藤原京「京職」など宮外に都の民政担う3カ所の役所

藤原京 「京職」など宮外に都の民政担う3カ所の役所

奈良文化財研究所の調査、研究によると、日本初の都城・藤原京(694~710年、奈良県橿原市など)の宮殿の外に、都の民政を司る左右の「京職(きょうしき)」など少なくとも3カ所の役所があったことが分かった。
これらはこれまで、天武天皇の長男、高市(たけちの)皇子など有力貴族の邸宅跡などと考えられていたが、出土した木簡や建物配置などから判明した。持統天皇の治世のもと、行政組織などが整えられた国家の出発点、藤原京の実態解明につながる成果とみられる。同研究所がまとめた「藤原京左京六条三坊」の報告書の中で明らかにした。
藤原京の宮跡(藤原宮)に近接した「左京六条三坊」で1985~87年に実施された調査で4町(4区画=約1万2200平方㍍)を占める遺構を確認。出土した木簡に「左京職」と墨書されていたことや、儀式用の広場がある建物配置などから、702年の大宝律令施行で「京職」が左右に分かれたうち左京(京の東半分)を担当する「左京職」が置かれていたと判断した。
左京職と対になる右京職は「右京七条一坊」の3町以上の敷地にあり、「左京六条一坊」には、門の護衛を司る役所「衛門府(えもんふ)」が4町の敷地に設けられていたことも木簡の調査などから分かった。