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支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料 世界記憶遺産登録

支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料 世界記憶遺産登録
 仙台藩主、伊達政宗の命を受け、1613年(慶長18年)スペインやローマに渡った支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料が6月、世界記憶遺産に登録された。登録されたのは、鎖国直前の日欧交渉を伝える貴重な資料として国宝の3点。所蔵する仙台市博物館では、このうち支倉常長像など2点を常設展示している。
 同使節派遣から今年は400年の節目の年だ。宮城県石巻市など東日本大震災で被災したゆかりの地域では、今回の登録を機に震災からの復興の弾みにしたいという機運が高まっている。今秋から関連イベントが目白押しで、津波で被災した木造使節船「サン・ファン・バウティスタ」号の復元船を修復し再公開する予定もあり、観光客の呼び込みに期待が集まっている。

北海道で恐竜の尻尾の化石発見 新種の可能性も

北海道で恐竜の尻尾の化石発見 新種の可能性も
 北海道大と穂別博物館(北海道むかわ町)は7月17日、同町の約7200万年前の地層から、白亜紀末期に繁栄した草食恐竜ハドロサウルスの仲間とみられる恐竜の尻尾の骨の化石を発見したと発表した。新種の可能性もある。9月から本格的な発掘作業を始める。長さ1㍍で、尾椎骨が13個つながっていた。体長は推定7~8㍍。これまでに発見されたハドロサウルスの尾椎骨にはない突起もあった。日本で骨格がつながった恐竜の化石が見つかるのは珍しい。発見した地層は白亜紀末期には海で、深さ約80~1200㍍の海底で堆積したため、ばらばらにならずに残っていたとみられる。

滋賀・上御殿遺跡で人名が書かれた土器見つかる

滋賀・上御殿遺跡で人名が書かれた土器見つかる
 滋賀県文化財保護協会は7月17日、同県高島市の上御殿遺跡で「守君船人(もりのきみのふなひと)」という人名が7回書かれた奈良-平安時代の土器が見つかったと発表した。「守君」は祭祀(さいし)に関わった氏族とされ、等間隔で土器を1周するように人名が書かれていた。7回も人名を記した土器は全国初。

角竜トリケラトプスに新種 米ユタ州で化石発見

角竜トリケラトプスに新種 米ユタ州で化石発見
 米ユタ自然史博物館の研究チームは7月17日、大きな鼻と闘牛のように曲がった長い角を持つ新種の草食恐竜の化石を発見したと発表した。恐竜ファンに人気の高い角竜トリケラトプスの仲間。見つかった化石から体長5㍍、体重約2.5㌧と推定。ほかの角竜には見られない特徴から、大きな鼻と角の生えた顔を意味する「ナスートケラトプス」と命名された。

東京都品川区がインドネシア大使館と災害時協定締結

東京都品川区がインドネシア大使館と災害時協定締結
 東京都品川区は7月25日、災害時に区民や帰宅困難者を一時待機させるため、在日インドネシア大使館(品川区東五反田)と協定を結んだと発表した。大使館と自治体がこうした協定を結ぶのは極めて異例。品川区によると、災害時は同大使館が敷地の一部を待機場所として開放。区民や帰宅困難者を受け入れるほか、区が大使館の倉庫に水や食料などを備蓄して提供する、東日本大震災の際、同大使館は約50人の区民らを受け入れ、飲食物を提供した。

日・イ関係をより緊密なものに 大使公邸でブカプアサ

日・イ関係をより緊密なものに 大使公邸でブカプアサ
 南ジャカルタの駐インドネシア日本大使公邸で7月23日夕、インドネシアのイスラム団体の有識者やプサントレン(イスラム寄宿学校)教師ら54人を招き、今年で10回目を迎えたブカプアサ(断食明け)の夕食会が開かれた。鹿取克章・駐インドネシア日本大使は「インドネシア教育におけるプサントレンの果たす役割と存在の大きさを実感している」とあいさつし、2004年から始まったプサントレン教師の日本招へいプログラムを通じて、「日・イ関係をより緊密なものにしていきたい」と今後の活動に期待を寄せた。
 プサントレン招へいプログラムは、日本とインドネシアのイスラム世界との相互理解を深めることを目的に、日本政府が2004年に開始。毎年12人を日本へ招へいし、日本の教育現場を視察し教師や有識者、大学生との意見交換、ホームステイなどを実施している。
 今回、インドネシア側から出席したのは同国第2のイスラム団体ムハマディヤのディン・シャムスディン議長や、国立イスラム大学イスラム社会研究所(PPIM)関係者、プサントレン教師ら。鹿取大使らと懇談しながら食事を楽しんだ。

