月別アーカイブ: 2013年12月

グリーンランドで38億年前の最古の生物の痕跡を発見

グリーンランドで38億年前の最古の生物の痕跡を発見
 東北大の掛川武教授とデンマークのコペンハーゲン大のグループは、グリーンランドの岩石の中から、38億年前の海に暮らしていたとみられる生物の痕跡を発見した。12月8日付の英科学誌ネイチャージオサイエンス(電子版)に発表した。これまでに見つかった最も古い痕跡は34億年前だった。研究グループは2004年、グリーンランド西部イスア周辺にある溶岩の中から、海で堆積してできたとみられる岩石を採取。炭素の結晶を取り出して詳しく分析した。
 掛川教授は生物は細菌類のような微生物で、海底に沈殿した岩石が溶岩の熱にさらされたのではないか-と分析している。痕跡が見つかった岩石は37億年前のものだが、長い時間かけてできるため、微生物は38億年前には存在した可能性が高いとみている。

全国各地と日本の「ラグラグ会」が集まりコンサート

全国各地と日本の「ラグラグ会」が集まりコンサート
 1977年結成の混声合唱団「ラグラグ会」は12月8日、南ジャカルタのヤマハミュージックセンターで「ラグラグパーティー2013」を開いた。ジャカルタ、地方、そして日本から集まった会員らが日頃の鍛練の成果を発表し合った。
 コンサートは数多くの愛国歌を書いた代表的作曲家イスマイル・マルズキの「ハロハロバンドン」「リンドゥルキサン」からスタート。インドネシア在住歴40年を超える梅村正毅さんは「クリスチャが日曜礼拝で歌うので、自ずと歌が盛んになる」と余裕たっぷりに話す。鍋谷正宏さんは歌詞を覚えるのに苦闘。「最後まで覚えられなかった言葉があり、ひやひやしながら歌った」という。
 OB会の東京ラグラグ会から訪れた服部洋之さんは、林延行さんとともに、ジャカルタ日本祭でも歌われた「ジャカルタ音頭」を披露。大阪ラグラグ会から下出澄夫さんも4年連続で参加。南スラウェシ州マカッサルからは、当サイト『Weekly Indonesia』に定期的に寄稿してもらう、マカッサルラグラグ会代表の竹内ロビーさんも駆け付けた。数年ぶりに顔を合わせるメンバーもいて、旧交を温め合った。 

赤穂浪士の吉良邸討ち入りの図 12月2日から公開

 皇室に伝わる古文書など約39万点を所蔵する宮内庁書陵部の図書寮文庫は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の題材で知られる赤穂浪士の吉良邸討ち入りに関する資料6点を、12月2日から同庁のホームページ(HP)に初めて掲載する。公開されるのは討ち入り時の「吉良上野介屋敷図」や、大石内蔵助らが徳川幕府に事件の経緯を語った「浅野内匠頭家来□上書等」など江戸後期から幕末に作られた写本。細かい間取りを示した屋敷図には、討ち入り時の各浪士の配置が赤い文字の名前で記されている。
 討ち入り事件は、江戸城内で吉良上野介に切りかかり切腹となった赤穂藩主・浅野内匠頭の仇討ちのため、大石内蔵助や堀部安兵衛ら赤穂浪士47人が翌年の元禄15年12月14日(1703年1月30日)、現在の東京都墨田区にあった吉良邸を襲撃した。

恭仁宮の朝堂院は木の板で囲った基壇に建てられていた

 京都府教育委員会は11月30日までに、聖武天皇が造営した恭仁宮(京都府木津川市、8世紀前半)の中枢部にあたる朝堂院跡の建物は、木の板で囲った基壇に建てられていたことが分かったと発表した。木製基壇は近江国庁跡(大津市)、遠江国分寺(静岡県磐田市)でも見つかっている。同府教委によると、朝堂院跡で、南北一列に並んだ5つの柱穴を確認。北端の柱だけ他の4本と比べて細いうえ、接するように板を立てた跡とみられる幅20㌢の溝があった。このことから北端の柱は建物があった基壇の土が崩れないように建てられた板を支える束柱で、木製基壇と判断した。
 北端の柱穴は50㌢四方、ほかの4本の柱穴は1㍍四方の大きさだった。柱穴は昨年見つかった建物跡の東側の一部とみられ、建物の規模は東西18㍍、南北15㍍のほぼ正方形だったとみられる。当時は細長い建物が一般的で、ちょっと異例だが、聖武天皇が災厄から逃れるために遷都を繰り返しただけに、都の適地選定には限界があって、同府教委では平城宮に比べて狭く、苦肉の策だったのではないか-とみている。

