駐日インドネシア大使館で川畑・五輪が「心の友」披露
活動休止中のCHEMISTRYの川畑要さんが3月18日、東京・品川のインドネシア大使館で、ユスロン駐日インドネシア共和国全権大使や安倍晋三首相の妻、昭恵夫人らが見守る中、五輪真弓さんと初デュエットで、インドネシアでは”第2の国家”ともいわれる五輪さんの名曲「心の友」(1982年)を披露した。
きっかけは、川畑さんがカバーした「心の友」が、インドネシアで日本文化を紹介するテレビ番組『Kokoro No Tomo POP!』の主題歌に取り上げられたことで、今回の2人の初デュエットが実現した。2004年のスマトラ沖地震では復興ソングとしても幅広く歌われたこの曲を、2人は優しく、そして力強く歌い上げ、両国からのゲストを魅了した。川畑さんは「日本とインドネシアのさらなる文化交流と友好関係の絆が深まるよう、これからも歌い続けたいと思います」と語っている。
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KBIジャパンクラブが地元小学校8校へ備品寄贈
KBIジャパンクラブが地元小学校8校へ備品寄贈
西ジャワ州プルワカルタ県とカラワン県にまたがるコタ・ブキット・インダ(KBI)工業団地に入居する日系企業で構成するKBIジャパンクラブは3月20日、周辺の小学校8校にゴミ箱やホワイトボードなどを寄贈した。これは同クラブが、地元の教育施設に対して行っている支援活動の一環で、今回が25回目。じゃかるた新聞が報じた。
今回は所属企業13社から日本人8人が参加し、周辺の8つの小学校へそれぞれ、ゴミ箱4個とホワイトボード3~6個、ホワイトボード用マーカーなどを寄贈した。また、参加者は今回、イラストや写真で作った紙芝居で、ゴミの分別の意義を啓蒙、指導し、集まった児童らは歌のプレゼントで歓迎した。
没後450年 三好長慶の座像建立へ 脱「悪役」イメージ
没後450年 三好長慶の座像建立へ 脱「悪役」イメージ
大阪府堺市のまちづくり団体「堺・ちくちく会」は戦国武将、三好長慶(1522~64年)の初の座像建立計画を進めている。没後450年にあたる今年7月にゆかりの南宗寺(堺市堺区)に建てたい意向だ。
三好長慶は織田信長に先立ち、戦国時代に京都と大阪、四国東部の9カ国(阿波、讃岐、淡路、摂津、和泉、河内、丹波、山城、大和)を支配。一時は足利将軍家を京都から追放し、約15年間、実質的に中央政権を担った武将だ。連歌にも堪能で品格のあった人物だが、将軍を一時追放したことに加え、長慶の没後、後を継いだ三好一族らが、十三代将軍・足利義輝を殺害したことで、”下克上”の代表格とされ、「悪役」イメージがある。このため、堺・ちくちく会では、少しずつ長慶の悪役イメージを変えていきたいとしている。
だが、没後450年を迎え長慶が統治した大阪(堺市、高槻市)、四国東部(徳島県)などで彼の事績、功績や人物像の見直し機運が高まっている。一般に戦国時代から既成秩序の破壊、否定などの面で織田信長がその代表と目されているが、実は信長に先んじて先見性のあったのが長慶と捉える見方が、いま大きく浮上している。
長慶が初めて足利将軍家を擁立せずに、自分の力で京都、すなわち首都を支配。天皇も足利将軍家を通さず、長慶と相談し元号を変えている。堺の掌握にみられる都市・流通政策の重視やキリスト教の保護、茶の湯を含めて、信長が推進したことの原型を長慶がやっているのだ。
一茶が妻を気遣う手紙など新資料を公開 記念館
一茶が妻を気遣う手紙など新資料を公開 記念館
