台風で惨禍の京都・嵐山渡月橋を元の姿に 流木を撤去
京都に「大雨特別警報」が出た台風18号による大雨で、大きな被害に遭った京都の観光名所・嵐山で9月26日、渡月橋の橋脚や杭(くい)に絡まった流木やごみを重機を使って取り除く作業が始まった。午前8時過ぎ、京都市が委託した業者が、渡月橋の上に止めたクレーン車で小型重機を持ち上げて川に下ろし、重機が何重にも絡まった木の枝をはぎ取った。作業は27日までに終了予定。市の担当者は「渡月橋を元の姿に戻し、早期の復旧をアピールしたい。多くの方に、以前のように美しい景観を写真に撮っていただければ」と話している。
「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ
5世紀の文字が刻まれた須恵器 石川県・和田山23号墳から出土
5世紀の文字が刻まれた須恵器 石川県・和田山23号墳から出土
石川県能美市教育委員会は9月19日、同市の能美古墳群の和田山23号墳(国指定史跡)から出土した古墳時代中期(5世紀末)の須恵器2個に、「未」と「二年」の文字が記されていたことが分かったと発表した。同市教委によると、文字が刻まれた須恵器としては日本最古という。口径約10㌢、高さ約15㌢の小型のつぼから、約2㌢四方の「未」の文字が見つかったほか、食物を盛る高つきのふたに縦書きで「二年」(縦3.5㌢、横1.3㌢)と刻まれていた。
文字は須恵器を焼き上げる前に刻んだとみられることから、同市教委は工人などより広い階層に文字が普及していたことを示す史料としている。須恵器は5世紀初頭ごろに朝鮮半島から伝わった。当時の北陸地方は朝鮮半島と交流があったと考えられている。須恵器の生産技術のほか、漢字や暦といった先進的な文化を、北陸の豪族が積極的に受け入れていたことがうかがえる。
2.1億年前,直径7.8㌔隕石が地球に衝突 生物の大量絶滅に
2.1億年前,直径7.8㌔隕石が地球に衝突 生物の大量絶滅に
九州大と熊本大などのチームは9月16日付の英科学誌に、約2億1500万年前に最大で直径7.8㌔巨大隕石が地球に衝突したとの研究結果を発表した。岐阜県と大分県の地層で隕石の成分を見つけ、地球の広い範囲に降り積もったとみて大きさを推定した。その結果、生物の大量絶滅につながった可能性があるという。約6500万年前に直径10㌔程度の隕石が地球に衝突、恐竜絶滅の原因とみられており、今回はそれに次ぐ規模。
チームは昨年、岐阜県坂祝町の川沿いで、また今年1月に大分県津久見市の海岸沿いでそれぞれ隕石衝突の痕跡を見つけた。これは「オスミウム」という金属元素で、地表では非常に少ないが、隕石には多く含まれる。両県の地層には高い濃度で含まれていた。「同位体」という成分の比率を分析すると、地表に存在するものと異なっており、隕石に含まれていたものと判断した。過去の研究から、隕石の酒類ごとに大きさとオスミウムの量には一定の関係があることが判明しており、隕石の直径を3.3~7.8㌔と算出した。重さは約5000億㌧と推定される。約2億~2億3700万年前には生物の大量絶滅が起きている。
軍艦島や八幡製鉄所など明治日本の産業革命遺産を推薦へ
軍艦島や八幡製鉄所など明治日本の産業革命遺産を推薦へ
政府は9月17日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)へ推薦する世界文化遺産の候補を「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」に決めた。「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」と比較したうえで選んだ理由として、菅義偉官房長官は産業革命遺産が「日本がものづくり大国となる基礎をつくった歴史を物語る」と指摘した。
月末までに暫定版推薦書をユネスコに提出し、2015年度の世界遺産委員会で登録の審査を受ける運びだ。産業革命遺産は「軍艦島」として有名な長崎市の端島炭坑など幕末から明治にかけての重工業の発展を刻んだ施設群で構成している。福岡や鹿児島、熊本など8県にまたがり、現在も稼働している八幡製鉄所(北九州市など)や長崎造船所(長崎市)を含んでいる。
イコモスが25~26日,遺産登録候補の群馬・富岡を現地調査
元寇の沈没船の部材 塩抜き10年 保存法を模索 長崎・鷹島
元寇の沈没船の部材 塩抜き10年 保存法を模索 長崎・鷹島
長崎県松浦市の鷹島埋蔵文化財センターに設置された大型水槽に巨大な木材が沈められている。2002年、同島沿岸の港湾工事に伴う発掘で海底から出土した元寇(げんこう、13世紀)の沈没船の部材だ。最大のもので長さ約4㍍超。隔壁板とみられる。水漬けにして10年以上。塩分を抜くためだが、樹脂含浸や凍結乾燥など保存処理に移ろうにも、これほど大きな遺物が入る装置がない事情もある。
発掘では約600点の木製品を引き揚げたが、保存処理を終えたのは3分の2にとどまる。どう処理すればよいか、まだ見定められない遺物が多いのが一因だ。鉄釘(くぎ)が打たれた木材は処理の前に塩分を抜かないと、変色やさびのおそれがある。だが、中心部まで塩分が除去できたか、非破壊で確かめる方法はまだない。また、船の部材にチークなど南洋材が多いが、国内で出土例がなかったため、保存技術は未確立だ。
織田作之助の代表作「夫婦善哉」の草稿や日記 遺品から発見
織田作之助の代表作「夫婦善哉」の草稿や日記 遺品から発見
大阪歴史博物館は9月13日、織田作之助(1913~47年)の代表作「夫婦善哉」の草稿や、「続夫婦善哉」の執筆時に書いた日記など約10点が新たに見つかったと発表した。今年生誕100年を迎える”無頼派”作家の創作過程が分かる貴重な資料だ。 生誕100周年の記念事業推進委員会が、遺品を保管していた織田の養女、織田禎子さん(千葉県船橋市在住)から入手した。「夫婦善哉」の鉛筆書きの草稿は9枚で、タイトルが「めおとぜんざい」と平仮名書きになっている。主人公も蝶子が「春枝」、柳吉が「兵吉」と異なり、春枝が中心に描かれている。41年の日記からは、同年6月10日から7月4日までほぼ毎日、「続夫婦善哉」の原稿を書いて作品を完成させたことが分かり、執筆年の特定につながるという。 草稿などは9月25日から10月18日まで、同博物館の「織田作之助と大大阪」展で展示される。
徳川家康が英国で記念コインに 日英交流400年祝う
徳川家康が英国で記念コインに 日英交流400年祝う
日本と英国の間で交流が始まって400周年を迎えたのを祝って、徳川家康像などをあしらった金と銀の記念硬貨が9月8日発行された。片面にエリザベス女王の横顔、もう片面に東インド会社の船を背景にしてジェームス1世と家康の像を並べたデザイン。24金製の50ペンス硬貨と銀製の5ペンス硬貨の2種類があり、各400枚の限定販売。価格は金貨が755ポンド(約11万7000円)、銀貨が59ポンド95ペンス。家康が描かれた硬貨の発行は日本を含めて初めてという。日英交流は当時の英国王ジェームス1世から江戸幕府への親書などを託された東インド会社の船が1613年6月に長崎県平戸市に到着して始まった。9月8日は英国の使節団代表が徳川家康と面会した日にあたる。