「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

軍艦島を国史跡に 世界遺産登録目指し保全枠組み

軍艦島を国史跡に 世界遺産登録目指し保全枠組み

 文化審議会は6月20日、端島(通称・軍艦島)や高島を含む幕末から昭和期の炭鉱跡で構成する「高島炭鉱跡」(長崎市)など9件を史跡に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。端島などは「明治日本の産業革命遺産」の一部として、政府が2015年の世界文化遺産登録を目指しており、保全の枠組みが整う。また、45万年前のワニ類の化石「マチカネワニ化石」(大阪府豊中市)など6件を登録記念物とするよう求めた。近く答申通り告示され、史跡は1733件、登録記念物は88件となる。

与謝野晶子の未発表短歌 愛知の飲食店で発見

与謝野晶子の未発表短歌 愛知の飲食店で発見

 歌人の与謝野晶子(1878~1942年)の直筆で、全集などにも載っていない未発表の短歌2首が、愛知県津島市の飲食店で見つかっていたことが6月16日、分かった。津島市立図書館によると、未発表作は「くれなゐの牡丹咲く日は大空も地に従えるここちこそすれ」と、「春の夜の波も月ある大空もともに銀糸の織れるところは(あるいは「ところぞ」)」。いずれも晶子の署名がある。

    飲食店「まのや」で直筆の短歌5首が書かれた短冊が入った箱が見つかり、図書館に鑑定依頼があった。図書館や、晶子の生地、堺市にある堺市立文化館与謝野晶子文芸館が、筆跡鑑定や文献調査などを行い直筆と判明。うち2首が歌集や雑誌に掲載されていないことが確認された。

    晶子は1935年10月、津島高等女学校(現県立津島高)の創立20周年記念式典で講演するため津島市を訪問。「まのや」で食事をした際に書かれたという。箱の中には、歌人柳原白蓮の短冊もはいっていたが、別の機会に白蓮が名古屋市を訪れた際に詠んだとみられる。

白色鮮やかな新生「白鷺城」改修の囲い撤去

白色鮮やかな新生「白鷺城」改修の囲い撤去

 兵庫県姫路市の世界遺産・姫路城で、大天守を覆っていた改修作業用の囲いが6月14日までに、ほぼ撤去され、鮮やかな白色に塗り直された「白鷺城」が再び姿を現した。改修は2009年10月にスタート。囲いは10年12月に完成して大天守が見えなくなっていた。屋根の修理としっくいの塗り替えが終わり、囲いの撤去が進められていた。今後は石垣に残る囲いや基礎の撤去し、2015年3月27日から内部公開される。           

函館港で新島襄渡米150周年式典 不変の建学精神

函館港で新島襄渡米150周年式典 不変の建学精神

 同志社大学の創立者として知られる新島襄が北海道函館市から米国に渡って150周年になるのを記念した式典が6月14日、函館港で開かれた。新島は1864年6月14日、現在はその記念碑が立つ岸壁から米国船に密航して渡米。米国で天文学や物理学を学んで帰国後、京都に同志社英学校(現在の同志社大学)を設立した。

 式典では学校法人同志社の水谷誠理事長が「新島の建学の精神は変わらず生き続けている」旨、あいさつ。参加した130人は、海外渡航禁止を破ってでも米国で学ぼうとした進取の志を、改めてしのんだ。

東寺百合文書、シベリア抑留資料を記憶遺産候補に

東寺百合文書、シベリア抑留資料を記憶遺産候補に

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国内委員会は6月12日、重要な歴史文書などの保存を目的とする記憶遺産の登録候補として、国宝「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)」と、戦後のシベリア抑留と引き揚げに関する資料の2件を決定した。6月中にユネスコに通知、登録の可否2015年夏ごろに決まる見通し。東寺百合文書は京都市南区の東寺に伝わる約2万5000点の古文書。1997年に国宝に指定された。シベリア抑留に関する資料は抑留体験記や抑留者が描いた絵画など570点で、舞鶴引揚記念館(京都府舞鶴市)に収蔵されている。舞鶴市が申請していた。

 

