私説 小倉百人一首 No.17 在原業平朝臣

在原業平朝臣

ちはやぶる神代もきかず竜田川
       からくれなゐに水くくるとは

【歌の背景】二条の后・藤原高子がまだ清和天皇の女御で、東宮(後の陽成天皇)の御息所といわれていたとき、屏風に龍田川に散った紅葉が流れている絵が描かれているのを題にして詠んだ。
【歌意】いろいろ不思議なことのあった神々が住んでいたと想像された時代においても聞いたことがない。たつ田川の水をこんなに真っ赤にくくり染め(絞り染め)にするとは。
【作者のプロフィル】在原業平は現代風にいえば名うてのプレーボーイだった。彼の恋の相手は二条の后・藤原高子と恬子内親王。藤原高子は清和天皇の后であり、陽成天皇の母である。恬子内親王は文徳天皇の皇女であり、伊勢神宮の斎宮として男性との一切の交渉を禁じられていた女性である。このほか、清和天皇の后であり、貞数親王の母である姪の在原文子、仁明天皇の皇后で、文徳天皇の母である藤原順子らもアバンチュールの相手と噂された。いずれも高貴な女性であり、すべて禁忌(タブー)の不倫だ。
 彼は平城天皇の子、阿保親王の第五子であり、その母伊豆内親王は桓武天皇の皇女。したがって、本来ならこの平城天皇の系譜に彼の皇位は伝えられるべきであった。しかし、「薬子の乱」によって一門は失脚し、子供たちもやむなく臣籍に下り「在原」姓を名のったというわけだ。
 そんな不遇の生い立ちがアバンチュールの相手として、何事もなければ社会的に同列に並んでいたであろう天皇の后妃たちを選び、彼をタブーの恋に駆り立てたのではないだろうか。
 「伊勢物語」の作者。六歌仙に一人。