奈良・香芝市の古墳 王族の墓の可能性

奈良県香芝市教育委員会はこのほど、同市の国の史跡、平野塚穴山古墳で土を盛った墳丘の表面を覆っていた装飾用とみられる石が見つかったと発表した。こうした装飾は天皇陵と考えられる古墳でしか確認されていないことなどから、同市教委では王族の墓の可能性が高まったとしている。同古墳は一辺が25mから30m、高さ5mの2段に築かれた方墳で、7世紀後半に造られたとみられ、国の史跡に指定されている。              同市教委が3年ほどかけて行った発掘調査の結果、土を盛った墳丘の南側の斜面から、2m四方にわたって15cmから30cmほどの装飾用とみられる石がおよそ20個見つかった。同種の凝灰岩で墳丘を覆った古墳は、、いずれも奈良県明日香村にあって、斉明天皇の墓という説がある牽牛子塚(けんごしづか)古墳と、天武天皇と妻の持統天皇を埋葬したとされる野口王墓古墳しか例がないという。こうした点を総合的に判断すると、埋葬されたのは天智天皇や天武天皇の祖父にあたる茅渟王(ちぬおう)が有力な一人とみている。