舒明天皇陵か蘇我蝦夷墓説 奈良・明日香村に巨大石溝

舒明天皇陵か蘇我蝦夷墓説  奈良・明日香村に巨大石溝

奈良県立橿原考古学研究所は1月15日、明日香村川原の丘陵地にある小山田遺跡で、様々な石で固めた巨大な溝(掘割)が見つかったと発表した。これまで全く知られていなかった遺構で、同研究所は7世紀中ごろに築かれた一辺50㍍以上の大型方墳の濠(ほり)とみている。古墳とすれば飛鳥時代(7世紀)最大級で、舒明(じょめい)天皇ら天皇(大王)陵や、天皇に並ぶ権力を振るった蘇我蝦夷(そがのえみし)の墓の可能性が指摘されている。

溝は2014年11月からの県立明日香養護学校の建て替え工事に伴う調査で見つかった。ほぼ東西方向に約48㍍が確認された。幅は最上部が約7㍍、底面が約3.9㍍。深さは残っている部分で約1㍍あった。北側の法(のり)面には40㌢大の石英閃緑(せんりょく)岩(花こう岩)がびっしりと張ら付けられ、底面には15~30㌢大の石英閃緑岩が敷き詰められていた。南側の法面は一辺数十㌢の方形に加工した板石(厚さ5~10㌢)が積まれていた。一番下に緑がかった結晶片岩が2段に、その上に赤みがかった室生(むろう)安山岩が階段状に8段積み上げられていた。溝を造成した時の土の中から6世紀後半の土器類、溝が埋没した時の流入土から7世紀後半の土器が出土。板石積みに用いられた石の種類からも7世紀中ごろの築造とみられるという。

一帯は飛鳥時代の古墳の集中地域。古墳とすれば、蘇我馬子の墓とする説が有力な石舞台古墳(明日香村、一辺約50㍍の方墳)を上回り、推古天皇陵とされる飛鳥時代最大の山田高塚古墳(大阪府太子町、長辺61㍍)にも匹敵する。現場は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、後の天智天皇)、藤原鎌足らが蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼした「乙巳(いっし)の変」(大化の改新)の舞台とされる伝飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)跡から西約1㌔。