「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

信長の安土城「本丸取付台」建物の規模判明 滋賀県調査

滋賀県は12月17日、「令和の大調査」を進めている織田信長が築いた安土城(所在地:滋賀県近江八幡市、東近江市)跡地で、天主台の東側にある「本丸取付台」にあった建物の規模が判明したと発表した。今回、南端とみられる石列が新たに見つかり、昨年度の調査と合わせて本丸取付台の建物は屋根も含めた大きさが東西約9.5m、南北17.5mと推定した。
静岡大学の小和田哲男名誉教授は「礎石は天主の礎石とほぼ同じ大きさで、重要な建物だったと考えられる」としている。
12月22日午前10時〜午後3時、現場を一般公開する。入山料(大人700円、小中高生200円)が必要、発掘現場は公開のみで、説明はない。

秀吉時代の”石垣” 間近で 25年4月 大阪城公園に展示施設

大阪市は12月13日、豊臣秀吉時代に築かれた石垣を展示する「大阪城 豊臣石垣館」(所在地:大阪市中央区)を2025年4月1日にオープンすると発表した。これは徳川幕府によって豊臣家が滅ぼされた「大坂夏の陣」(1615年)で落城した際の大坂城の火災の痕跡が残る石垣を展示するもの。豊臣家の痕跡を消すため徳川幕府によって埋められたが、2013年度から発掘が行われていた。
施設は大阪城公園内にある天守閣南東に整備された。地上1階、」地下1階の延床面積786㎡。地下1階で展示される秀吉時代の石垣は高さ4.5m。大小様々な自然石をそのまま利用した古い技法「野面(のずら)積み」で築かれている。

京都・千本釈迦堂 師走伝統行事「大根だき」無病息災願う

京都・千本釈迦堂(所在地:京都市上京区)で12月7、8の両日、大きな釜で炊いた大根を食べて無病息災を願う師走の伝統行事「大根だき」が行われた。
両日、境内には直径およそ1mの大きな釜が用意され、大根が油揚げと一緒に炊き上げられた。朝から同境内には長い行列ができていた。訪れた人たちは、1杯1,000円で振る舞われる、湯気の立つお椀を受け取ると出汁がしっかりと染み込んだ大根を頰張り体を温めていた。
大根だきは、釈迦が”悟り”を開いた日を祝う行事で、鎌倉時代に始まったとされる。

日本の「伝統的酒造り」ユネスコの無形文化遺産登録決定

南米のパラグアイで開かれているユネスコの政府間委員会は12月4日(日本時間5日)、日本が提案した日本酒や焼酎、泡盛など日本の「伝統的柵造り」について審議、全会一致で無形文化遺産に登録することを決めた。
500年前に原型が確立した日本の「伝統的酒造り」は①米や麦などを蒸す②こうじをつくる③もろみを発酵させるーーなど伝統的に培われてきた技術が各地の風土に応じて発展し、自然や気候と深く結びつきながら伝承されてきた。こうした技術で製造される酒は、儀式や祭礼行事などにも使われ、日本文化で不可欠な役割を果たしてきたとされている。
今回の登録決定で、国内の無形文化遺産は「能楽」「和食」「風流踊」など23件となる。

奈良・明日香村で最古の鋳造貨幣「富本銭」初の展示会

奈良県明日香村の飛鳥池工房遺跡で、1990年代の調査で大量に見つかった国内最古の鋳造貨幣「富本銭(ふほんせん)」と、当時の歴史や文化を紹介する展示会が開かれている。7世紀後半の飛鳥時代につくられた富本銭は直径およそ2.5cmの銅製の貨幣。
同遺跡の上に建てられた県立万葉文化館で開かれている展示会では、2点の富本銭のほか、富本銭の鋳造を命じたとされる天武天皇ゆかりの銅製の釈迦如来像や和同開珎など富本銭の後、平安時代にかけて鋳造された12種類の貨幣など、およそ80点が紹介されている。展示会は12月8日まで。

