「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

平等院の木造聖観音菩薩立像は「来迎」の姿

平等院の木造聖観音菩薩立像は「来迎」の姿

京都府宇治市の世界遺産、平等院の平安時代の菩薩像が極楽浄土から死者を迎える「来迎(らいごう)」の姿を表していることが分かった。平等院が発表した。
平等院では境内にある塔頭(たっちゅう)に伝わる平安時代の菩薩像「木造聖観音菩薩立像」の修復を進めてきた。その結果、同像について①衣の部分が前から風を受けてたなびくような形に彫られている②衣の裾の一部が台座に入り込んでいることなどから、この像はもともとは前方に傾いていた-ことなどが分かったという。
このため、菩薩像は阿弥陀如来に付き従って極楽浄土から死者を迎えに来る、いわゆる「来迎」の姿を表したものとみられるという。平等院では寺院の歴史をする上で貴重な発見だとしている。

東大寺東塔 回廊は格式高い複廊・幅6㍍と判明

東大寺東塔 回廊は格式高い複廊・幅6㍍と判明

東大寺などは10月3日、奈良・東大寺の東塔を囲む回廊が、中に2つの通路が並行する複廊の構造だったことが分かったと発表した。
奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所の調査団によると、鎌倉時代に再建された東塔のうち南側の南面回廊跡で、回廊の柱を立てた礎石の穴が見つかった。その並び方などから回廊には通路が2つあり、全体で幅約6㍍だったことが判明した。
南面回廊跡の中心には南門の遺構もあり、門の柱を立てた礎石の穴が12個見つかった。東西方向に4本、南北方向に3本並んでいたとみられる。門の東西の柱の間隔は中央約4.5㍍、左右約4.2㍍で幅は約13㍍。南北の柱の間隔は約3.6㍍ずつで、幅は約7㍍。これは京都市の東寺の国宝、蓮華門などに匹敵する大きさだという。

正倉院で年に1度の「開封の儀」 正倉院展は10/28~

正倉院で年に1度の「開封の儀」正倉院展は10/28~

奈良時代の聖武天皇ゆかりの品々を収めた奈良・正倉院で10月4日、年に1度宝庫の扉を開ける「開封の儀」があった。宮内庁の職員らが封を解いて中へ入った。11月30日まで宝物の調査や点検が続けられる。
宝物の一部を公開する正倉院展は10月28日から11月13日、奈良市の奈良国立博物館で開かれる。同展ではペルシャ風の図柄で羊などを描いた国産の屏風「羊木臈纈屏風(ひつじきろうけちのびょうぶ)」や聖武天皇が愛用したとされる鏡「槃龍背八角鏡(ばんりゅうはいのはっかくきょう)」など58件が展示される予定。

「日本書紀」「源氏物語」の写本など集め特別展

「日本書紀」「源氏物語」の写本など集め特別展

「日本書紀」など国宝3点を含む、合わせて70点余りの書物や掛け軸などが集められた特別展が、奈良県天理市で開かれている。
天理大学附属博物館、「天理参考館」の特別展でひと際目を引くのが「日本書紀」「源氏物語」などの写本。鎌倉時代に書かれた、神話の時代の出来事を記した日本書紀の写本、同じく鎌倉時代に書かれた紫式部の小説、源氏物語の写本だ。このほか、江戸時代の俳人、松尾芭蕉の生前の姿がうかがえる数少ない資料、芭蕉が全国を歩きながら俳句を詠んだ様子を描いた掛け軸「奥の細道行脚之図」など貴重な資料も少なくない。

東大寺「東塔」の回廊跡見つかる 初めて確認

東大寺「東塔」の回廊跡見つかる 初めて確認

奈良時代や鎌倉時代に合ったとされる東大寺の巨大な塔「東塔」の発掘調査で、塔の周囲に設けられた回廊の跡が見つかった。奈良文化財研究所や橿原考古学研究所などの調査団の発掘調査で今回見つかったもの。鎌倉時代に造られた回廊の一部とみられる。
東塔の回廊は、江戸時代の縮図から、かつて塔を囲むようにあったことが知られていたが、実際にその跡が確認されたのは今回が初めて。
東大寺の東塔は奈良時代、大仏殿の東にあった巨大な七重塔で、平安時代に平氏の焼き討ちに遭い、鎌倉時代に再建されたが、その後、再び火災で焼失したといわれている。
東大寺の東塔跡では10月7日、現地説明会が開かれる。

