「本能寺の変」直後の秀吉の家臣宛て書状を新発見

「本能寺の変」直後の秀吉の家臣宛て書状を新発見

織田信長が天下統一を前に、明智光秀に討たれた1582(天正10)年の「本能寺の変」直後、羽柴(豊臣)秀吉が家臣に宛てた書状が愛媛県内の個人宅で発見された。書状の内容は、変後に横行した京都市中での略奪に対し、信長ゆかりの品々に限っては持ち主に返すよう命じたもの。
当時、略奪行為から守るため、安全面から武士や公家が寺社に財産を預ける慣行があった。東京大史料編纂所の村井祐樹准教授が現地で調査、筆跡や文面内容から新発見の書状と判断した。天正10年8月14日付で、秀吉が堀尾毛介(吉晴)ら3人の家臣に宛て、文末に「筑前守 秀吉」の名と花押がある。
天王山の戦いで明智勢を破って入京した秀吉は、横行していた略奪行為を目にして、略奪物の持ち主を確認するように家臣に命じたが、秀吉の家臣までもがこの略奪を始めたため、結局は容認する姿勢を示しつつも、主君・信長から賜った「上様御物」は返還を命じている。