月別アーカイブ: 2013年4月

「ジャワうなぎ」を日本へ スカブミ県の養殖場に熱い視線

「ジャワうなぎ」を日本へ スカブミ県の養殖場に熱い視線
 インドネシア・西ジャワ州で養殖された「ジャワうなぎ」の日本輸出を目指すプロジェクトが着実に進行している。じゃかるた新聞によると、インダスト(熊本県玉名市)が西ジャワでウナギ養殖を始めて7年目。同国では数少ないウナギの養殖業者で、かば焼き加工までを手掛ける。2011年から供給開始し、日本食レストラン向けなど同国内に毎月3㌧程度出荷している。
 西ジャワ州スカブミ県プラブハン・ラトゥ。総面積2㌶に、藻の発生を防ぐ遮光テントが一面に広がる。そんなインド洋沿いの閑静な港町にあるこの養殖場がいま注目を集めている。インドネシア全国から水産業者が手法を学びに訪れ、昨年11月にはシャリフ・チチップ・スタルジョ海洋水産相も視察したという。近年、ウナギ生産の大半を占める日本、中国、台湾などで一般的な食用ウナギ「ニホンウナギ」が激減。インドネシアが「世界で最後の稚魚市場」(中川勝也・インダスト社長)と目されるからだ。日本の農林水産省の統計によると、日本の漁獲量ベースで過去10年間にニホンウナギは5割以上減少した。そして、今年2月には環境省はニホンウナギを絶滅危惧種に指定し、保護に乗り出している。
 インダストによると、世界で確認されているウナギの仲間18種のうち、7種が生息するインドネシア近海がウナギ発祥の地だと考えられており、稚魚は豊富だという。同社では、インドネシアで独自に進化を遂げた「アンギラ・ビカラー種」の味や大きさが、ニホンウナギ(ジャポニカ種)に近いことに注目。生け簀の設計や水質管理など日本式養殖技術を駆使、稚魚から成魚までの養殖に成功した。そして「ジャワうなぎ」という商品名を付け、現在日本への輸出に向け試行錯誤を続けている。すでに、日本のコンビニや流通業者からのオファーが入っている。
 ただ、ニホンウナギと比べると、皮が少し厚く口に残るなど、日本人の口に合うウナギにはまだ課題があり、改良が必要だという。だが、「ジャワうなぎ」が日本の食卓に乗る日はそう遠いことではないようだ。

野中氏が海軍野球チームを指導 代表監督の再登板に意欲

野中氏が海軍野球チームを指導 代表監督の再登板に意欲
 2007年から10年まで野球のインドネシア代表監督としてアジアカップで初優勝に導いた野中寿人氏が、今月から東ジャワ州スラバヤのリトルリーグチーム「VIO」と、海軍軍人チーム(1年契約)の指導を始めた。2015年の東南アジア選手権(SEAゲーム)シンガポール大会で代表監督の再登板を目指す考えを明らかにした。同氏によると、自身が運営するチームを除き、外国人がクラブチーム、軍隊チームを指導するのはそれぞれ初めて。
 海軍チームでは素質のある選手を発掘・育成し、代表チームに送り出すことを目標にする。VIOではコンサルタントという立場で監督やコーチの育成にも力を入れているという。
 東南アジアの野球選手をみると、インドネシアより強いフィリピンには軍隊出身が多い。パキスタン代表は全員が軍人だ。きちんとした指導者がいないのか、めちゃくちゃなフォームで150㌔の球を投げる選手もいるという。ところが、インドネシア代表に軍隊選手はゼロ。そこで、強化するには高い基礎体力を持つ軍人で選手を育てない手はない-と判断した野中氏。目標は代表監督に再登板し、07年は3位に終わった東南アジア選手権のシンガポール大会での”リベンジ”だ。
  

縄文人は調理? 土器の焦げ跡に魚を煮炊き跡

縄文人は普通に調理? 土器の焦げ跡に魚を煮炊きした跡
 日本、英国などの研究チームは、北海道や福井県の遺跡から出土した1万1000~1万5000年前の縄文式土器の焦げ跡に、サケなどの魚を煮炊きしたとみられる脂質が含まれていることを見つけ、4月11日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。料理に使われた世界最古の土器という。縄文土器は一般に食料の貯蔵などに使っていたとみられていたが、栄養価の高い魚類を料理していたことも示すもの。縄文人の暮らしぶりの一端を明らかにする成果。今回詳細に調べた鳥浜貝塚(福井県若狭町)、大正3遺跡(北海道帯広市)以外の遺跡でも、焦げ跡の炭素や窒素の同位体比から、ほとんどの土器は煮炊きに使われていたとみられる-としている。