南方熊楠の手紙確認 昭和天皇の神島来訪を期待

南方熊楠の手紙確認 昭和天皇の神島来訪を期待

南方熊楠が同郷のジャーナリスト、杉村楚人冠に宛てた、昭和天皇の田辺湾の神島来訪を期待する旨を記した手紙が見つかった。千葉県我孫子市の「杉村楚人冠」記念館が、楚人冠の遺族から寄託された資料の中から見つけ、筆跡や内容などから熊楠のものと確認した。
これは熊楠が昭和4年5月に出した手紙で、生物学に造詣の深かった昭和天皇の神島来訪を切に期待する思いを記している。実際に1カ月後に、昭和天皇の神島訪問が実現し、熊楠は自ら採取した標本を献上している。
関係者は、神島に天皇を迎えることは、その保護に取り組んできた熊楠にとって千載一遇の機会だった。そんな熊楠の意気込みや期待感が表れた資料-と話している。
南方熊楠はイギリスの大英博物館などで研究に取り組んだ後、現在の和歌山県田辺市を拠点として粘菌学や民俗学など多岐にわたる分野で活動、数多くの業績を残した世界的な博物学者。

世界最古の生命の痕跡発見 39億年前の岩石から

世界最古の生命の痕跡発見 39億年前の岩石から

東京大学などの研究グループは、カナダで採取した39億年前の岩石から世界最古とみられる生命の痕跡を発見したと発表した。
同大学の小宮剛准教授らの研究グループは、カナダ北東部ラブラドル半島にあったおよそ39億5000万年前の岩石を採取し、詳しく調べた。その結果、自然界に存在する3種類の炭素のうち、生物の体内に多い最も軽い炭素の割合が高い塊が見つかり、研究グループでは生物の死骸の痕跡だと結論付けた。
痕跡の大きさは数十マイクロ㍍で、細胞内に核を持たない原始的な生物で、泥が積もってできた岩石から出てきたので、海に生息していたのではないかと考えられるという。
これまで確認された世界最古の生命の痕跡は、グリーンランドで見つかった38億年前のものだが、今回の発見はそれよりも1億年以上古いとしている。

主要作品集め「運慶」特別展 東京・国立博物館

主要作品集め「運慶」特別展 東京・国立博物館

天才仏師の運慶の主な作品を集めた特別展「運慶」が9月26日、東京・上野公園の東京国立博物館で始まった。11月26日まで。10月9日を除く月曜日休館。料金は一般1600円。
今回の特別展で特筆されるのは、肖像彫刻の最高傑作といわれる運慶作の無著(むじゃく)・世親菩薩立像(せしんぼさつりゅうぞう、1212年ごろ、国宝)と、近年運慶に手によるものとの可能性が指摘されている、四天王立像(13世紀、国宝)が顔を揃えたこと。どちらも運慶工房が奈良・興福寺北円堂のために制作したとの仮説に基づく展示で、仏像が居並ぶ、厳かな雰囲気の中、高さ2㍍前後の6体が”静”と”動”の見事なコントラストを演出している。

二葉亭四迷の死 漱石が夫人へ宛てたお悔み状初公開

二葉亭四迷の死 漱石が夫人へ宛てたお悔み状初公開

東京都目黒区の日本近代文学館で9月23日から、小説家・二葉亭四迷(1864~1909年)の死を知った夏目漱石(1867~1916年)が、四迷の夫人(長谷川柳子)に宛てたお悔み状が初公開されている。漱石全集にも未収録で、同館が四迷の遺族から2016年、寄贈を受けたもの。
当時、四迷と漱石は朝日新聞社員で同僚だった。四迷は特派員としてロシアに赴任していたが、病気で帰国途上、客死した。漱石は1909年5月15日付の朝日新聞で四迷の死を知り同日、日記に「二葉亭印度洋上ニテ死去。気の毒なり。遺族はどうする事だろう」と書き、柳子宛てに手紙を出したことも記している。ただ、その手紙は不明だった。
日本近代文学館の企画展「漱石・芥川・太宰から現代作家まで」は11月25日まで。

大伴家持生誕1300年「家持の時代展」人間像を紹介

大伴家持生誕1300年「家持の時代展」人間像を紹介

越中国守で万葉集の代表的歌人、大伴家持(おおとものやかもち)の生誕1300年を記念した「家持の時代展」が富山県高岡市で開かれている。10月22日まで。
同展では国宝2点はじめ、重要文化財を含む貴重な歴史資料を通じて大伴家持の人間像と、桓武天皇の御世、785年、長岡京の造宮使だった藤原種継暗殺事件に連座した者として死後、告発されるなど藤原氏主導の、彼が生きた波乱に満ちた時代を紹介している。
また、家持が国守として自筆した署名のある役所の公文書などおよそ90点の資料が並び、当時の生活や文化を感じ取ることができる。
家持は746年から5年間、国守として現在の高岡市伏木で過ごし、この間に万葉集の223首を詠んだとされている。