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明治の道頓堀をCGで再現 関西大プロジェクト

明治の道頓堀をCGで再現 関西大プロジェクト
 関西大学大阪都市遺産研究センター(大阪府吹田市)が、上方文化を発信した明示末~大正初期の大阪・道頓堀のにぎわいをコンピューター・グラフィックス(CG)で再現するプロジェクトを進めている。当時の写真に写った人物を合成し、動画で散策を楽しめる。時代考証も進め、2014年春の公開を予定している。同プロジェクトは2000年に解体された道頓堀のすし店の衝立屏風(縦82㌢、幅162㌢)が同大に寄贈されたのを機に11年1月に始まった。
 道頓堀はかつて浪花座や中座など「道頓堀五座」と呼ばれる芝居小屋を中心に栄えた。制作中の動画(8分弱)は堺筋~戎橋間約500㍍の通り沿いの建物や川などが再現される。

旧日本軍の真珠湾攻撃の戦果図4370万円で落札

旧日本軍の真珠湾攻撃の戦果図4370万円で落札
 1941年の旧日本軍による真珠湾攻撃から12月7日で72年となるのを前に、部隊を指揮した淵田美津雄中佐が攻撃後に作製した戦果説明図が6日、ニューヨークで競売に掛けられ、42万5000㌦(約4370万円)で落札された。AP通信が報じた。戦果図は縦約80㌢、横約60㌢の紙に「軍極秘」と赤字で記され、攻撃を受けた米艦船の名前や位置、被弾させた爆弾と魚雷の数などが書き込まれている。落札者は明らかになっていない。
 淵田中佐は「トラ・トラ・トラ」(われ奇襲に成功せり)の電文を打ったことで知られる。主催した競売大手のクリスティーズは広報資料で、昭和天皇に図を指差しながら説明したと振り返る淵田中佐の自伝を引用している。

富山市でよろい竜?の足跡の化石を発掘

富山市でよろい竜?の足跡の化石を発掘
 富山市科学博物館は7日までに、富山市内の地層でよろい竜(アンキロサウルス類)とみられる足跡の化石を発掘したと発表した。大きさは前足が長さ19㌢、幅21㌢。後ろ足は長さ32㌢、幅44㌢。軟らかい地面を歩いた際のものとみられ、前足部分の深さは7㌢あった。よろい竜は草食で、身を守るため、骨で背中が覆われているのが特徴。昨年10月に富山市大山地区の白亜紀前期(約1億2000万年前)の地層で前足と後ろ足の1組が見つかり、今年11月に掘り出した。
 アンキロサウルス類の化石は熊本県御船町で歯が、北海道夕張市で頭骨が見つかっている。

京都・北野天満宮の楼門の額、初の修復 90年前の姿に

京都・北野天満宮の楼門の額、初の修復 90年前の姿に
 京都市上京区の北野天満宮で南側の楼門に掲げられている額の修復工事が終わった。修復は約90年前の奉納以来で初めてといい、当時の姿が蘇った。額は幅120㌢、高さ185㌢。樹齢1000年以上というケヤキの一枚板に彫られている。1921年に日本画家の富田渓仙らが奉納。楼門上部は網が張られ、額の取り外しができないため、10月から約2カ月かけて門に掛けたまま汚れを落とし、漆を塗って金箔を貼った。

36億年前 火星に湖があった NASA無人探査機で確認

36億年前 火星に湖があった NASA無人探査機で確認
 米航空宇宙局(NASA)の研究チームは、約36億年前の火星に微生物などの生命を育むことができる湖があったことを無人探査機「キュリオシティ」で確かめたと12月9日、米科学誌サイエンスに発表した。昨年8月に火星のクレーターに着陸したキュリオシティの観測結果を分析。着陸地点から約450㍍離れた「イエローナイスベイ」と呼ばれる深さ5㍍ほどのくぼ地に、水を湛えた湖が少なくとも数万年にわたって存在したと結論付けた。
 微生物の痕跡そのものは見つかっていないが、NASAはさらに生命活動の直接の証拠を探す方針。キュリオシティは着陸地点から緩やかに傾斜しているくぼ地に向けて走りながら、岩石や地形を分析。水が流れたような痕跡を複数見つけたほか、湖に川が流れ込む場所に特有の細かい泥が溜まってできる堆積岩をくぼ地内で確認した。堆積岩は少なくとも4平方㌔の範囲に広がっていた。NASAは、新たな探査機を火星に送り込み、有望なサンプルを地球に持ち帰ることも構想している。

