石田三成の居城の痕跡一掃へ徹底破壊 発掘で裏付け

石田三成の居城の痕跡一掃へ徹底破壊 発掘で裏付け

滋賀県教育委員会は3月24日、豊臣秀吉の側近の一人だった戦国武将、石田三成が居城としていた同市の佐和山城跡で、城を破壊する「城割り」の痕跡が確認されたと発表した。関ヶ原の戦い(1600年)で西軍の大将格だった三成が敗れた後、徳川方が”見せしめ”として、徹底的に壊したとみられる。
佐和山城は、佐和山(233㍍)に築かれた山城。三成は1590年に城主となり、5層の天守を構えたとされる。関ヶ原の戦いの後、家康の家臣、井伊直政が入城したが、近くに彦根城を築いたことに伴い1606年、廃城となった。
今回の調査で、本丸があったと伝わる山頂付近の斜面を発掘したところ、石垣表面に使う大きな「築石(つきいし)」は見つからず、裏に詰める小石だけが大量に出土。さらに本丸があったとみられる平坦な造成地などは徹底的に削られ、痕跡も残っていなかった。
同市教委によると、江戸時代の史料には佐和山城の石垣を彦根城に再利用したこと、佐和山城の本丸を破壊したことなどが記されており、今回の調査はそのことを裏付けたとしている。