被葬者は蘇我稲目か 都塚古墳は大型方噴ピラミッド型

被葬者は蘇我稲目か 都塚古墳は大型方噴ピラミッド型

 奈良県明日香村教育委員会と関西大考古学研究室は8月13日、明日香村の都塚古墳(6世紀後半ごろ)が、墳丘を5段以上の階段状に築いたピラミッド形の大型方噴と分かったと発表した。国内の同時期の方墳で階段状墳丘が確認されたのは初めて。一辺の長さが40㍍を超え、直後に築かれた方墳大王(天皇)陵に迫る規模であることも明らかになった。

 当時のトップクラスの権力者が、前方後円墳に代わる新形式として取り入れたとみられる。そのため、蘇我氏の権勢の礎を築いた蘇我稲目(そがのいなめ、?~570年)らが被葬者の候補に挙がっている。

 都塚古墳があるのは蘇我稲目の子、馬子(?~626年)が被葬者として有力視されている石舞台古墳(7世紀前半、一辺約50㍍の方噴)の南東約400㍍。尾根の先端の傾斜地に築かれている。1967年に関西大考古学研究室が調査し、巨石を使った横穴式石室の中に凝灰岩製の家形石棺が安置されていたことが分かったが、墳丘の形や規模は不明だった。

 今回、当時としては異例のピラミッド形の大型方噴が確認されたことで、古墳時代から飛鳥時代への過渡期の権力構造を知る手掛かりになるとみられる。