キトラ古墳埋め戻す 16年度に墳丘の一部を再現へ

 文化庁は11月29日、極彩色壁画の発見から30年を迎え、史跡整備に向けた作業が進む奈良明日香村のキトラ古墳(7世紀末~8世紀初め)で、石室付近を埋め戻す様子を公開した。振動を与えないよう重機は使わず、職人が木づちや突き棒で石灰入りの土を厚さ8㌢ずつ突き固める作業を繰り返していた。高さ2.1㍍までを約15立方㍍の土で埋め戻す予定。文化庁によると、今後、古墳を覆っている仮設の保護施設を撤去し、2016年度に墳丘の一部を再現する予定。壁画は保存処理を終えた後、明日香村の国営飛鳥歴史公園内に完成予定の施設で公開する。

14年2月に奈良で茶人・村田珠光に因む「第1回珠光会」

 室町時代の茶人で茶道の礎を築いたとされる奈良出身の村田珠光(じゅこう)にちなみ、大茶会「第1回珠光会」が2014年2月12~16日、奈良市内で開かれる。奈良市などでつくる実行委員会が11月29日、その概要を発表した。春日大社や東大寺、元興寺、唐招提寺、薬師寺など7社寺で、表千家や裏千家など4流派が茶席を設け、約5000人の来場を見込む。茶道と日本のもてなし文化に関するシンポジウムも開催する。事前に販売する茶券は出席できる茶席数や食事の有無などにより5000円、3000円、1000円の3種類がある。

40万年前の人骨から人類最古のDNAを抽出 独チーム

 独マックスプランク研究所などのチームは、スペイン洞窟で発見された古い人骨からDNAを取り出し、遺伝子情報を解読することに成功したと、12月5日の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。分析の結果、約40万年前の人類と分かった。DNA分析はこれまで、猿人から原人、旧人、現代人へという進化段階のうち求人の段階にとどまっていたが、今回は原人の時代(200万~30万年前)まで遡り、最古の例になるという。
 洞窟からは28体分の骨が見つかった。欧州最古の人類で、原人と旧人の中間にあたるハイデルベルク人とみられる。研究チームは保存状態のよい大腿骨から、細胞内の小器官「ミトコンドリア」のDNAを取り出して解読した。これを旧人である欧州のネアンデルタール人(20万~3万年前)とシベリアのデニソワ人(5万~3万年前)のDNAと比較。長い年月の間に生じた変化の量などから洞窟の人類は約40万年前のものと断定した。この人類が」デニソワ人の祖先と70万年前に枝分かれしたことも分かった。

宗祖隠元が隠居した「松隠堂」を初公開 宇治・万福寺

 黄檗宗大本山・万福寺(京都府宇治市)で、宗祖隠元が隠居した松隠堂の修復工事が終わり11月22日、報道陣に公開された。1661年の創建以来、松隠堂の公開は初めて。京都府教育委員会によると、松隠堂は開山堂、庫裏、裏門などの建物から成り、64年に境内の別の場所に建てられ、94年に現在の場所に移された。昨年までに庫裏と裏門が修復され、約320年前の移築時の姿が蘇った。江戸時代中期に瓦に葺き替えられた庫裏の屋根は、薄い木片を重ね合わせる「こけらぶき」に戻した。
 万福寺は、中国から招かれた隠元が開き、建物や儀礼も中国風で知られる。64年に隠居し、73年に亡くなるまで松隠堂で過ごした。

バーミヤン仏教遺跡で日本隊が7世紀?の新石窟発見

 日本の考古学の専門家らは11月25日までに、アフガニスタン中部の世界遺産バーミヤン仏教遺跡で、7世紀ごろに造営されたとみられる石窟を新たに発見した。石窟は遺跡の中心部から約3㌔離れた谷にあるが、ドーム状の天井と八角形の部屋を持つ様式は中心部の石窟と同じ。新たに石窟が見つかったのは、2001年に破壊された2体の大仏がある中心部の石窟から西へ約3㌔のフォラディ谷。調査の結果、石窟は奥行き約4.5㍍の八角形の部屋に高さ約4.5㍍のドーム天井を持つ「円蓋八角堂」とみられ、祈りの場として使われていたと考えられる。