平安前期の「悲田院」「施薬院」の名記した木簡出土

平安前期の「悲田院」「施薬院」の名記した木簡出土

 京都市埋蔵文化財研究所は7月2日、「悲田院(ひでんいん)」「施薬院(せやくいん)」の名を記した平安時代前期(9世紀)の木簡が京都市内で出土したと発表した。悲田院、施薬院は貧しい人々の救済施設で、出土したのは死亡した収容者の氏名などを記した報告書や、全国から送付された薬の原料の荷札などで、施薬院関連の木簡がまとまって出土したのは初めて。活動の実態を示す貴重な史料という。

 木簡が見つかったのはJR京都駅の約200㍍南で、平安京の東南隅にあたる地点。記録によると、周辺に施薬院の御倉(倉庫)や高級貴族の別宅があったとされている。出土した木簡は17点。うち1点は弘仁6年(815年)3月10日の日付が入った報告書で、死亡した収容者2人の氏名や年齢、裏面に施薬院の田畑を耕すために雇っていた4人が死亡したことが記してあった。

 「武蔵(東京都や埼玉県など)」「讃岐(香川県)」などの地名と、薬の材料として用いられていた「蜀椒(しょくしょう=サンショウ)」「猪脂」などと記した荷札も出土。悲田院から施薬院への上申文書とみられる木簡もあった。