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キトラ古墳埋め戻す 16年度に墳丘の一部を再現へ

 文化庁は11月29日、極彩色壁画の発見から30年を迎え、史跡整備に向けた作業が進む奈良明日香村のキトラ古墳(7世紀末~8世紀初め)で、石室付近を埋め戻す様子を公開した。振動を与えないよう重機は使わず、職人が木づちや突き棒で石灰入りの土を厚さ8㌢ずつ突き固める作業を繰り返していた。高さ2.1㍍までを約15立方㍍の土で埋め戻す予定。文化庁によると、今後、古墳を覆っている仮設の保護施設を撤去し、2016年度に墳丘の一部を再現する予定。壁画は保存処理を終えた後、明日香村の国営飛鳥歴史公園内に完成予定の施設で公開する。

14年2月に奈良で茶人・村田珠光に因む「第1回珠光会」

 室町時代の茶人で茶道の礎を築いたとされる奈良出身の村田珠光(じゅこう)にちなみ、大茶会「第1回珠光会」が2014年2月12~16日、奈良市内で開かれる。奈良市などでつくる実行委員会が11月29日、その概要を発表した。春日大社や東大寺、元興寺、唐招提寺、薬師寺など7社寺で、表千家や裏千家など4流派が茶席を設け、約5000人の来場を見込む。茶道と日本のもてなし文化に関するシンポジウムも開催する。事前に販売する茶券は出席できる茶席数や食事の有無などにより5000円、3000円、1000円の3種類がある。

40万年前の人骨から人類最古のDNAを抽出 独チーム

 独マックスプランク研究所などのチームは、スペイン洞窟で発見された古い人骨からDNAを取り出し、遺伝子情報を解読することに成功したと、12月5日の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。分析の結果、約40万年前の人類と分かった。DNA分析はこれまで、猿人から原人、旧人、現代人へという進化段階のうち求人の段階にとどまっていたが、今回は原人の時代(200万~30万年前)まで遡り、最古の例になるという。
 洞窟からは28体分の骨が見つかった。欧州最古の人類で、原人と旧人の中間にあたるハイデルベルク人とみられる。研究チームは保存状態のよい大腿骨から、細胞内の小器官「ミトコンドリア」のDNAを取り出して解読した。これを旧人である欧州のネアンデルタール人(20万~3万年前)とシベリアのデニソワ人(5万~3万年前)のDNAと比較。長い年月の間に生じた変化の量などから洞窟の人類は約40万年前のものと断定した。この人類が」デニソワ人の祖先と70万年前に枝分かれしたことも分かった。

宗祖隠元が隠居した「松隠堂」を初公開 宇治・万福寺

 黄檗宗大本山・万福寺(京都府宇治市)で、宗祖隠元が隠居した松隠堂の修復工事が終わり11月22日、報道陣に公開された。1661年の創建以来、松隠堂の公開は初めて。京都府教育委員会によると、松隠堂は開山堂、庫裏、裏門などの建物から成り、64年に境内の別の場所に建てられ、94年に現在の場所に移された。昨年までに庫裏と裏門が修復され、約320年前の移築時の姿が蘇った。江戸時代中期に瓦に葺き替えられた庫裏の屋根は、薄い木片を重ね合わせる「こけらぶき」に戻した。
 万福寺は、中国から招かれた隠元が開き、建物や儀礼も中国風で知られる。64年に隠居し、73年に亡くなるまで松隠堂で過ごした。

バーミヤン仏教遺跡で日本隊が7世紀?の新石窟発見

 日本の考古学の専門家らは11月25日までに、アフガニスタン中部の世界遺産バーミヤン仏教遺跡で、7世紀ごろに造営されたとみられる石窟を新たに発見した。石窟は遺跡の中心部から約3㌔離れた谷にあるが、ドーム状の天井と八角形の部屋を持つ様式は中心部の石窟と同じ。新たに石窟が見つかったのは、2001年に破壊された2体の大仏がある中心部の石窟から西へ約3㌔のフォラディ谷。調査の結果、石窟は奥行き約4.5㍍の八角形の部屋に高さ約4.5㍍のドーム天井を持つ「円蓋八角堂」とみられ、祈りの場として使われていたと考えられる。

釈迦生誕地ルンビニで木造建築物の痕跡見つかる

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)は11月26日までに、ネパール南部にある仏教の開祖ブッダ(釈迦)の生誕地ルンビニで木造建築物の痕跡が見つかったと発表した。建造物は紀元前6世紀のものとされ、これまで存在は知られていなかった。中央部には釈迦生誕の伝説に関連する部分もあるとしており、さらなる調査が待たれる。ルンビニの遺跡は1896年に発見され、1997年に世界遺産に登録された。

大修理の正倉院 装い新たに 屋根瓦のふき替え終了

宮内庁は11月26日、約100年ぶりの大修理が進む奈良市の国宝・正倉院で、屋根瓦のふき替え作業が終了し、装いを新たにした姿を報道陣に公開した。今回の大修理は傷んだ屋根瓦の交換や、軒先の垂れ下がりを抑えるための屋根裏の構造補強が目的。一昨年秋から作業が本格化した。約2万6200枚の瓦を新調した一方、奈良時代の瓦を含む約8400枚を再利用。屋根全体の重さは約191㌧と修理前より約8㌧軽くなった。
 今後は室内の復旧作業や、建物全体をカバーしている覆い屋の撤去などを行い、来年秋に完成する計画。最後の現場の一般公開を2014年2月7~11日に行う。

魯迅の手紙1億円 日本語の学習記す 中国で落札

 中国のニュースサイトによると、中国の文豪、魯迅(1881~1936年)の短い手紙が北京で行われたオークションで、手数料含め655万5000元(約1億500万円)の高値で売却された。手紙は1934年6月、中華民国時代の著名な編集者、陶亢徳氏に充てたものとされ、計220字の文面。日本に留学経験のある魯迅が、日本語学習について記した内容。

国学院大の矢部准教授が関白・豊臣秀次の死を巡り新説

 国学院大学の矢部謙太郎准教授(日本近世史)は、豊臣政権時代の関白・豊臣秀次の死を巡り、新説を学術誌「国学院雑誌」に発表した。その主旨は、淀君との間に実子の秀頼が生まれると、秀吉は甥の秀次が邪魔になり、彼を追放しただけだった。だが、秀吉の意図に反して秀次が過剰反応し、自ら腹を切った-というもの。通説では、秀吉は秀次を追放し切腹させるとともに、将来、秀頼に報復の類が及ぶことのないよう、彼の家族・郎党を含め根絶やしにしたとされている。ただ、秀次の死の背景を明確に記した史料が同時代になく、研究者の間でも興味深い説とみる向きもある。

唐古・鍵遺跡で弥生中期の北部九州産の土器片見つかる

 奈良県田原本町教育委員会は11月15日、国内最大級の環濠(かんごう)集落跡、唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)で、北部九州でつくったとみられる弥生中期ごろ(紀元前200年前後)の土器片が見つかったと発表した。この土器片は甕(かめ)の口縁部の破片で横約13㌢、縦約5㌢。25年前に出土し、再整理中に発見した。赤い彩色痕があり、口縁の形などが北部九州の土器の特徴と一致した。この時期の北部九州の土器は岡山県や島根県で見つかっているが、それ以東での出土例は初めてという。当時の地域間交流を探る貴重な資料といえそうだ。