バリ日本語補習校で夏休みが終わり2学期がスタート

バリ日本語補習校で夏休みが終わり2学期がスタート
 地元紙によると、バリ日本語補習授業校で、6月中旬から始まっていた夏休みが終わり、7月8日から2学期がスタートした。ただ、夏休みは現地校の学年末の休み期間に合わせて決めており、一時帰国した児童の登校は遅れることが多いという。したがって、日本国内のように日を区切って全員が顔を揃えてというわけには行かないようだ。
 新学期が始まってから、児童たちには思いがけない遊び場ができた。それは、夏休み期間に保護者の支援も受けて学校の敷地内にミニアスレチックが設置されたからだ。これまで運動することが少なかった児童たちは、手が痛い、足が疲れたなどといいながらも、体を動かす喜びを感じたのか、アスレチックに行列をつくり連日好評だという。
 学習面では日本語能力試験で、より高い級での合格を目指すため授業時間を増やした。7月から1カ月に1回だけ2時間、小学4年から中学生までの児童・生徒を受験級に応じたクラスにまとめる「チャレンジクラス」を編成。8月4日には希望者を対象に日本語能力校内模擬テストを行うという。
 同校は1990年に設立され、小・中学部では5月時点で約190人の子供が学んでいる。8月には運動会、11月には補習校祭りを開催する予定だ。

バンドン日本人学校で夕涼み会、七夕会 さながら夏祭り

バンドン日本人学校で夕涼み会、七夕会 さながら夏祭り
 地元紙によると、バンドン日本人学校(BJS)はこのほどPTA主催の夕涼み会、七夕会を開いた。夕涼み会の当日は昼過ぎに雨が降り、一時は開催が危ぶまれたが開会予定時間前に雨がやみ、無事、会を催すことができた。佐藤邦壽校長、バンドンジャパンクラブ(BJC)の高森健彰会長のあいさつで会がスタート。BJSの子供たちや職員、BJCの参加者も浴衣姿で、会場はさながら日本の夏祭りのような雰囲気に包まれた。
 輪投げや射的などのゲームや、焼きそばやホットドッグ、フライドポテト、たこ焼きなどの出店が並び、インドネシアにいながら、日本さながらの祭りを楽しんだ子供たちは、すいか割りや神輿担ぎも体験した。日本人だけでなく、会場のインドネシア人も参加し、盆踊りや線香花火で盛り上がった。
 7月5日にはBJSで七夕会を開催した。当日までにそれぞれのクラスで願い事を短冊に書き、七夕飾りを作って準備していた子供たち。1人ずつ願い事を発表し、願いが叶うように全員で七夕の歌を元気に歌った。

宝永地震の「大坂の死者2万1000人超」幕府の記録

宝永地震の「大坂の死者2万1000人超」幕府の記録
 新潟大の調査によると、江戸時代中期の1707年に発生した宝永地震(マグニチュード8.6)で、大坂(現・大阪)市中の津波などによる死者は2万1000人を超えたとする記録が残っていたことが分かった。この記録は地震直後に、尾張藩士が幕府の報告書を写したもので信頼性が高く、宝永地震の被害見直しを迫る史料となりそうだ。宝永地震は有史で最大級の南海トラフ地震だが、被害実数が分かる史料は少なく、大坂の死者は数千~1万人、全国で計2万人との推計が通説だった。
 「天下の台所」と呼ばれ、物流拠点として栄えていた大坂の人口は当時約35万人。死亡率は6%に達し、全国最多だったとみられる。新潟大の矢田俊文教授は、宝永地震では今の大阪市中心部の大半が浸水し、多くの橋が落ちた。将来の防災に生かしてほしい-と話している。津波の直撃を受けなかった内湾沿いの大坂でも、南海トラフ地震で死者が2万人を超えたという記録は衝撃的だ。

秀吉が築いた御土居、江戸時代に移設した跡を発見

秀吉が築いた御土居、江戸時代に移設した跡を発見
 京都市埋蔵文化財研究所は、京都市下京区で、桃山時代に築かれた土塁「御土居(おどい)」が、江戸時代の1641年(寛永18年)に東本願寺の別邸・渉成園造営に伴って付け替えられた跡が見つかったと発表した。御土居の一部が崩され、東側に飛び出すように迂回していた。同研究所によると、御土居の付け替えが確認されたのは初めて。
 見つかったのは、移設された御土居の東西200㍍のうち60㍍分。幅は4㍍分を確認した。高さは0.6㍍残っていた。御土居は敵の襲来や鴨川の氾濫から京都の市街地を守るために、豊臣秀吉が築いたもので、土塁の外側は堀だった。