様々なスポーツにはルールがある。世界各国で盛んなスポーツほどグローバルスタンダードがある。例えばオリンピック種目では、極端な場合、開催地ごとに小幅なルール変更があったりする。
しかし、その国の固有に近いスポーツでは一定のルールは変わらずにあるはずだ。日本の大相撲がそれに該当すると思っていた。だが、そうではないらしい。最近とくに、各力士の取り組みを土俵下に”鎮座”する審判部の検査役の質の低下が目立つ。勝ち負けの微妙な取り組みには当然、物言いをつけ、検査役が審議すべきだ。しかし、勝敗は一見して明白なケースや、反対にこれは物言いをつけなければと思わせる取り組みには、検査役の誰もが全く動かずという場合も散見する。また、技(わざ)の掛け合いで、土俵の内外でほぼ同時に倒れ込んだ場合、力士の足が土俵の俵の上か、外に付いたか否かーーなどで、取り直しは当然という微妙なケース。また、これは勝敗が明白というケースでも、見る角度によって微妙に見え、物言いをつけられ取り直しとされたうえ、結果、逆転負けする当事者の力士には気の毒なケースも出ている。これらの問題は、かつては考えられなかったことだ。
大相撲も、モンゴルをはじめカザフスタン、ウクライナ、ロシア出身者など本格的な国際化時代を迎え、国籍・出身国も様々な状況になった。その事自体はいいことだ。しかし、国技に準じる、日本固有の長い歴史を持つ大相撲のルールの運用に、安易な手心が加えられるようなことがあってはいけないのではないか。それと、目に余るのが勝負検査役の説明の際の言葉選びや、質の低さだ。きちんとした日本語になっていないケースもある。協会では各部屋の幹部・親方衆を含め、きちんと相撲協会のルールや日本語の研修をすべきだ。それが、国際化を進める際の受け入れ側の、本来あるべき謙虚な姿勢ではないか。ぜひ、早急に改めてもらいたいものだ。