グリーンランドで38億年前の最古の生物の痕跡を発見

グリーンランドで38億年前の最古の生物の痕跡を発見
 東北大の掛川武教授とデンマークのコペンハーゲン大のグループは、グリーンランドの岩石の中から、38億年前の海に暮らしていたとみられる生物の痕跡を発見した。12月8日付の英科学誌ネイチャージオサイエンス(電子版)に発表した。これまでに見つかった最も古い痕跡は34億年前だった。研究グループは2004年、グリーンランド西部イスア周辺にある溶岩の中から、海で堆積してできたとみられる岩石を採取。炭素の結晶を取り出して詳しく分析した。
 掛川教授は生物は細菌類のような微生物で、海底に沈殿した岩石が溶岩の熱にさらされたのではないか-と分析している。痕跡が見つかった岩石は37億年前のものだが、長い時間かけてできるため、微生物は38億年前には存在した可能性が高いとみている。

全国各地と日本の「ラグラグ会」が集まりコンサート

全国各地と日本の「ラグラグ会」が集まりコンサート
 1977年結成の混声合唱団「ラグラグ会」は12月8日、南ジャカルタのヤマハミュージックセンターで「ラグラグパーティー2013」を開いた。ジャカルタ、地方、そして日本から集まった会員らが日頃の鍛練の成果を発表し合った。
 コンサートは数多くの愛国歌を書いた代表的作曲家イスマイル・マルズキの「ハロハロバンドン」「リンドゥルキサン」からスタート。インドネシア在住歴40年を超える梅村正毅さんは「クリスチャが日曜礼拝で歌うので、自ずと歌が盛んになる」と余裕たっぷりに話す。鍋谷正宏さんは歌詞を覚えるのに苦闘。「最後まで覚えられなかった言葉があり、ひやひやしながら歌った」という。
 OB会の東京ラグラグ会から訪れた服部洋之さんは、林延行さんとともに、ジャカルタ日本祭でも歌われた「ジャカルタ音頭」を披露。大阪ラグラグ会から下出澄夫さんも4年連続で参加。南スラウェシ州マカッサルからは、当サイト『Weekly Indonesia』に定期的に寄稿してもらう、マカッサルラグラグ会代表の竹内ロビーさんも駆け付けた。数年ぶりに顔を合わせるメンバーもいて、旧交を温め合った。 

赤穂浪士の吉良邸討ち入りの図 12月2日から公開

 皇室に伝わる古文書など約39万点を所蔵する宮内庁書陵部の図書寮文庫は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の題材で知られる赤穂浪士の吉良邸討ち入りに関する資料6点を、12月2日から同庁のホームページ(HP)に初めて掲載する。公開されるのは討ち入り時の「吉良上野介屋敷図」や、大石内蔵助らが徳川幕府に事件の経緯を語った「浅野内匠頭家来□上書等」など江戸後期から幕末に作られた写本。細かい間取りを示した屋敷図には、討ち入り時の各浪士の配置が赤い文字の名前で記されている。
 討ち入り事件は、江戸城内で吉良上野介に切りかかり切腹となった赤穂藩主・浅野内匠頭の仇討ちのため、大石内蔵助や堀部安兵衛ら赤穂浪士47人が翌年の元禄15年12月14日(1703年1月30日)、現在の東京都墨田区にあった吉良邸を襲撃した。

恭仁宮の朝堂院は木の板で囲った基壇に建てられていた

 京都府教育委員会は11月30日までに、聖武天皇が造営した恭仁宮(京都府木津川市、8世紀前半)の中枢部にあたる朝堂院跡の建物は、木の板で囲った基壇に建てられていたことが分かったと発表した。木製基壇は近江国庁跡(大津市)、遠江国分寺(静岡県磐田市)でも見つかっている。同府教委によると、朝堂院跡で、南北一列に並んだ5つの柱穴を確認。北端の柱だけ他の4本と比べて細いうえ、接するように板を立てた跡とみられる幅20㌢の溝があった。このことから北端の柱は建物があった基壇の土が崩れないように建てられた板を支える束柱で、木製基壇と判断した。
 北端の柱穴は50㌢四方、ほかの4本の柱穴は1㍍四方の大きさだった。柱穴は昨年見つかった建物跡の東側の一部とみられ、建物の規模は東西18㍍、南北15㍍のほぼ正方形だったとみられる。当時は細長い建物が一般的で、ちょっと異例だが、聖武天皇が災厄から逃れるために遷都を繰り返しただけに、都の適地選定には限界があって、同府教委では平城宮に比べて狭く、苦肉の策だったのではないか-とみている。