出雲大社 「本殿遷座祭」大遷宮最終章へ

出雲大社で5/10に60年ぶり「本殿遷座祭」大遷宮最終章へ
 島根県出雲市の出雲大社は5月10日、本殿(国宝)の修繕工事のため、仮殿に祭られていたご神体を本殿に再び迎える「本殿遷座祭」を60年ぶりに開催する。2008年から始まった出雲大社の改修工事「平成の大遷宮」の最重要行事。大遷宮は約60年ごとに行われ、平成になってからは初めて。社殿の傷みを修復するとともに、先人の技術、文化を伝承するのが目的。神の力が一新される”よみがえり”の意味もあるとされる。現在の本殿は1744年に建立され、大国主命(おおくにぬしのみこと)を祭る。

円山応挙”幻の虎”発見 大谷記念美術館

円山応挙”幻の虎”85年ぶり発見 西宮市大谷記念美術館
 兵庫県の西宮大谷記念美術館は4月5日、江戸中期を代表する画家、円山応挙の大作「水呑虎図」が85年ぶりに見つかったと明らかにした。6日から同館で始まった「とら・虎・トラ」展に出品されている。この作品は応挙が脂の乗っていた40代、1782年に描かれたもの。縦96.5㌢、横141㌢。1928年に大阪美術倶楽部で売りに出た後、所在不明だった。

鑑真和上坐像の模像に彩色 天平の面影 再現

鑑真和上坐像の模像に彩色 血色豊かに 天平の面影を再現 奈良市の唐招提寺は4月4日、国宝「鑑真和上坐像」(8世紀)のお身代わりとなる模像に彩色した姿を、報道陣に公開した。艶やかな赤の衣に古切れを縫い合わせた袈裟の模様、生き生きとした肌の色などが蘇った。模像は今年が開祖・鑑真の没後1250年となるのにちなみ、財団法人美術院国宝修理所(京都市)の委託して2010年から制作していた。鑑真が亡くなった763年(奈良時代・天平期)の面影を伝える彩色については、顔料の粒子を顕微鏡で分析するなどして発色を再現したという。6月5日に営まれる開眼法要の後、同寺・開山堂で一般公開される。

北大文書館で萩原朔太郎 農学志し 志願者名簿

北海道大文書館で萩原朔太郎が農学志した志願者名簿
 北海道大文書館(札幌市)によると、過去の志願者名簿の中に前橋市出身の詩人、萩原朔太郎の名が見つかった。これは同館の職員が保管していた過去の志願者名簿などを調べていた際に偶然見つけたもので、資料は1907年の東北帝国大学農科大予科(現・北海道大)の志願者名簿。朔太郎の名前や出身中学などの記載があったという。名簿には入試を欠席したことを示す印も付けられていた。後年、都会や欧州を愛し、芸術活動を志した朔太郎が、旧制中学卒業後の進学先として、農学を志願していたことを示すもので、詩一筋ではなく、進路に悩む青春期の朔太郎の一面が表れている資料といえそうだ。

国宝の発見時の模写図見つかる 東大寺

国宝の大刀3本の発見時の模写図見つかる 東大寺
 東大寺(奈良市)は4月9日、同寺図書館で、明治時代に大仏足元から発見した鎮壇具20件(国宝15件)の一部で、豪華な装飾大刀として名高い金鈿荘大刀(きんでんそうのたち)など国宝となっている大刀3本の発見時の姿を描いた模写図が見つかったと発表した。模写図は金鈿荘大刀2本と、光明皇后からの献納品目録「国家珍宝帳」に記された宝剣「陽宝剣」と判明した「金銀荘大刀」。それぞれ裏表両面が色つきで描かれている。

神戸で東大寺 大仏鋳造 寄進示す木簡発見

神戸の遺跡で東大寺の大仏鋳造への寄進示す木簡発見
 神戸市教育委員会は4月10日、同市東灘区の深江北町遺跡で、仏教徒の寄付行為を示す「智識」や「天平十九年」(747年)と記された木簡が見つかったと発表した。年代などから東大寺の大仏鋳造への寄進を記した内容とみられるという。同市教委によると、都以外の地方で仏教に関わる寄進を裏付ける木簡の出土は全国初。今回出土した木簡は途中で折れていたが、縦13㌢、横約4㌢。「銭一文」の記述もあり、鑑定した奈良文化財研究所では、役人が大仏鋳造のため庶民から強制的に寄付を集めたリストかも知れないと話している。

謎の哺乳類「デスモスチルス」は海で生活していた?

謎の哺乳類「デスモスチルス」は海で生活していた?
 大阪市立自然史博物館の研究チームは、3000万~1000万年前ごろに日本や北米西海岸などの沿岸に生息し、生態が謎に包まれている哺乳類の一種「デスモスチルス」は、海で生活していたとする研究結果をまとめた。米オンライン科学誌プロスワンに掲載された。デスモスチルスは、のり巻き状の柱を束ねたような歯が特徴的な束柱類の一種で、化石で見つかった骨が密度の低い、クジラやゾウアザラシと似たスポンジ状になっていることを突き止め、体重が軽くなるように進化することで、上手に泳ぐ能力を獲得した-と分析している。