吉宗が命じた測量図「享保日本図」の基見つかる

吉宗が命じた測量図「享保日本図」の基見つかる

 広島県立歴史博物館(広島県福山市)は5月9日、8台将軍徳川吉宗が1725年ごろ(江戸時代中期)に作らせた地図「享保日本図」の基になったとみられる測量図が見つかったと発表した。鑑定した東亜大の川村博忠客員教授は、享保日本図について書かれた江戸幕府の記録と地図の地名が一致しており、同時期に作られたとみて間違いない。当時の測量方法を示す貴重な資料-と評価している。

 測量図は縦152㌢、横336㌢、縮尺21万6000分の1で、北海道の南部から九州・種子島までの地名を記載していた。江戸幕府は計6回、日本地図を作製。各地で書かれた絵図をつなぎ合わせていたため、不正確な部分もあったが、5回目にあたる享保日本図では、和算家が指揮して測量結果をまとめ、今回見つかった図面ができあがったとみられる。

 測量図の余白に肥前平戸藩(長崎県)の藩主・松浦静山の文章と印が記され、収集家として知られる静山が1785年に入手したと推測される。