って墳丘を造りながら石室を組み立てたとみられる。

力士の始祖 野見宿禰の雄姿石碑に 奈良・桜井で除幕式

力士の始祖 野見宿禰の雄姿石碑に 奈良・桜井で除幕式
 相撲発祥の地とされる奈良県桜井市の相撲神社で7月7日、『日本書紀』に登場する力士の始祖、野見宿禰(のみのすくね)の雄姿を刻んだ石碑の除幕式があり、元横綱の北勝海の八角親方も駆け付けて祝った。石碑は幅約2㍍、高さ約2.5㍍、野見宿禰の姿は、1964年開催の東京オリンピックで主会場となった国立競技場の壁に描かれているモザイク画を写した。

「鳳凰堂」を平安の姿に再現 来春から拝観を再開

「鳳凰堂」を平安の姿に再現 来春から拝観を再開
 京都府宇治市の平等院は7月9日、昨年9月から修理中の国宝「鳳凰堂」を、創建から約50年後に最初に修理した時の姿に再現すると発表した。瓦の文様や壁などの塗料を変えて金色の鳳凰を据え、平安時代の姿に蘇らせる計画。2014年4月から拝観を再開する。平等院は平安時代の1053年、関白の藤原頼通が極楽浄土をイメージして創建。半世紀に1回大修理しており、今回は56年ぶり。

薬師寺東塔「心柱」の上部取り外す 解体修理で

薬師寺東塔「心柱」の上部取り外す 解体修理で
 約110年ぶりの解体修理が行われている奈良市の薬師寺東塔(国宝)で7月8日、塔の中心を貫く心柱の上部(約13㍍)が取り外された。心柱は大木を接いでおり、下部は約17㍍。上部から3層目の裳階(もこし)まで屋根などの解体が進み、取り外しが可能になった。解体には工事用の覆い屋の天井に設置したクレーンを使用。吊り上げられた心柱がゆっくりと上昇し、約5分かけて取り外された。下部の解体は来年半ばになる予定で、創建年代の解明につながる年輪年代測定法を用いた年代調査も計画されている。

長崎半島の白亜紀の地層から肉食恐竜の化石発見

長崎半島の白亜紀の地層から肉食恐竜の化石発見
 福井県立恐竜博物館(福井県勝山市)と長崎市教育委員会は7月8日、長崎半島(長崎市)の約8400万年前(白亜紀後期)の地層から肉食恐竜の歯の化石の一部2点を発掘したと発表した。肉食恐竜の化石は岩手県や福島県など12県で見つかっているが、長崎県では初めてで、同県に肉食恐竜が存在したことが明らかになった。化石は2点とも歯で、1点は高さ35.4㍉、幅26.8㍉、厚さ11.2㍉で、歯根側の約半分に当たり、これまで見つかった肉食恐竜の歯としては国内最大級。もう1点は高さ34.2㍉、幅13.6㍉。全長約7㍍を超える大型の肉食恐竜と推定されるという。

西ジャワ州でスマートコミュニティ技術の実証事業

西ジャワ州でスマートコミュニティ技術の実証事業
 新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)は、インドネシアで日本のスマートコミュニティ技術を売り込む実証事業を開始する。インドネシアのエネルギー・鉱物資源省と7月15日、基本協定書を締結。同日から西ジャワ州カラワン県のスルヤチプタ工業団地に電力品質の安定化技術や省エネ化に向けたエネルギーマネジメントシステムなどの設置に取り掛かり、システムの基盤となる情報通信技術(ICT)プラットホームを導入し、来年4月をメドにシステムの運用を始め、効果を実証する。
 事業費は35億円。期間は2016年2月まで。システム運営のビジネスモデルも確立し、実証事業終了後は民間へシステムを売却する予定。事業は委託先の住友商事、富士電機、三菱電機、NTTコミュニケーションズが現地の国営電力PLN、スルヤチプタ工業団地と協力して進める。