「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

東大寺・東塔跡で「七重塔」示す瓦が大量出土

東大寺・東塔跡で「七重塔」示す瓦が大量出土

東大寺、奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所は4月22日、奈良時代に創建され、高さ70~100㍍の七重塔だったとされる東大寺(奈良市)東塔跡から、「七」の文字が刻まれた鎌倉時代の瓦がまとまって出土したと発表した。
「七」は七重塔を意味するといい、鎌倉時代の東塔再建に使われたとみられる。瓦は昨年度の調査で出土した鎌倉時代の基壇周辺から計30点以上出土。「七」が中央に入った直径15㌢の軒丸瓦と、左右反転した軒平瓦の2種類あった。過去にも同様の瓦は見つかっていたが、どの建物に使われたかは分かっておらず、今回基壇周辺でまとまって出土したことで東塔に使われたと分かった。
東大寺は創建当初、大仏殿を挟んで東西に塔が並んでいたが、東塔は平安時代、隆盛を誇った平家の”南都焼き討ち”で焼失。鎌倉時代に再建されたが落雷で再び焼失し、基壇だけが残っている。瓦などは4月29~5月13日、東大寺ミュージアム(奈良市)で公開される。

土方歳三の愛刀 4/29から京都・霊山歴史館で公開

土方歳三の愛刀 4/29から京都・霊山歴史館で公開

京都の霊山歴史館(京都市東山区)は4月21日、新選組の副長、土方歳三が愛用したとされる刀「大和守源秀國(やまとのかみみなもとのひでくに)」が、新たに収蔵品に加わったと発表した。29日から同館で一般公開する。
刀は1866(慶應2)年8月の制作。長さ約69㌢で「大和守源秀國 秋月種明懇望帯之」と銘打たれ、裏に「幕府侍土方義豊戦刀 慶應二年八月日 秋月君譲請高橋忠守帯之」と土方の名前が入っている。鞘(さや)にはきらめく螺鈿(らでん)が施されていた。
同館によると、刀は戊辰戦争で土方が宇都宮、会津などへ転戦する中、共に戦った会津藩士、秋月種明に贈られたもの。会津藩に従って入洛した刀工・秀國にオーダーメードした可能性が高いという。今回、同館が東京都の所有者から購入した。しゃれた細工ながら、実践を重んじた土方の性格を感じさせる刀だ。

近代造船技術の礎「ヘダ号」再建プロジェクト立ち上げ

近代造船技術の礎「ヘダ号」再建プロジェクト立ち上げ

静岡県東部の経営者や学識経験者らが、江戸時代末期、駿河湾で沈没したロシア艦「ディアナ号」の代替船として現在の沼津市戸田(へだ)地区で建造され、ロシア人乗組員を母国に送り届けた「ヘダ号」を復元する「ヘダ号再建プロジェクト会」を立ち上げる。4月23日に同市内で発足式を開く。
海を生かしたまちづくりを推進する民間団体「セイルタウンNUMAZUクラブ」が同会の中核となる。日本の近代造船技術の礎であるヘダ号を再建することで、史実を伝える地域の象徴的存在とし、これをまちづくりに活用しようというもの。
復元する船は50人乗りを予定。構造は原型に倣うが、安全性を考慮して材料はFRP(繊維強化プラスチック)を用いる。エンジンを装備し、機動性を高める。

日本三名城の熊本城 地震で石垣崩落など甚大な被害

日本三名城の熊本城 地震で石垣崩落など甚大な被害

「日本三名城」の一つといわれ、観光客の間でも長い間根強い人気を集めてきた熊本城が、今回の熊本地震で甚大な被害を受けた。
熊本城総合事務所によると、「頬当御門」といわれる正門や天守閣の入り口周辺など約6カ所の石垣が崩落。建物の壁のひび割れが各所で出たほか、城の周辺を囲む国重要文化財の長塀が約100㍍にわたって崩れた。天守閣の上にあった「しゃちほこ」も落下した。
このほか、引き続き断続的に続く大きな余震の影響で城の中に入れないことから、内部の被害状況は確認できていない。

満開の桜咲く中、豪華絢爛屋台巡行 岐阜・高山で山王祭

満開の桜咲く中、豪華絢爛屋台巡行 岐阜・高山で山王祭

絢爛(けんらん)豪華な12台の祭り屋台で知られる岐阜県・高山祭。その春の高山祭「山王祭」(国重要無形民俗文化財)が4月14、15の両日、岐阜県高山市で開催された。
折良く満開の桜が咲き誇る中、屋台は14日午前9時過ぎ、各屋台蔵から引き出され、市中を巡行。絶景ポイントの朱塗りの中橋をゆっくりと屋台が通ると、その豪奢なさまを待ち構えた大勢の観光客らが一斉にカメラに収めていた。
この後、国史跡・高山陣屋前で三番叟(さんばそう)、龍神台(りゅうじんだい)、石橋台(しゃっきょうだい)の3台が人形からくりを披露。夕方にはこれらの祭り屋台が提灯で飾られて市中を巡り、昼間とは一変、街は幻想的な雰囲気に包まれていた。
高山祭は春の「山王祭」と秋の「八幡祭」の総称。春の訪れを告げる山王祭は旧高山城下町南半分の氏神、日枝神社(山王様)の例祭。

