国学院大学の矢部謙太郎准教授(日本近世史)は、豊臣政権時代の関白・豊臣秀次の死を巡り、新説を学術誌「国学院雑誌」に発表した。その主旨は、淀君との間に実子の秀頼が生まれると、秀吉は甥の秀次が邪魔になり、彼を追放しただけだった。だが、秀吉の意図に反して秀次が過剰反応し、自ら腹を切った-というもの。通説では、秀吉は秀次を追放し切腹させるとともに、将来、秀頼に報復の類が及ぶことのないよう、彼の家族・郎党を含め根絶やしにしたとされている。ただ、秀次の死の背景を明確に記した史料が同時代になく、研究者の間でも興味深い説とみる向きもある。
「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ
唐古・鍵遺跡で弥生中期の北部九州産の土器片見つかる
日本庭園の元祖 奈良・飛鳥京跡苑池の南池の全容判明
奈良県立橿原考古学研究所は11月20日、国内初の本格的な宮殿付属庭園、飛鳥京跡苑池(奈良県明日香村、7世紀後半)の南池の全体像が明らかになったと発表した。南池の中島はX字形と判明。東西約32㍍、南北約15㍍で、同時期の他の庭には見られない珍しい曲線構造だった。東西の岸からは柱を抜き取った跡が複数見つかった。池の観賞用施設があったらしい。近くの高台では、苑池全体を取り囲んでいたとみられる塀の跡も見つかった。同研究所では、想像以上の規模と景観。日本庭園史の出発点を飾る庭で、当時の総力を傾けた庭だったのだろう-としている。
苑池は1999年の調査で見つかった。池は南北2つあり、南池は東西約65㍍、南北約55㍍で、石積みの島や松のある中島、噴水のような石造物があることは分かっていたが、全体像は不明だった。
塗料の下にダビンチの絵 ミラノの古城・天井画の部屋
イタリアミラノ市などの調査によると、同市の観光名所スフォルツァ城にある、レオナルド・ダビンチの天井画が描かれた部屋の壁の塗料の下に、天井から続くダビンチの絵が隠れていたことが分かった。塗料を剥がして絵を復元する作業が行われており、2015年のミラノ万博開幕に合わせた一般公開が計画されている。ダビンチはミラノ滞在中の1498年、スフォルツァ家のミラノ公ルドビコ・イル・モロの依頼で、スフォルツァ城の「板張りの間」の天井に桑の木などをデザインした装飾画を制作。部屋の壁にも天井画から続く木の幹や根などを描いていたとみられる。
1499年にミラノがフランスに征服され、ルドビコはミラノを脱出したため、部屋の絵画は完成しなかった可能性が高い。18世紀初めには板張りの間はオーストリア軍の厩舎となり、このころにダビンチの絵は白い塗料で塗りつぶされたようだ。
おくのほそ道の10県13カ所を名勝に 文化審議会が答申
文化審議会は11月15日、俳聖・松尾芭蕉が東北、北陸を旅した「おくのほそ道の風景地」(10県13カ所)などを名勝に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。芭蕉は弟子の曾良と古歌にまつわる名所を訪ね「おくのほそ道」をまとめた。芭蕉が俳句を詠んだ名所など往時をしのばせる優れた風景のうち、地元で保全の準備が整った「草加松原」(埼玉県草加市)や「象潟および汐越」(秋田県にかほ市)な。ど13カ所を指定、保護する。今後、順次追加指定を求める方針だ。
また、室町幕府と伊達氏との結び付きを示す「宮脇廃寺跡」(福島県伊達市)など9件を史跡に、吉野川中流の「大歩危」(徳島県三好市)など3件を天然記念物とするよう求めた。近く答申通り告示される見込み。この結果、史跡は1724件、名勝378件、天然記念物1011件となる。このほか、「旧南部氏別邸庭園」(盛岡市)など4件を登録記念物に、「宮津天橋立の文化的景観」(京都府宮津市)など5件を重要文化的景観にすることも求めた。
六波羅蜜寺開山1050年を記念し坂東玉三郎さんが舞奉納
西本願寺の国宝能舞台で能上演 世阿弥生誕650年記念
隋・煬帝と妃の墓と確認 江蘇省で発見された2つの古い墓
中国考古学会は11月16日、江蘇省揚州市で今年3月に見つかった2つの古い墓が約1400年前の隋王朝の第2代皇帝、煬帝(569~618年)と妃の墓であることが確認されたと発表した。中国の通信社、中国新聞社が伝えた。2つのレンガ製の墓は不動産開発の工事中に発見。一つは長さ約25㍍で墓誌のほかに玉器、銅器などの副葬品が100点余りと、50歳前後とみられる男性の歯などが出土した。墓の形、当時の最高級品を含む副葬品の特徴から煬帝の墓と認定したという。別の墓は長さ約13㍍で、副葬品は200点余り。56歳ごろとみられる女性の人骨があり、煬帝の妃の墓と推定された。
煬帝は、607年、第2回目の遣隋使として派遣された小野妹子に託した聖徳太子が認めた国書「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々」と書かれた表現に激怒したと伝えられる隋の皇帝だ。