「槻の木の広場」の飛鳥寺西方遺跡で新たな建物跡

「槻の木の広場」の飛鳥寺西方遺跡で新たな建物跡

奈良県明日香村教育委員会は2月23日、同村の石敷き遺構「槻(つき)の木の広場」があったとされる飛鳥寺西方遺跡で、7世紀後半のものとみられる1棟の建物跡が見つかったと発表した。同遺跡で出土した初めての本格的な建物跡とみられ、専門家は「日本書紀」に記録された、辺境の人々をもてなした饗宴施設などの可能性を指摘している。
今回の調査地は寺の西門跡から南西約120㍍の遺跡の南端にあたり、柱の穴(一辺約1.2㍍、深さ約90㌢)9個を確認した。村教委によると、少なくとも東西11㍍、南北6.5㍍の常設の高床式の建物があった可能性があるという。
槻の木の広場は、後の大化改新の立役者・中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が蹴鞠(けまり)を通じて初めて出会った場所とされている。