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ASEAN各国と知的財産分野で協力強化 特許庁

ASEAN各国と知的財産分野で協力強化  特許庁

経済産業省・特許庁は8月28日、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国との知的財産分野における協力を強化すると発表した。ミャンマー知的財産庁設立に対する支援などに取り組む。マレーシア特許庁とは特許審査の迅速化に向けた協力の枠組み「特許審査ハイウェイ(PPH)制度を10月から試行することで合意した。フィリピン、シンガポール。インドネシア3か国それぞれの知的財産庁とも人材育成や模倣品対策、IT分野の特許審査に関するノウハウの習得を日本が支援するなどの協力関係を築く。

平城京「光と灯りのアートフェスタ」天平の世を幻想的に

 

平城京「光と灯りのアートフェスタ」天平の世を幻想的に

奈良市の平城宮跡で、「平城京天平祭☆夏2014」が8月29日始まった。「光と灯りのアートフェスタ」をコンセプトに午後6時半~9時、かつての宮廷を幻想的に彩る。31日まで行われる。入場無料。広場をカップ入りのろうそく約1万個で照らす「燈花会」や電飾付き衣装を着て練り歩く「天平行列」のほか、朱雀門に極彩色のアートを投影するなど趣向を凝らす。

シルクロード沿いのアジアや中東の各国料理を屋台で販売する。会場は奈良時代、政治や国際交流の舞台として輝いた一帯。夏の最後の思い出に、歴史のロマンに暫し、浸ってみるのも一考か。

 

北九州市 ベトナムに独自の浄化技術による水処理施設

北九州市 ベトナムに独自の浄化技術による水処理施設

 北九州市は8月27日、政府開発援助(ODA)を活用し、ベトナム第3の都市、ハイフォン市の主力浄水場に、独自方式の高度処理による浄水施設を整備すると発表した。海外の大規模施設への導入は初めて。十数億円の事業規模を見込んでおり、北九州市の「水ビジネス」が本格的に動き出す。

 北九州市の独自の高度処理「上向流式生物接触ろ過」(U-BCF)は、悪臭の原因となるアンモニアなどの物質を分解する微生物を活性炭に定着させて浄水に活用するしくみ。オゾンなどを使う通常の高度処理施設に比べ建設費が約半分、ランニングコストも20分の1で済むのが最大の特徴。

 北九州市は今年1月、ホーチミン市でも実証試験を開始。将来は北九州方式による高度処理のベトナム全土への普及を目指す。

JICA ミャンマーの6空港の保安設備整備事業始動

JICA ミャンマーの6空港の保安設備整備事業始動

 国際協力機構(JICA)はこのほど、ミャンマーに対する無償資金協力の一環として同国の空港の保安設備を整備するプロジェクトを始動した。12億3300万円を投じ、2015年2月までに方角や距離を無線で航空機に伝える設備などを同国内の主要6空港に設置する。

 プロジェクトの第1弾として、爆発物を検査する機器を同国最大の都市ヤンゴンと第2の都市マンダレーの国際空港に据え付けた。荷物に付着している爆発物の粉末を検知する機器で、ヤンゴン国際空港に3台、マンダレー国際空港に2台それぞれ設置した。ミャンマーの空港に爆発物の検査機器が設置されるのは初めて。NNAが報じた。

最後のインドネシア残留元日本兵・小野盛さん死去

最後のインドネシア残留元日本兵・小野盛さん死去

 インドネシア残留日本兵で最後の生存者だった小野盛(おの・さかり、インドネシア名ラフマット)さんが8月25日、東ジャワ州マラン市内の病院で死去した。94歳。死因はチフスによる合併症。

 北海道南富良野町出身。第二次世界大戦でインドネシアに派遣され、終戦後も現地にとどまってオランダとの独立戦争に参加。1960年代にインドネシア国籍を取得し、日本との経済交流にも尽力。元残留日本人兵の互助組織「福祉友の会」で、元残留日本兵の地位向上に貢献した。遺体は国軍兵士らに担がれた棺に納められ、ウスタッド(説法師)によるイスラムの祈りとともに、英雄墓地に埋葬された。

岐阜大 アジア12大学と連携を本格化 複学位制度も

岐阜大 アジア12大学と連携を本格化 複学位制度も

 岐阜大学大学院連合農業研究科は、アジア12大学と共同研究や博士教育での連携を本格的に始める。インドネシアやバングラデシュの3大学に研究拠点を整備。全大学と同研究科の間でダブルディグリー(複学位)制度の開始に向けた覚書を2014年中に締結する。