京都府などが「琳派400年記念祭委員会」を設立

京都府などが「琳派400年記念祭委員会」を設立

 京都府、京都市、公益財団法人京都文化交流コンベンションビューローなどは6月2日、本阿弥光悦と俵屋宗達が創始したとされる琳派の魅力を発信するため、「琳派400年記念祭委員会」を設立した。

 2015年は光悦が徳川家康から京都市北区鷹ヶ峰の地を拝領してから400年にあたる。京都の美術館や博物館で展覧会などを開く。琳派のデザインを生かした工芸品の展示やファッション展を企画し、食品などの開発にも協力する。

 同委員会の代表を務める村田准純一・同コンベンションビューロー理事長は「文化的な価値を世界に伝えていく」と語っている。琳派は江戸時代に発展した絵画などの流派で、大胆な構図や金や銀を使った装飾的な画風が特徴。代表的な作品として宗達の「風神雷神図」などが知られている。

奈良・大淀町で横帯分割型文様の銅鐸見つかる

奈良・大淀町で横帯分割型文様の銅鐸見つかる

 奈良県・大淀町の民家に所蔵されていた弥生時代中期ごろの銅鐸(どうたく)が、瀬戸内東部で出土例が多い「横帯分割型」であることが桜井市纏向学研究センターの調査で分かった。横帯分割型は、斜めの格子文様と渦巻き文様が上下セットで横帯として配置されている。神戸市の「生駒出土袈裟襷(たすき)文銅鐸」など、これまでに和歌山や岡山、香川など瀬戸内東部で約10例出土しているが、奈良で見つかるのは初めて。           

興福寺 300年ぶりに再建中の中金堂上棟式

興福寺 300年ぶりに再建中の中金堂上棟式

 世界遺産に登録されている興福寺(奈良市)で5月24日、約300年ぶりに再建中の中金堂の上棟式が行われた。信徒総代や宗教関係者ら約650人が完成に向けて工事の節目を祝った。2018年に落慶法要の予定。中金堂は710年の造営以来、戦火や落雷などで7回焼失。1717年に焼けた後は小規模な仮堂でしのいできたが、文献や絵画、発掘調査などを基に、創建当時の構造をほぼ忠実に復元する。

明治9年撮影の最古の箸墓古墳の写真保存

明治9年撮影の最古の箸墓古墳の写真保存

 宮内庁書陵部によると、卑弥呼の墓説がある奈良県桜井市の箸墓古墳(3世紀中ごろ~後半)など同県の天皇陵や皇族墓計44カ所を1876年(明治9年)に撮影した写真と原板が宮内庁に保存されていることが5月18日、分かった。日本で最古の古墳写真という。明治政府が奈良県に依頼し、官民合同の奈良博覧会社が撮影した。目的は不明。写真は計59枚あり、「大和御陵写真帖」と題するアルバムにまとめられていた。

   最古の大型前方後円墳とされる箸墓古墳は、特異な4段構造の墳丘や後円部頂上に築かれた巨大な円壇(直径45㍍、高さ5㍍)が写っていた。箸墓古墳は明治20年代に植樹されて樹木が密集しているが、撮影当時は木が少なく、墳丘本来の姿を鮮明に捉えた唯一の写真。謎の多い大王墓の構造を知る資料になるとみられる。退色が進んだため、書陵部が2011年度に原板のガラス湿板をデジタル化、画像を復元した。早ければ2015年にも宮内公文書館で一般に公開する。

 

「宝永」級地震は7000年で16回発生していた

「宝永」級地震は7000年で16回発生していた

 高知大の岡村真特任教授のチームは5月26日、東海、東南海、南海地震の3連動で起きたとされる宝永地震(1707年、推定マグニチュード8.6)に匹敵する巨大地震が、過去7000年の間に少なくとも16回起きていたことを示す津波堆積物を高知県土佐市の池で確認したと発表した。

 岡村氏らは南海トラフ付近での巨大地震や津波の発生間隔を研究するため、2006年から土佐市の蟹ヶ池で地層を調査し、2013年1月には過去六千数百年で少なくとも15回の巨大地震による津波痕跡を確認したと発表。その後も調査を続け、7000年前の地層に当たる池底約8.5㍍の深さまで到達。6500年前ごろにも津波を伴う地震があったことが分かった。