「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

「はやぶさ2」地球への帰還目指し、小惑星を出発

小惑星の成り立ちを調べるというミッション達成のため、「リュウグウ」への2度の着陸に成功した日本の探査機「はやぶさ2」は11月13日午前10時すぎ、地球への帰還を目指してエンジンを発射し、リュウグウを出発した。はやぶさ2は、3年半かけてリュウグウに到着。およそ1年半にわたって岩石の破片を採取するため異なる手法で、2度の着陸に成功するなど、探査を続けていた。                                                                                   はやぶさ2は11月20日からおよそ2週間メインエンジンの試験運転を行い、12月3日以降、本格的に噴射して地球に向かう計画。そして2020年11~12月、リュウグウの岩石の破片が入ったとみられるカプセルを分離して、オーストラリアの砂漠地帯に落下させる予定。

直江兼続の,秀吉の人使いのうまさ伝える書状見つかる,伏見城築城現場で

戦国武将、上杉景勝の家臣の直江兼続(なおえかねつぐ)の、豊臣秀吉の気さくで人使いのうまさを伝える書状が見つかった。書状は、伏見城普請に派遣されていた兼続が、京に向かう途上の主君・景勝の随行者とみられる人物に宛てたもの。この中で、伏見城(所在地:現在の京都市伏見区)築城の工事現場に秀吉が自ら赴き、現場の作業員一人一人に声をかけた様子が記されている。                                                                      文禄3(1594)年の4月2日付で書かれ、兼続の花押がある。兼続は築城現場の様子を報告するとともに、「昨日も大(太)閤様御覧なされ候(そうろう)、普請衆何(いずれ)二も、御言葉を被下(くだされ)候」(文意:昨日も秀吉様が工事をご覧になりました。工事をしている者たちに直接言葉をかけて下さいました)と、現場の士気を高めるための気配りを見せた様子を記している。                                                                                                東大史料編纂所と新潟県立歴史博物館などの共同調査で確認された。

令和・即位「祝賀御列の儀」祝賀パレードに11.9万人

天皇陛下が皇后さまとともに、広く国民に即位を披露し祝福を受けられるパレード「祝賀御列の儀」が11月10日午後3時過ぎから、皇居-赤坂御所のおよそ4.6kmのルートで行われた。                                                                                                                         天皇陛下は燕尾服に最高位の勲章、皇后さまは白のロングドレスにティアラという姿で、君が代演奏の後、オープンカーに乗り込まれた。そして天皇陛下の即位を祝ってつくられた行進曲「令和」が演奏される中、出発。車列には秋篠宮ご夫妻や安倍首相の車など18台の自動車と白バイやサイドカー合わせて46代が連なり、その長さはおよそ400mにもなった。このパレード群が時速10キロほどのゆっくりとしたスピードで進み、およそ30分間で儀式は終了した。                                                                                    沿道には、11万9,000人の人たちが全国各地から詰めかけ、歓声を上げ、小旗を振って両陛下を祝福。両陛下は終始にこやかな表情で、休むことなく手を振って応えられていた。警視庁は2万6,000人の態勢で警備にあたった。                                                  今回の祝賀御列の儀で、5月から行われてきた「即位の礼」の一連の国事行為はすべて終わった。

万6,000人の態勢で警備にあたった。                                                  今回の祝賀御列の儀をもって、5月から行われてきた「即位の礼」の一連の国事行為はすべて終わった。

東大寺東塔調査で回廊の東門跡を初めて確認

奈良文化財研究所、橿原考古学研究所などに調査団は11月7日、奈良・東大寺にかつてあった巨大な塔、東塔を囲む回廊の東側にあった門の跡が今回初めて確認されたと発表した。東門の大きさは幅12.7mあり、調査団は回廊の南北や西側にあった門も同じ規模と推定している。4年前から進められてきた発掘調査は、今年度中に完了する予定。東大寺ではこれまでの調査の成果をもとに、将来的には東塔の再建を目指したいとしている。                                                                                                                      東大寺の東塔は、高さおよそ100mとも伝わる七重塔で、平安時代に焼き打ちされ、鎌倉時代に再建されたが、落雷で再び焼失したとされている。