長野県信濃町にある一茶記念館は3月19日、小林一茶(1763~1827年)が妻きくに宛てた手紙と俳句など計44点の新資料が貼られた折り本を報道陣に公開した。手紙は病弱な妻の体調を気遣い、具合が悪くなったときに備えて、自分の出先の連絡先を伝えている。一茶が江戸から故郷に戻り、信濃町を拠点に活動していた1817年か1820年のいずれかに書かれたとみられる。俳句の弟子を訪ねて回っていた一茶が長野市の善光寺から、信濃町柏原の自宅にいる妻に送った。
折り本「柏原雅集」は信濃町の問屋、中村利貞が明治時代に作成し、新たに見つかった9句を含む俳句や、知人と詠んだ連歌が書かれた和紙を厚紙18㌻に貼り付けてある。見つかった資料は、一茶が33~65歳の作品で、年齢の変化による筆跡の変遷も分かる。
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ODAの実態周知へ総領事館がバリでプレスツアー
ODAの実態周知へ総領事館がバリでプレスツアー
インドネシアバリ州の在デンパサール日本総領事館はこのほど、日本の政府開発援助(ODA)が現場でどのように生かされているかを広く知ってもらうため、地元のテレビ局や新聞社を招きプレスツアーを実施した。総領事館に集まったのは観光情報誌を含む15社。
柴田和夫総領事による説明を受けた後、まずタバナン県のタバナン総合病院を訪問した。ここでは無償資金協力により、X線検査装置が新設された。老朽化し使えなくなった古い装置に代わるもので、貧困層を含め大勢の地域住民が利用する同病院にとって貴重な資産となる。記者らは調印式の模様や、装置の前で行われたテープカットの様子を熱心に写真に収めていた。
次に訪れたのは、円借款により保全工事が行われたタバナンのタナロット寺院。海辺の岩の上に建てられた同寺院は、バリ有数の観光スポットであると同時に、バリに住む人にとっては重要なバリヒンドゥーの儀礼が行われる非常に重要な場所だ。ところが、インド洋の波浪により海岸浸食が進んでいた。そこで、海中に防波堤を築き、寺院ののり面を人工岩で防護した。工事に関わった公共事業省の担当者は「放っておいたら、寺院がなくなってしまうところだった。日本の援助に感謝している」と話した。
今回参加した15社のほとんどがODAの事例を詳しく伝えたほか、テレビでは5分ほどにわたって放送されたという。じゃかるた新聞が報じた。
インドネシアの経済成長には日本からの投資が不可欠
インドネシアの経済成長には日本からの投資が不可欠
インドネシアへの2013年の外国直接投資額で日本は首位となった。また、2月中旬の松井一郎大阪府知事の府内中小企業11社を同行してのインドネシア訪問など、インドネシアはますます日本にとって近い存在になりつつある。そこで、活発化するインドネシアと関西の交流・協力の現状と今後の展望について、2011年に赴任した、在大阪インドネシア総領事館のバンバン・スギアント総領事代行(57)に聞いた。
この中で、総領事代行は「2013年に日本はインドネシアへの直接投資額で首位になり、関西からもこの3年間で約50社がインドネシアへ進出した」と現状を語った。こうした中で関西企業からインドネシア経済に関する情報を求める声が大きく、13年には地場銀行と共催しセミナーを開催するなど、情報提供に力を注いだ。しかし、「13、14年で最低賃金が急上昇し、日本企業からは不安視する声がある。このため、正確な情報を提供し、不安を取り除きたい。なぜなら、インドネシアの経済成長には関西を含む日本からの投資が欠かせないからだ」と強調した。
また、関西の印象について「関西の人はとても友好的で、まじめに働く努力家だという印象を持った。たこ焼きなど大阪の食べ物もおいしかった。地下鉄やバスの公共インフラも素晴らしい」。観光面では「13年11月には関西国際空港~ジャカルタ便が就航し、今後訪日するインドネシア人も増加するだろう。関西は京都や奈良など観光地が多く、大阪を拠点に観光するのもお薦めだ」としている。じゃかるた新聞が報じた。