伏見城跡で”秀吉時代”の石垣見つかる

伏見城跡で”秀吉時代”の石垣見つかる

京都市伏見区の伏見城跡で、徳川家康が築いた石垣の内側から、それ以前の豊臣秀吉が築いたとみられる別の石垣が新たに見つかった。この石垣は伏見城跡の西側で予定されているマンションの建設に先立って行われた発掘調査で見つかったもの。
不動産調査会社の発表によると、家康が築いた石垣の内側から幅4.2㍍にわたって別の時期に築かれたとみられる石垣が新たに見つかったという。石の表面が赤茶色に変色したり、ひびが入ったりするなど炎にさらされた痕跡があることから、「伏見城の戦い」で焼けた秀吉時代の石垣とみられる。
秀吉の大坂城が焼失・崩落した後、家康によって再建された大坂城でもそうであったように、家康は伏見城再建にあたり、豊臣の城の痕跡を消すようにして石垣をつくり直し、天下人としての権威を世に知らしめようとしていたとみられる。
伏見城は1594(文禄3)年に豊臣秀吉が築城し、大地震で倒壊した後は、場所を変えて新たに築かれた。その後、関ケ原の戦いの前哨戦「伏見城の戦い」で焼け落ちたが、徳川家康によって建て直された。