清水寺で15世紀「応仁の乱」で焼失「轟門」礎石確認

清水寺で15世紀「応仁の乱」で焼失「轟門」礎石確認

京都府教育委員会は11月11日、清水寺(京都市東山区)の重要文化財「轟(とどろき)門」の解体修理に伴う発掘調査で、15世紀中ごろの礎石が見つかったと発表した。現在の轟門は1633年の建立。今回南半分の地中を調査したところ、それより古い遺構が四つの時期にわたって確認された。このうち15世紀のい遺構で見つかった礎石1個は幅約50㌢、奥行き約40㌢、高さ約25㌢。礎石と同時代の土に焼けた跡があることから、門は応仁・文明の乱で焼失したとみられる。その前後の年代の地層でも、礎石を据えた穴の遺構や瓦の一部が見つかり、江戸初期までの約200年間に少しずつ位置をずらして、頻繁に建て替えられたことも分かった。門の変遷を裏付ける史料となりそうだ。