三角縁神獣鏡は「魔鏡」反射光に背面の文様浮かび上がる
京都国立博物館は1月29日、3次元(3D)プリンターを使って「卑弥呼の鏡」との説がある古代の青銅鏡「三角縁神獣鏡」の精巧な金属製レプリカを製作したところ、壁に投影した反射光の中に鏡の背面に刻んだ文様が浮かび上がる「魔鏡」と呼ばれる現象が起きることが分かったと発表した。
この現象は太陽光線など平行光で特に顕著で、人心を掌握するのに用いた可能性や、太陽信仰との関連を指摘する意見もあり、古代鏡の研究に新局面をもたらしそうだ。鏡は古代の祭祀(さいし)で用いたと考えられているが、具体的役割は不明だった。今回のような現象を起こす鏡は古代中国の漢代に登場。日本では江戸時代に隠れキリシタンが用いたものなどが知られるが、国内の古代鏡で確認されたのは初めてという。
月別アーカイブ: 2014年1月
7000年前の日本固有のカメの完全な頭骨化石 兵庫で発見
遣欧使節派遣から交流400周年 イベントで仲深める
遣欧使節派遣から交流400周年 イベントで仲深める
今から400年前、スペインの小さな漁村に降り立った日本人たちの足跡が、日本・スペイン両国交流の端緒となった。その子孫とされる人々は姓に「日本(ハポン)」を名乗り、今も同じ場所で暮らし日本との縁を大事にしている。
江戸時代初期、仙台藩主・伊達政宗は家臣の支倉常長を大使とする大型使節団をスペイン国王やローマ法王のもとに派遣。使節団はメキシコなどを経由して出発からちょうど1年経った1614年10月、スペイン南西部セビリアからバスで40分ほどの小さな町・コリアデルリオに到着した。日本国内では、徳川家康が豊臣氏を滅ぼすべく最後の戦いを開始する「大坂冬の陣」のころのことだ。
支倉らは想像を絶する苦労の末、スペイン国王やローマ法王らに謁見するなどして、1617年に日本に向かったが、長期滞在したことで、使節団の中には家族や生活基盤ができてしまい、帰国せずに現地に土着した日本人もいた。この人たちがコリアデルリオで、今もハポン姓を名乗る人たちの祖先になったと考えられる。
日本・スペイン交流400周年をきっかけに多くのイベントが企画され、日本との関係は一段と深まっている。2013年6月には日本の皇太子さまがコリアデルリオを訪問、ハポン姓を持つ人たちと交流された。また、何人かのハポンさんは東日本大震災後、遠く離れた日本の被災地を訪れている。コリアデルリオでは、今も慰霊行事や慈善コンサートなどが開かれる。
阿弥陀如来立像の内側に家康の養女が記した文字 高知
法隆寺で防火訓練 文化財防火デーで誓い新たに
「壬生狂言」の衣装を40年ぶり新調 4月公演で披露
日本政府の草の根支援で東ジャワ州の病院を増改築
日本政府の草の根支援で東ジャワ州の病院を増改築
インドネシア東ジャワ州ボジョヌゴロ県のスンブンレジョ・ムハマディヤ病院で1月21日、日本政府が草の根・人間の安全保障無償資金の枠組みで支援した病院施設の増改築の完成式典が開かれた。式典には野村昇スラバヤ総領事、ボジョヌゴロ県知事、同病院院長らが出席した。じゃかるた新聞が報じた。
野村総領事は「今回建設された部屋には東京、京都、梅、ひまわりなど日本の都市と花の名前が付けられており、感銘を受けた。しっかり維持管理して地域住民に質の高い医療サービスを提供してほしい」とあいさつした。同病院では治療室が不足しており、低所得者向けの施設などが増改築された。供与限度額は10万8000㌦。
吉田松陰の辞世の句見つかる 長野修繕の手紙の巻物から
吉田松陰の辞世の句見つかる 長野修繕の手紙の巻物から
井伊美術館(京都市東山区)は1月23日、幕末の思想家、吉田松陰(1830~59年)の辞世の句が見つかったと発表した。辞世の句は縦27.5㌢、横19.5㌢の和紙に「此程に思定めし出立はけふきく古曽嬉しかりける(これほどに おもいさだめし いでたちは きょうこそ うれしかりける)」(死を覚悟しており、今日やっとその日が来て嬉しい、の意)と記されていた。
この辞世は井伊直弼(1815~60年)の家臣、長野主膳の手紙の巻物に貼り付けられていたという。文言は家族宛ての辞世の句と同じで、専門家は松陰が同じ句を複数の人に宛てて書いたと考えられるとしている。
松陰は当時の大老、井伊直弼により断行された「安政の大獄」で、長州・萩から江戸に送られ、伝馬町の牢内で首を落とされた。松陰の辞世として、一般に広く知られている句に、「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちるとも 留めおかまし大和魂」がある。松陰は筆まめで、獄中でも家族や弟子宛てに手紙などを書いていたことで知られている。
弥生時代前期の水田跡から玄米出土 奈良県の秋津遺跡
弥生時代前期の水田跡から玄米出土 奈良県の秋津遺跡
奈良県立橿原考古学研究所は1月19日、弥生時代前期(約2400年前)では全国最大の水田跡、秋津遺跡(奈良県御所市)で当時のものとみられる玄米が出土したと発表した。玄米は11粒あり、当時の耕作土の中から30㌢ほどの範囲内でまとまって出土した。大きさは約4㍉で色は茶色。外見上は長粒種ではないという。また胚が残存しており、ほぼ完全な状態という。
弥生時代のコメは各地で見つかっているが、ほとんどが真っ黒に劣化した状態で「炭化」と呼ばれ、今回ほど保存状態の良い例は極めて珍しいという。泥で包まれて酸素が遮断されるなど様々な条件が重なったとみられる。今後DNAなどを分析して品種や性質を詳しく調べる方針で、収量をはじめ初期稲作の実態解明につながると期待される。
三重県鈴鹿市で240万年前の新種のゾウの化石発見
三重県鈴鹿市で240万年前の新種のゾウの化石発見
三重県は1月20日、鈴鹿市で約240万年前(更新世初頭)の新種とみられるゾウの牙や臼歯などの化石を発見したと発表した。この時期のゾウの化石がまとまった形で出てくるのは初めてで、進化の過程が明らかになる可能性がある。日本には大陸と地続きだったころゾウがいたが、約2万年前に絶滅した。昨年5月、同市の川岸で、散歩中の男性が牙の根元の化石を発見。その後の調査で臼歯やあばら骨なども発掘された。
国内ではこれまで、300万~430万年前に生息していた国内最大級のミエゾウ(体高約4㍍)や、ミエゾウを祖先種とし、120万~200万年前に生息していた小型のアケボノゾウ(体高約2㍍)の化石が多く発見されているが、その中間の時代の地層からは十数点しか見つかっていなかった。化石は、4月に開館する三重県総合博物館で7~9月に公開する予定。