尾形光琳の代表作 国宝「燕子花図屏風」公開 根津美術館

尾形光琳の代表作 国宝「燕子花図屏風」公開 根津美術館

江戸時代の画家、尾形光琳(1658~1716年)の代表作、国宝「燕子花(かきつばた)図屏風」が4月13日から東京・南青山の根津美術館で公開されている。5月15日まで。
この作品は平安時代に成立した伊勢物語の第九段東下り、燕子花の名所八つ橋の一節をテーマにしたと考えられている。双金地の六曲一双屏風で、琳派最大の巨匠の一人、尾形光琳が40代前半ごろに手掛けたとされる傑作。

諏訪大社・御柱祭下社山出しの観客9万1000人減少

諏訪大社・御柱祭下社山出しの観客9万1000人減少

下諏訪町を舞台とする勇壮な諏訪大社御柱祭の下社山出しは4月10日、目通り(目の高さ)周囲3.35㍍と最も太い「秋宮一之」など御柱3本の「木落し」を行い、3日間の日程を終えた。計8本の御柱は終着点の「注連掛(しめかけ)」で、5月14日に始まる「里曳(び)き」まで安置される。
諏訪地方観光連盟御柱祭観光情報センターによると、氏子と観客を合わせた3日間の人出は延べ46万8000人。平成22年の前回に比べ氏子は2万3000人増えたが、観客は9万1000人減少、合計で6万8000人前回を下回った。同センターでは、安全面を考慮した周辺での通行規制や、木落し坂の無料観覧席の廃止などが影響したと分析している。

日本初の兵糧パン再現 江川英龍家の秘蔵資料公開

日本初の兵糧パン再現 江川英龍家の秘蔵資料公開

伊豆の国市韮山の江川英龍邸を管理する公益財団法人江川文庫は4月9日、「江川邸パンフェスタ」を開いた。日本で初めて兵糧パンを焼いたことから「パン祖」と呼ばれる江川英龍(坦庵)にちなんだ催しで、2015年に続き2回目。
江川家に残るレシピに基づき英龍が焼いたパンを再現したほか、秘蔵資料の特別公開や特産市などを行った。パンの再現には、三島市芝本町の石渡食品が協力した。
当時のレシピは小麦粉と塩、水、酒種を使用。今回は食べやすくするため、多少のイースト菌を加えた。土間の大かまどに火を入れ、レシピに習って鉄鍋を焼いた。本来は携帯食として1年ほど保存できるように、水分を飛ばしてカリカリに仕上げたという。
パンはキリスト教徒ともに日本に伝わったが、徳川幕府が禁止した。それを進取の精神に富み合理的な考え方の持ち主でもあった英龍は、工夫して伝来したもののレシピを変えてパンを焼きあげ、砲術を学ぶために全国各地から江川塾に集まった塾生を通じて全国に広めたのだ。

顕如の書状2通修復 一向一揆の一級資料 石川・林西寺

顕如の書状2通修復 一向一揆の一級資料 石川・林西寺

石川県白山市白峰の林西寺は、16世紀後半、浄土真宗本願寺の11代法主・顕如(けんにょ)が鳥越城主の鈴木出羽守(でわのかみ)に宛てた書状2通(同寺所有)を修復した。
この書状は、一向一揆に対する織田信長軍の弾圧に、勇猛に戦った白山山麓の一揆衆への感謝などを記したもので、県史を語るうえで重要な史料とされる。しかし、傷みが進んでいたため、ここ10年以上公開されていなかった。4月16日から寄託先の石川県立歴史博物館で展示される。
2通の書状「顕如上人書翰(しょかん)二双」は、鈴木出羽守の子にあたる林西寺6代目住職釈幸信(しゃくこうしん)が、同寺へ養子に入る際に持参したと伝わっている。
1578(天生6)年4月12日付の書状は、鈴木出羽守が率いる山麓の山内衆(やまのうちしゅう)の活躍を称え激励する内容で、1580(同8)年4月1日付の書状は、織田信長との講和を伝えている。
石川県文化財修復保存協会は、横折れ対策として太い芯を採用し、風合いを損ねないため、、本紙部分に薄美濃紙、台紙部分に美濃紙を使って展示に耐えられるよう修復した。

天下三名槍「御手杵の槍」旧前橋藩主の末裔が復元

天下三名槍「御手杵の槍」旧前橋藩主の末裔が復元

旧前橋藩主の松平大和守家(やまとのかみけ)が代々継承し、東京大空襲で焼失した「御手杵(おてぎね)の槍(やり)」を、17代目の現当主、松平直泰さん(71)が復元した。先祖の徳川家康が逝去して400年の命日にあたる4月17日に前橋東照宮に奉納される。
御手杵の槍は、福岡藩主の黒田家伝来の「日本号」(福岡市博物館所蔵)、戦国武将の本多忠勝が愛用した「蜻蛉切(とんぼきり)」とともに、日本三名槍(そう)として称えられた名高いやりのレプリカは、東照宮で常設展示される。
戦国時代につくられた槍で、手杵の形をした鞘(さや)が名前の由来。刃渡り約140㌢で、柄を含めた全長は約380㌢。同家は参勤交代の際に、馬印として先頭に配置した。近年の刀剣ブームを受けて、松平さんは17日に行われる家康の400回忌、「薨去(こうきょ)400年祭」に合わせて家宝を私費で復元したもの。