鎌倉時代の元寇から750年 対馬市で戦死者の慰霊大祭

鎌倉時代最初の元寇、文永の役(1274年)から今年で750年。総勢3万人ともいわれる元軍などが約900隻の軍船が対馬を襲った。この文永の役では、小茂田浜一帯で迎撃した対馬の守護代・宗資国(そうすけくに、宗助国)ら80騎余が全滅したと伝えられている。
その長崎県対馬市の小茂田浜神社で、戦死者らを慰霊する例大祭がこのほど行われた。大祭では本殿での神事で、古くから伝わる巫女神楽「命婦(みょうぶ)の舞」などが奉納された。神幸式では武者姿の氏子らが本殿から浜辺まで練り歩いた後、小茂田浜神社の舎利倉(しゃりくら)政司宮司(60)が沖合に弓矢を射る儀式「鳴弦(めいげん)の儀」を行った。

ケニアで150万年前の猿人と原人の足跡発見 共存していた

米国チャタム大やストーニーブルック大など国際研究チームは11月29日付の米科学誌サイエンスに、アフリカ、ケニア北部のトゥルカナ湖沿岸の約150万年前の地層から、同時期に残ったとみられる猿人と原人の足跡を発見したと発表した。今回見つかったのは猿人の「パラトロプス・ボイセイ」と、より進化した原人の「ホモ・エレクトス」が残したと推定される足跡だ。
他の場所で見つかっている頭骨や骨格の化石から、ボイセイは小柄でも頑丈な顎で植物の茎や根、堅い実などを食べていたとみられる。一方、エレクトスは現生人類(ホモ・サピエンス)と同属で、直立二足歩行を確立し、その後の時代に欧州やアジアに進出したと考えられている。異なる種の古人類がどのように共存して暮らしていたかを探る貴重な手掛かりになるという。

奈良「飛鳥宮跡」で大型建物の柱穴跡発見 新たに14基

橿原考古学研究所が10月下旬から進めてきた奈良県明日香村の「飛鳥宮跡」およびその周辺調査で、7世紀後半の建物の柱を据えた跡と見られる四角い穴が合わせて14基、新たに見つかった。
柱の穴はすでに見つかっていた建物の一部とみられ、橿原考古学研究所では建物全体の大きさは東西35.4m、南北15mで、当時の建物としては最大規模としている。
この建物について、後の平城宮に設けられていた「内裏」と呼ばれる、天皇の私的空間の先駆けだったのではないかとみている。

京都・南座で師走恒例の吉例顔見世興行「まねき上げ」

京都に師走の訪れを告げる京都・南座の恒例の歌舞伎公演「吉例顔見世興行」(12月1〜22日)を前に、出演する役者名を書いた看板を劇場正面に飾る「まねき上げ」が11月26日、行われた。この日、人間国宝・片岡仁左衛門さんのまねきが掲げられ、出演者全員のまねきが揃った。
太く丸みを帯びた「勘亭流」と呼ばれる独特の書体で書かれたまねき(看板、縦1.8m、横30cm)は」59枚。南座では、劇場関係者らが清めの塩をまき、手締めを行った。

佐渡金山で初の労働者追悼式「深い哀悼の意」韓国不参加

新潟県、同県佐渡市、民間団体等で組織する実行委員会は11月24日、佐渡市で世界文化遺産「佐渡島(さど)の金山」で金の採掘に携わり、亡くなった朝鮮半島出資者を含む労働者の追悼式を初めて開いた。参加を予定していた韓国側は意見調整に必要な時間が十分ではないと出席しなかった。式典には生稲晃子外務政務官が日本代表として出席し、花角英世知事、渡辺竜五市長、民間団体の代表らおよそ70人が参列、黙祷を捧げ、献花した。
生稲氏はあいさつで、朝鮮半島出身の労働者も過酷な労働環境のもとで、作業に従事したと指摘、「亡くなったすべての方々に深い哀悼の意を表したい」と述べた。