 共同研究を推進するため、インドネシア・ボゴール農科大学に天然有機化学、同スプラス・マレット大学に環境科学、バングラデシュ・ダッカ大学に生化学の分野の拠点をそれぞれ設置。博士教育では学生が各国大学と同研究科の双方から指導を受け、二つの学位を取得するダブルディグリー展開する。

平城京跡で2度の大地震による液状化現象の痕跡

平城京跡で2度の大地震による液状化現象の痕跡

 奈良文化財研究所(奈良市)は8月22日、本庁舎建て替えに伴う発掘調査で、奈良時代以降に起きた2度の大地震による液状化現象の痕跡が見つかったと発表した。現場は平城京跡で平城宮の西側に隣接する一条南大路。大地震の詳細な発生時期は特定できていないが、痕跡は「震度5以上」の強い揺れがあったことを示しているという。

 特定された地層から1度目は8世紀以降、2度目は14世紀以降の地震と推測される。今後は、地層の堆積時期を検証し、地震発生時期の特定を目指す。

伊能忠敬の北海道図に新事実「間宮林蔵が測量」

伊能忠敬の北海道図に新事実「間宮林蔵が測量」

 江戸時代後期に伊能忠敬(1745~1818年)測量隊が作製した蝦夷地(現 北海道)国の完成版が、探検家・間宮林蔵(1780~1844年)が測量したデータを基に作られた可能性が高いことが8月18日、伊能忠敬研究会と関連団体「InoPediaをつくる会」の調査で分かった。

 伊能は1800年に道南の松前から東海岸の厚岸あたりまでを測量、第1次測量図を作製したが、没するまで道内の他地域は未踏だった。このため、北海道全体を詳細に描いた完成版は、伊能の測量と弟子で同地を長期間調査した間宮の測量を合わせて作製したと考えられてきた。

 しかし今回、国立公文書館・内閣文庫の第1次測量図と最終版の北海道図をコンピューターで重ね合わせたところ、双方の測量線がほぼ全域にわたってずれていることが分かった。このため、両会は間宮が、伊能が測量した地域を測量し直して完成版を作製したと結論付けた。

異例の和製ピラミッドに興奮、奈良・都塚古墳で説明会

異例の和製ピラミッドに興奮、奈良・都塚古墳で説明会

 古代の大豪族、蘇我氏の礎をつくった蘇我稲目(570年没)の墓との見方が出ている奈良県明日香村の都塚古墳(6世紀後半)で8月16日、市民向けの説明会が合った。午前中に考古学ファンら約1200人が詰めかけ、田んぼのあぜ道に長い列をつくった。

   都塚古墳は、同村教育委員会と関西大考古学研究室が調査し、墳丘が階段状に石積みされた、日本では例のないピラミッド型と判明。一辺約40㍍と当時の天皇陵にも匹敵する大型方噴だったことも分かった。

  この古墳の被葬者として蘇我稲目が有力視されるのは、子の蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳(7世紀前半)が、この都塚古墳からわずか約400㍍しか離れていない地にあるからだ。この一帯は当時、蘇我氏のいわば本拠地だったとされる。

漱石が病気の妻を思いやる心情を子規に吐露

漱石が病気の妻を思いやる心情を子規に吐露

 夏目漱石が親友で俳人の正岡子規に宛てた書簡が東京都内の古書店で見つかった。1897年(明治30年)8月23日付で俳句が9句書かれており、そのうち2句が未発表だった。漱石が病気の妻を思いやる心情を綴った珍しい句で、専門家は「極めて貴重な資料だ」としている。

 漱石は当時、熊本の第五高等学校の教授。書簡の日付の前夜に東京・根岸の子規庵で句会があり、夏休みで帰京していた漱石も参加していた。書簡の俳句は鎌倉が題材で、句会から一夜明けて新作を子規に届けたとみられる。

 未発表の句は「愚妻病気 心元(こころもと)なき故本日又鎌倉に赴く」という前書きに続き「京に二日また鎌倉の秋を憶(おも)ふ」。前年に結婚した妻鏡子は体調を崩し、この夏を鎌倉で療養しており、妻を思いながら東京から鎌倉に向かう心情を詠んでいる。

 未発表のもう一句は「円覚寺にて」の前書きがついて「禅寺や只秋立つと聞くからに」。円覚寺は後の長編「門」に登場する。子規はこの年、5月に病状が悪化。漱石は俳句を送ることで子規を慰めていたのではないか。