私説 小倉百人一首 No.95 前大僧正慈円

前大僧正慈円
※関白藤原忠通の子

おほけなくうき世の民にもおほふかな
            わが立つそまに墨染の袖

【歌の背景】慈円がまだ法印だった時に、僧侶として衆生済度の大任を果たせるかどうかという覚悟が、謙虚に表現されている歌。伝教大師、最澄の歌にならったものとみられる。

【歌 意】私は身のほど知らずにも、この比叡山に住みついて私の墨染めの袖を、つらくて悩み多いこの世の人々の上に覆いかけて、済度しようとしているのだ。

【作者のプロフィル】関白藤原忠通の子。久寿2年(1154)生まれ。11歳で延暦寺座主覚快法親王に師事し、14歳で出家した。初め道快と名のったが、のち慈円と改めた。吉水和尚ともいう。建久3年権大僧正、天台座主となり、前後4度も天台座主になる。若いころ西行に和歌を習った。その著「愚管抄」はわが国最初の史論。後堀河院の嘉禄元年(1225)9月、71歳で没。おくり名を慈鎮(じちん)という。