文楽で80年ぶりの名跡「竹本錣太夫」復活

およそ80年前に途絶えた人形浄瑠璃の名跡が復活することになった。語り手の「太夫」を務める竹本津駒太夫さんが2020年1月、「六代目 竹本錣(しころ)太夫」を襲名する。襲名披露公演は2020年1月、大阪・日本橋の国立文楽劇場で行われる。竹本津駒太夫さんは広島県尾道市出身の70歳。                                                                             錣太夫は、人形浄瑠璃「文楽」で昭和初期にかけて活躍した先代の五代目が”艶物(つやもの)”と呼ばれる男女の恋愛を描いた作品の語りの名手として知られる名跡だが、およそ80年前に途絶えていた。

年末恒例 京都・南座顔見世興行の「勘亭流」まねき書き始まる

京都市左京区の妙傳寺で、京都・南座の年末恒例の歌舞伎の顔見世興行の、「勘亭流」という独特の書体を使った”まねき”と呼ばれる出演者を紹介する看板書きの作業が始まった。まねき看板はおよそ50枚。サイズは長さ1.8m、幅30cmで、書家の井上優さんが客の大入りを願って隙間なく、丸みを帯びた勘亭流の書体で1点ずつ丁寧に書きあげていく。このまねき看板は11月25日に京都・南座の前に掲げられる予定。顔見世興行は30日から始まり、いよいよ年末、師走を迎える。

京都で円山応挙の襖絵など約100点集め展覧会 近代京都画壇作品

「円山応挙から近代京都画壇へ」をテーマに、江戸中期の絵師で”写生画の祖”といわれる円山応挙の襖(ふすま)絵、屏風(びょうぶ)絵などを集めた展覧会が、京都市左京区の京都国立近代美術館で開かれている。同展覧会は作品を入れ替えながら、12月15日まで開かれている。                                                                                                 会場には、円山応挙とその影響を受けた画家たちの襖絵や屏風絵など約100点が展示されている。より大きなスペースとって紹介されているのが、応挙の最高傑作とされる兵庫県香美町の大乗寺所属の襖絵群だ。寺と同じ配置で立体的に展示され、作者・応挙の制作意図に配慮している。このほか、「松に孔雀図」、掛け軸「狗子図」なども展示されている。

葛飾北斎の晩年期の肉筆画新たに2点確認「富士見西行図」「藻魚図」

葛飾北斎(1760~1849年)の肉筆画が新たに2点確認された。「富士見西行図」(1848年)とメバルを描いた「藻魚(もうお)図」(1847年)の2点だ。晩年期の色紙サイズの作品。西行図は3年ほど前に米国で発見、藻魚図は今年、国内で存在が明らかになった。いずれも軸装で、現在は個人が所蔵している。筆致や落款などから北斎の作品で間違いないという。

姫路城が英ウェールズのコンウィ城と姉妹城に、市民交流へ

世界遺産の姫路城が、イギリス・ウェールズの同じ世界遺産のコンウィ城と姉妹城として提携し、市民交流を深めていくことになった。今回の提携はウェールズ州政府からの働きかけで実現し、兵庫県の姫路城の西の丸でこのほど提携式が行われた。             コンウィ城は築城700年、姫路城は築城400年で、ともに地元のシンボルとして美しい姿を残している。姫路城はすでにフランスのシャンティイ城と姉妹城の提携をしており、コンウィ城は2つ目の姉妹城となる。

沖縄「首里城」で火災「正殿」「北殿」全焼、城内へ延焼

沖縄県那覇市の首里城から10月31日未明、出火し、城の中心的な建物の「正殿」と「北殿」が全焼した。また、城内にある他の建物にも次々と燃え広がっているという。消防によると、これまでのところけが人などの情報は入っていない。                                           首里城では10月27日から琉球王国時代の儀式を再現する「首里城祭」というイベントが開かれていて、31日未明まで開催予定の催しの準備が行われていた。                         首里城は琉球王国時代のおよそ500年前に建造され、昭和8年に国宝に指定されたが、太平洋戦争中の沖縄戦で焼失した。平成4年に「正殿」が復元され、その後ほかの建物も順次復元され、平成12年に城跡が、県内にある城の跡とともに「世界遺産」に登録されている。